Page:FumotoKarei-Saturday-Kōsei-sha-2002.djvu/3

提供:Wikisource
このページは検証済みです

路傍の人としてなまなかの感情を動かさずに扱って呉れるところで、その惨めさを静かにひとりで嚙みしめて死んでゆくのが一番いいような気がする。――と考え答えた。そうだろう。こんな男は最後の最後まで働けるだけ働き続けているだけに、いよ働けなくなった惨めさは自分自身でさえ見るに忍びないことであろう。まして知っている人があって、傍から同情の言葉などかけて呉れたらそれこそ自分の惨めさを痛感して一層いたたまらママないに違いない。と思うと渥美としては今の奥田には彼のあの時の言葉通りに、彼を知ったものの居ない何処か私立の癩院にでもゆかせてやるのが一番いいのではないかと思われた。

「ねえ奥田さん泣いたりなんかして駄目じゃないの、貴男らしくもない……でもこんなに云ったからって、私が冷酷な偽善者だなんて思わないで下さい。わかりますよ、貴男の苦しみは痛いほどよくわかります。そして医者でありながらその眼をどうしてやることも出来ないという自責をも十分感じているのです。でもね、それは私の無力ばかりではなく、いまのところ癩医としてはそれに相当に研究しているのですが、まだ科学の力が及ばないのです。患者さん達のためにも、国家のためにももっと癩医学の研究が進められるような時間と設備とが癩医学者の上に与えられていたらと痛感しているのです。療養所の設備は大変よくなったが、その方面はまだですからね。研究さえ進んだら盲になる人など今の半分もなくなると思うんですがね。いまのところでは私達医者として患者さんたちには済まないのですが、この療養所でやっている治療は技術的にも学理的にもぎり一杯なのですからね。私としてはこれ以上は医者の方面以外のどんなことででも貴男方の役に立つことが出来たら自分に出来るだけのことはして上げたいと思っているのです。貴男いつか弱くなって何も出来ないようになったら、誰も知った人のいないところへ行って静かに死んでゆきたいと云いましたね。いまその時が来たのじゃないかしら、遠慮しないで下さい。そういう気持だったら私はあの話を聞いた時から、若しそういう時になったらと思って少しばかりの用意もあるのですから……ねえ、その方がいいと思ったらそうしてみない?……」

 そう云って尚渥美は返事を促したが奥田は何とも答えず、彼女の傍を離れて一足窓に近づくと、レントゲン室の細長い窓へ顔を向けてしまった。自負の強いこの男は、いまの言葉をぶしつけだと腹を立てたのであろうか。と思いながら渥美もまたしようことなしに窓の外へ眼を移した。窓の向うは各療舎と医局とを結ぶ花崗岩の舗道になっていて、皇太后陛下から下賜された楓の街路樹は既に秋の色を漂わせはじめている。その下をいま一人の松葉杖の男に蹤いて中でも感のよい盲人が杖を使いながらもう二人の盲人を杖から杖へ珠数繫ぎにして、元気に声をかけ合いながら歩いていた。渥美はその三人の盲人の後へ杖の先を前の男に曳かれながら蹤いてゆく奥田の姿を置いてみようとしたが、それはあまりにも惨め過ぎて考えてみるに忍びなかった。働けるだけ働き得る強さをもった彼は、働ける間に於ては全く癩の宿命をさえ乗越えた強さをもっていた。しかし、それだけに働けなくなった時の彼は、誰にも増して不幸になるのではあるまいか。と考えながら、舗道の四人の姿が窓枠の蔭へ隠れてしまうのを見送っていると、奥田の身の上がひどく思いやられて来て涙ぐましくなり、急に奥田の方へ眼を移した。奥田はいまの舗道の場ママ景を見たものか、見なかったものか、高く澄み切った初秋の窓空を凝乎と仰いでいた。血をふきそうに充血したその左眼には何が映っているであろう。そして瀬戸物細工の義眼を嵌めたその右眼には何が映っているであろう。渥美の眼に見えたものは、彼の眼からすると頰を伝わって落ちる涙の線だった。

 泣け泣けるだけ泣いて涙で洗われて清澄になった気持で、何でもいい、どんなことでも云ってみるがいい、たとえそれがどんなことであっても私はそれを聞き届けてやろう。

 と胸のつまる思いで、そう心に決しながら渥美は眼を閉じた、静かに眼を閉じていると、彼女の脳裡を掠めて、数知れぬ人間の顔が次から次へと行列のように過ぎて行った。それは皆、彼女がここへ来て軈て十年