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なお、奄美和光園のように、入所者が子供を持つこと自体を格別制限していなかった園もあった。

 ⑶ 医療水準・生活水準

 療養所の性質・機能は、時代とともにハンセン病本病の治療から、後遺症の治療や一般の成人病,高齢者医療に移行し、福祉施設ないし介護施設としての側面が強調されるようになっていった。すなわち、化学療法の進歩に伴って、菌の陰性者が年々増加したが、他方で、プロミンやDDS等の治療によって、L型の患者の約六割にらい反応と呼ばれる特殊な免疫反応による急激な炎症性変化 (ENL反応) が生じた。また、DDSの投与によっても症状の改善の見られない難治性患者や再発者も少なからず存在するようになった。その後、B群反応というらい反応が注目され、同様にその管理が困難となった。らい反応は、急激な炎症性変化であるため、患者にとって非常に苦痛を伴うばかりか、高い確率で患者の身体に変形等の深刻な後遺症を残した。患者にらい反応が発症した場合には、DDS等の投与を中止するほかなく、中止によって耐性菌を作り、菌が陰性とならない患者が出たりして、昭和三〇年代以降、多剤併用療法が確立されるまで、らい反応をどのように克服するかということがハンセン病の治療に当たっての極めて深刻かつ重要な課題となった。

 これらの状況の中で、後遺症を残さなかった軽症者は次々に社会復帰し、その結果、療養所には、菌は陰性になっても後遺症の重い者、化学療法の恩恵を受ける以前に入所し既に後遺症を有していた高齢者などが残ることになり、一般の成人病に罹患する者も多くなった。このような入所者をめぐる状況の変化 (高齢化、菌陰性者の増加、成人病の増加) に伴い、全患協の医療に関する要求も、これら一般疾患に対する治療体制の充実に重点がおかれることとなり、療養所における医療の課題の中心は、ハンセン病本病に対する治療から、成人病を始めとする一般疾患の治療へと変化を余儀なくされた。

 その結果、療養所の予算額は、年々入所者が減少しているにもかかわらず増額しており、特に昭和四〇年代後半以降は顕著な伸びを示している。これは入所者の居住環境の改善や医療内容の向上に対応したものである。特に、高齢者、視覚障害者、身体障害者のためのいわゆる三対策経費については、昭和五九年ころから拡大され、入所者の高齢化及び障害の重篤化に対応する手厚い措置が採られてきた。職員数についても入所者の減少にもかかわらず増員を行い、入所者へのきめ細かな対応を行ってきた。さらに、療養所施設の改築、集会場の設置など、入所者の生活状況や福祉的な措置の改善を推進するとともに、昭和四八年には患者給与金の水準を障害基礎年金一級と同額にするなどして大幅に引き上げ、入所者の経済的条件も改善された。医療面でも、昭和五四年には治療センターが療養所に次々と設置され、人工透析機が設置されるなど、当時としては先進的な医療機器を備えた。また、成人病対策として、保健活動等の予防的医療活動や、長期療養型病棟など、ハンセン病の治療施設というよりは、ハンセン病による後遺症を持ちながら高齢化してきた入所者の生活の場というの にふさわしい医療体制が整備されていった。

 なお、療養所における医師看護婦数を評価する場合、これを入所者全体の数と比較すべきではなく、病棟入院者と医師看護婦数の比較を基本として、これに治療棟への外来数を加味して評価すべきである。また、療養所内の医療水準は、自己完結的にとらえるべきではなく、委託治療体制も含めて評価されるべきである。このようにして評価した場合の療養所の医師看護婦数は、少なくとも昭和五〇年代以降、一般医療機関と比べて何ら遜色ないものであった。

 以上によれば、遅くとも昭和四〇年代以降、療養所の医療水準や生活水準は決して低劣なものではなく、また、不十分なものでもない。原告らの陳述書や供述の中には、戦前戦後の混乱期における食生活、住環境の不十分さを指摘するものがあるが、当時の状況からして、療養所だけが他に比して劣悪な状況にあつたのではない。

 ㈣ 患者作業

 患者作業は、療養所の人員が不足していた時代においては、同病者が相互扶助するという精神の下、患者ができる範囲で所内の作業をすることになったのは当時の情勢下ではやむを得ないことであった。することのない入所者あるいは若い活力を持て余す軽症者などはこれを歓迎し、また、作業によって、作業賃の給付が受けられるのは入所者にとってもメリットであった。患者自治会が、療養所との間で、どのような作業を入所者側で受け持つかを決定し、かつ、作業管理権を持ち、具体的な作業の差配は自治会がすることになった。もちろん作業は強制ではなく、これを拒否しても何の不利益もなかった。その後、患者給与金の増額や入所者の高齢化などによって、作業返還が順次行われた。

 原告らあるいは入所者の中には、全く作業経験のない者が多数存在する以上 (原告二六番、四二、一〇六、一二六番等)、患者作業による何らかの被害が共通損害となるわけではない。

 原告らは、患者作業は強制であった旨主張するが、その趣旨は自分たちが働かなければ園が立ち行かなかったという意味であって、懲戒等の強制力をもって作業をさせられたというものではない。また、遅くとも昭和四〇年代後半には、不自由者介護等入所者にとって負担となるような作業はほぼ職員が行うようになっており、患者作業は、入所者の慰安作業という性格のものになっていた。

