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Page:GovernmentCompensation-Trial Judgement-HanreiJihō.djvu/25

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ても患者の状態が一変したと申しママよろしいのでございます。(中略)ママもう一歩進みますれば全治させることができるのではないかと思うのであります。只今も極く初期の患者でありますれば殆ど全治にまで導くことができておるような状態でございます。」と述べている。

 次いで、光田は、患者の収容強化について、「癩は家族伝染でありますから、そういうような家族に対し、又その地方に対してもう少しこれを強制的に入れるような方法を講じなければ、いつまでたっても同じことであると思います。(中略)ママ強権を発動させるということでなければ、何年たっても同じことを繰返すようなことになって家族内伝染は決してやまない」、「手錠でもはめてから捕まえて、強制的に入れればいいのですけれども (中略)ママちよっと知識階級になりますと、何とかかんとか言うて逃がれるのです。そういうようなものはもうどうしても収容しなければならんというふうの強制の、もう少し強い法律にして頂かんと駄目だと思います。」、「神経癩であろうと、癩の名のつくものは私どもはやはり隔離しておかねばこれはうつるものだというふうに考えるのであります。」と述べている。また、断種等については、「予防するにはその家族伝染を防ぎさえすればいいのでございますけれども、これによって防げると思います。又男性、女性を療養所の中に入れて (中略)ママ結婚させて安定させて、そうしてそれにやはりステルザチョン即ち優生手術というようなものを奨励するというようなことが非常に必要があると思います。」と述べている。また、治療については、「ひどく癩菌が増殖して潰瘍をつくる、その潰瘍を治癒せしめるということだけはできるのでありますけれども (中略)ママ神経繊維の再生はできないのであります。それでありますから依然として癩菌が少くママなったから、これを出すことができるものならいいが、依然として、そういうような患者さんは外部において又いろいろの職業に従事いたしまするというと、又ひどく破壊が起るのであります。現在の有力なる治療でも再発を防ぐということはなかなか私は難しいように思うのであります。」と述べている。また、療養所内の秩序維持については、「療養所の中にいろいろ民主主義というものを誤解して患者が相互に自分の党を殖やすというようなことで争いをしているところがございますし、それは非常に遺憾なことで、患者が互に睨み合っているというようなことになっておりますが、これは患者の心得違いなのでありますが (中略)ママこういうような療養所の治安維持ということについて、いろいろ現状を調べましたり、強制収容の所をこしらえたり、各療養所においてしておりますけれども、まだまだこれが十分に今のところ行届きませんので、こういうようなことをもう少し法を改正して闘争の防止というようなことにしなければ、そういうような不心得な分子が院内の治安を紊し、そうして患者相互の闘争を始めるようなことになるのでありますから、この点について十分法の改正すべきところはして頂きたい」、「逃走罪という一つの体刑を科するかですね、そういうようなことができればほかの患者の警戒にもなるのであるし (中略)ママ逃走罪というような罰則が一つ欲しいのであります。これは一人を防いで多数の逃走者を改心させるというようなことになるのですから、それができぬものでしょうか。」と述べている。

 さらに、宮崎も、患者の収容強化について、「癩の数を出しますことは古畳を叩くようなものでありまして、叩けば叩くほど出て来る」、「癩は努力すればするほどそれに比例して効果が挙るものだと思っております。反対に折角やった癩予防対策も中途半端なものでありますれば、いつまでも解決いたしませんで長く禍根を残す。癩問題はやるならば徹底的にやるという方針をとって頂きたい (中略)ママ徹底的にいわゆる完全収容、根本的に解決をして頂くということにして頂きたいのでございます。」、「戦争状態の回復に従いまして癩も又当然減少して来るとは考えますが、この際癩予防対策の度を決して緩めないように、最後の完全収容に向って努力を傾注して頂きたいのであります。」、「現在の法律では私どもはこの徹底した収容はできないと思っております。 (中略)ママいわゆる沈殿患者がいつまでも入らないということになれば、これは癩の予防はいつまでたっても徹底いたしませんので、この際本人の意思に反して収容できるような法の改正ですか、そういうことをして頂きたいと思っております。」と述べている。一方、治療については、「癩の治療医学は最近非常に進歩して参りまして、林園長もお話になりましたように、私ども今までにない画期的な希望を持っております。」としつつ、「如何に特効的な治療薬ができましても、すでに欠損した体の一部分は再生して参りませんし、畸形になった部分は元に復するということは困難であります。(中略)ママ医学的にこれは治癒したと申しましても社会復帰ができない状態になります。(中略)ママ社会的復帰ができないということは、不治と同じであります。(中略)ママ治りましたならば直ちにこれが社会復帰のできるような状態で早期の治療をするような国としての措置をとって頂きたい」と述べている。

 なお、委員長は、冒頭に「我が国癩予防は最近著しく進歩を遂げ、患者も夥しく減少して参りました」、「幸いに治療法も進んで参りましたようであります」として、「癩予防法も時代に即応いたしまして改正、改善等の必要を考えておるのであります」と述べている。

 この三園長発言は、結果として、新法の内容に反映されることになり、また、その後のハンセン病行政にも大きかママ影響を与えた。

 2 三園長発言の評価

 三園長発言は、患者の完全収容の徹底とそのための強制権限の付与、懲戒検束権の維持・強化、無断外出に対する罰則規定の創設等を求めるものであり、その内容もさることながら、ハンセン病患者を「古畳の塵」に例えるなど、表現の端々にも患者の人権への配慮のなさが如実に現れており、当時の療養所運営の在り方をもうかがわせるものである。

