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「これね、出来たけど、又ほんの少しよ」

 千耶子は機嫌をなおそうとするように柚崎に自分の身体をすりつけ耳元へ口を寄せて囁き乍ら彼のオーバーのポケットへ持って来た小さな紙包を深くさし入れた。柚崎は返事をする代りにグラスから眼を離して、依然不機嫌に彼女の顔を一寸見てすぐに立ち上った。そして、はずれて居たオーバーのボタンを掛け乍ら出口の方へ歩き出した。

「アラ、もう帰るの?……」

 周章てそう云った千耶子の声はたよりない哀調をおびていた。その哀情を感じてか彼は、

「ウム」と咽喉の奥で微に答えた。

「又、明日いらっしゃってね――」

 出口へ来た時千耶子は出来るだけ朗かに、情熱をこめて云った。柚崎はそれには返事もせずに街路へ出て後ろで淋しく街の灯影の中へ消えて行く自分の姿を涙さえ浮べそうな眼でじっと見送っている千耶子を知り乍ら、ヤケに不機嫌な大股でぐん歩いた。

「フム、信じられない気がするだろう。そのくせ信じられなければ信じられない程、頼らずに居られないんだよ、フウ………可愛い娘さん」

 暫く歩いてから、柚崎の色白な顔が皮肉に微笑し呟いた。そして歩き乍ら先刻千耶子が差し込んだ紙包をポケットから摑み出して開いてみた。中には拾円紙幣が二枚四ツに折られて入っていた。

「フム、相変らずこまかい奴だ」

 彼は又、口を歪めて淋しく呟いた。そして紙幣を裸のままポケットへ突込み乍ら捨てようとした包紙に書かれた文字に眼をとめて両手で紙を伸し乍ら読んでみた。

「此の頃は貴君が毎晚お友達とお出になるので、その支払だけで私一ぱいですの、で今晚はおかみさんに借りてお上げします。少しばかりですが悪しからず、これからはもっともっと働きますからね、色々と書きたいことばかりですが急ぎますから、では又………」

 上手ではないがほっそりと丁寧な字だった。

「しっかりしている女給ではない、貞淑なマダム型だ」

 柚崎は淋しく呟いた。彼は今迄こうした自分の行為を善いとも思わなかったが、自責の念を起すようなこともなかった。併し、今宵の彼は自分の行為が責められて哀愁に捉らわれた。街の灯が千耶子の悲しい眸のようにうるんで見えた。彼の足は何時か歩行を止めていた。不良仲間でもドンファンと云われて、秀麗な容貌と、長けた才能とを持つ彼は今夜のような仕事にかけては相当自信があった。そして令嬢と云わず、女学生と云わず、マダムと云わず、触れ合い知り合う女と云う女を片ぱしからたぶらかして来た。だが彼が自分の行為を今夜のように淋しく感じたことは初めてだった。彼は舗道の真中に暫く佇って居た。市街は尚かなりな人通りだった。彼は何時になく弱った自分の心を蔑むように今迄片手に持っていた紙片を無雑作に掌中にまるめて後方へ投げ捨て、日本人ばなれのしたシークな足どりで大股に傍の書店へ入って行った。


2


 千耶子からとった紙幣の大方を支払って買求めた書物を小脇に挟んで、柚崎は間借している自分の住居へ帰って来た。彼はこんな類の青年には珍しく清楚な生活をしていた。不良青年にはなれた彼も放蕩児にはなり得なかったのだ。斯うして得た金は殆んど病的に好きな読書の為めに消費されていた。彼の部屋にはそうして買い集めた書物が所狭き迄に積まれてあった。彼はその大部分を一通は眼を通していた。