 ㈥ まとめ

 以上のとおりであって、遅くとも昭和五三年以降において、現実の政策としては、強制・絶対・終生隔離政策、絶滅政策が採られていなかったことは明らかであり、原告らには何らの損害もない。行政としては、新法中の隔離条項を適用しない政策を行う一方、形式的に存在する右条項等を用いて入所者の手厚い福祉的措置を採ってきたものであり、この政策は入所者によって支持されてきた。感染のおそれのなくなった元患者に対しては、本来、新法に基づく福祉的措置は採れないのであって、法廃止は現実的に処遇の打ち切りにつながると考 えるのは当然の論理であり、関係者の当然の認識であった。そこで、法廃止後の処遇の維持の理論的根拠が明確にならない段階において、入所者を含め、関係者が手厚い福祉的措置を講ずる根拠として、形式的にせよ隔離条項を擁する新法を使わざるを得ないと考えたのである。

 二 法案提出について

 1 昭和二八年に新法の法案を立案し内閣を通じて国会に提出したことの違法性について

 後述のとおり、昭和二八年の法律の制定に違法性がない以上、法案提出に国家賠償法上の違法が認められることはない。

 2 平成八年まで新法及び優生保護法のらい条項の廃止法案を提出しなかったことについて

 内閣法五条は内閣の法律案提出権を認めているが、憲法上は、内閣を法の執行機関として位置付けており (憲法七三条一号、四号)、立法の補助機関としているわけではない。このような点からみると、現行法体系では、内閣に対し、積極的に法律案の提出が義務付けられているものではなく、仮に違憲の法律がある場合であっても、内閣は当然に改正法案提出義務を負うものではなく、その解消はあくまでも国会の役割とされているとういママべきである。

 そして、立法について固有の権限を有する国会の立法不作為が国家賠償法上違法とならない場合には、内閣の法律案提出権の不行使について国家賠償法一条一項の適用上これを違法と評価する余地はない (最高裁昭和六二年六月二六曰第二小法廷判決・訟務月報三四巻一号二五頁参照)。

 国会議員の立法不作為が国家賠償法上違法とならないことは後述のとおりであるから、内閣・厚生省についても、これらに関する法律案不提出が国家賠償法一条一項の適用上違法と評価される余地はないというべきである。

 三 ハンセン病患者・元患者に対する人権侵害を除去し、人権を回復する措置 (法案策定、提出を含む。) を採らなかったことについて

 1 法案不提出に基づく責任

 右二で述べたとおり、この責任はない。

 2 国家賠償法施行前の公務員の行為についての義務

 原告らの主張が、国家賠償法施行前に被告においてハンセン病患者、元患者に対し「社会的烙印」を押すという先行的不法行為を行ったのであるからその結果としての被害を回復すべき義務、差別・偏見を除去すべき義務があるというのであれば、かかる主張は失当である。

 なぜならば、右主張を認めることは、国家賠償法施行前の行為に基づく損害について国家責任を認めるに等しく、国家賠償法附則六項の規定するところとは相いれないからである。

 なお、ハンセン病に対する社会の差別・偏見は、国家賠償法施行前に既に形成されていたものであり、その後の厚生大臣及び国会の行為によって差別、偏見が増強されたということはない。

 3 国家賠償法施行後の公務員の行為についての義務

 公務員が、ハンセン病患者・元患者に対して、その人権を侵害し、被害を与えていたとすれば、右被害を除去、回復する措置を採ることは、すなわち、原状を回復し、損害を塡補することにほかならない。そして、右義務があるかどうかは、先の賠償義務があるかどうかに係ることになるので、これを独立して論ずる意味はない。

 また、原告らの主張が差別・偏見に基づく人権侵害を回復する義務をいうものだとすれば、右主張は失当である。すなわち国家賠償法一条一項における違法とは、公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背することをいうところ、ハンセン病に対する社会の差別・偏見を除去する厚生大臣の責務は、個別の国民に対して負う法的義務ではなく、厚生省設置法に基づき、公衆衛生上の施策の一つとして負担する抽象的一般的なものにすぎない。厚生大臣は、右法律に基づいて、その時々の財政、社会状況、政策課題等に基づいた公衆衛生上の施策を行う権限を有するにすぎず、しかも、その権限行使の際には極めて広範な裁量が認められているものであって、その政策の立案、実施に関連して前記の個別の国民に対する法的義務を負うことはないのである。

 第三 国会議員の責任について

 一 原告らの請求の根拠は、要するに、国会議員は、旧法の存置、新法、優生保護法の制定あるいは存置により、患者及び国民一般の間に原告を含むハンセン病患者集団に対する差別意識や偏見を形成せしめ、これにより、ハンセン病患者集団に共通損害を発生させたというものである。

 しかしながら、まず、社会に存在するハンセン病に対する差別意識や偏見は、国の立法によって形成されたものではない。

 ところで、新法廃止までの経過を見ると、時代とともに現実にひどい症状の患者や伝染性のあるハンセン病患者が減少し、存在しなくなっていき、これによりハンセン病患者を見たことも聞いたこともない人々が増加し、さらにはそれがほとんどとなり、人々の差別意識や偏見が少なくなり、なくなっていった。右のような状況は、新法の隔離条項の適用例が少なくなり、さらにはなくなっていつたことを意味し、一般人は、法の具体的適用を見ることもなくなり、これによる差別意識や偏見を抱くことはなくなった。そして、現実に新法の存在及び内容について知っている者は、ごく一部に限られるようになったのである。新法が存続し続けるそのこと自体によって、差別・偏見が形成され、助長され続けたというのは一種の観念論であって、