 当然のことながら、この三園長発言に対する後の評価も厳しい。例えば、大谷は、「(当時の国際的な知見から見て) 本当に信じられないような発言であります。」、「新しい時代というものを全然認識していなかった発言だと思います。」、「ステレオタィプ以外の何者ママでもない。」と証言し、また、その著書の中でも「新しい時代に全く逆行して患者の解放に歯止めをかけようとする証言」、「当時の日本のらい医学専門家の時代錯誤の見解」と評している。また、犀川は、その著書の中で「三園長が揃いも揃って、なぜ『強制収容』とか『消毒の実施』『外出禁止』などを強調されたのか、その真意のほどは理解に苦しむし、残念なことである。」と記逑している。また、成田は、意見書において、「手錠でもはめてから捕まえて強制的に入れればいい」との光田の発言について、「医師としての認識からするとかけ離れ」たものであり、「患者を罪人扱いして取り締まるという潜在意識が働いたと言われても仕方がない。」とし、その著書の中でも、三園長発言からの印象として、「光田と宫崎は非常識で頑迷」と評している。

 なお、光田の著書によると、三園長は、右発言後、入所者から糾弾を受け、光田以外は発言をあっさりと撤回したとのことである。

 七 予防法闘争

 日本国憲法施行に伴い、療養所入所者の人権意識が高まり、栗生楽泉園特別病室事件、プロミン獲得運動等を契機に入所者が団結して隔離政策からの解放を求める動きが活発になった。そして、昭和二六年二月、患者らの全国組織である全患協が結成され、これを中心として、旧法の改正運動が盛んになった。この運動は、時代に逆行するものというべき三園長発言によって、一層の盛り上がりを見せ、三園長を糾弾する動きに発展した。

 昭和二八年三月に内閣が提出したらい予防法案を入手すると、入所者らは、旧法と比べてほとんど改善されていないとして強く反発し、予防法闘争と呼ばれるハンストや作業スト、国会議事堂前での座り込み等の激しい抗議行動に入った。

 八 衆議院議員長谷川保の質問に対する内閣総理大臣の答弁書

 衆議院議員長谷川保は、「癩予防と治療に関する質問主意書」において、「現行癩予防法は、その精神において人権を無視したきわめて非民主的なものと考えられ、且つ、現下の癩行政に適合しない法律として、多くの疑義がある」として、一五項目の質問をした。

 これに対し、内閣総理大臣吉田茂は、昭和二七年一一月二一日付けで、これに対する答弁をしたが、その内容は、次のとおりである。

 1 癩予防法は、憲法に抵触するとは考えない。

 2 現行法第三条第一項の規定により、患者をその意思に反して療養所に収容することは可能である。癩患者の収容については、あたう限り、勧奨により患者の納得をまって収容するように努め、大部分はこれによって目的を達しているが、この勧奨に対してもがん迷に入所を拒否する少数の患者については、癩病毒の伝播を防止し、公共の福祉を確保するために入所命令書を交付し、入所せしめた例もある。

 3 現行法第四条ノ二の規定により、国立療養所の長が懲戒検束を行うことは可能である。

 癩療養所は、一つの特殊な社会集団であって、この集団の中において秩序を乱すものに対しては、集団からの退去を求めることが、秩序維持のために通常とられる措置であるが、癩及び癩療養所の特殊性から癩患者を癩療養所から退所させることは、公共の福祉の観点から適当でないと認められるので、国立療養所の長に療養所の秩序を維持するための懲戒検束の職権を与えることが必要である。

 この職権の行使については、慎重を期するように特に強く指導しているが、この懲戒検束の方法等については、今後とも充分検討致したい。

 10 患者が治ゆした場合において、退所の措置がとられるのは、当然のこととして規定せられていない。

 11 癩の伝染力については、種々の学説があるが、伝染性の疾病であることについては一致しており、特に小児に対する伝染力は相当強いものと考えられる。

 12 現行法については、新憲法施行後においてもこれに抵触するとは認められなかったので、改正を行わなかった。

 13 現在のところ改正法案を提案する予定はないが、今後とも慎重に検討致したい。

 九 新法の国会審議

 1 らい予防法案の提出と提案理由

 昭和二八年三月一四日、内閣かららい予防法案が提出されたが、同日の衆議院解散により、同法案は廃案となった。

 同法案は、同年六月三〇日、内閣から再び提出された。

 同法案の提出理由は、次のとおりである。すなわち、「癩は慢性の伝染性疾患であり、一度これにかかりますと、根治することがきわめて困難な疾病でありまして、患者はもちろん、その家族がこうむります社会的不幸ははかり知れないものがあるのであります。」、「〔癩予防法は) 今日の実情にそぐわないと認められる点もありますので、これを全面的に改正したらい予防法を新たに制定しようとするものであります。」というものである。また、新法六条については、「癩を予防しますためには、患者の隔離以外にその方法がないのでありまして、(中略)ママ患者の療養所への入所後におきまする長期の療養生活、緩慢な癩の伝染力等を考慮いたし、まず勧奨により本人の納得を得て療養所へ入所させることを原則といたし、これによって目的を達しがたい場合に入所を命じ、あるいは直接入所させ