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証拠調期日(昭和年月日) 証拠調をした
場所(都市)
証拠調の内容
1 四七・ 三・ 八 仙    台 証人尋問
2 四七・ 三・二七~四七・ 三・三一 弘    前 証人尋問、検証
3 四七・ 四・ 一 八    戸 証人尋問
4 四七・ 七・一〇 東    京 右  同
5 四七・ 七・一九 仙    台 右  同
6 四七・ 八・ 八、四七・ 八・ 九 東    京 右  同
7 四七・一二・一九 東    京 右  同
8 四八・ 九・二六 弘    前 右  同
9 五一・ 三・ 五、五一・ 三・ 六 東    京 右  同
10 五一・ 三・二五 仙    台 右  同
11 五一・ 四・二六 仙    台 右  同
12 五一・ 五・三一 仙    台 右  同

する謝礼(記念品代)、原告隆本人の出廷旅費、弁護士の調査旅費等の諸経費 金七〇万円

⑷ 補償金の受領

 原告隆は、昭和五二年八月三〇日、刑事補償法に基づく補償金として金一三九九万六八〇〇円の交付を受けた。

㈡ 原告らが相続した亡〔丁2〕の損害
⑴ 財産的損害

 亡〔丁2〕は、昭和二四年当時、(イ)弘前市大字在府町〔略〕、宅地二九二坪五合、(ロ)同所所在、家屋番号大字在府町〔略〕、木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建居宅一棟、建坪三三坪五合及び(ハ)同平家建物置一棟、建坪四坪五合を所有していたが、昭和二六年一月二七日と同年一二月一九日の二回にわたり、代金合計六六万三五〇〇円で右土地建物を売却し、その売却代金の半額を原告隆の弁護人に対する支払いや裁判記録の謄写費用等に費やした。これは、不法行為としての本件捜査、訴追に対する防禦活動のために支出を余儀なくされた金員であるから、原告隆に対する不法行為と相当因果関係があることは明らかである。しかも、この損害は、二八年後にしてはじめて損害賠償請求が法的にも可能になったものであるから、損害額の算定にあたって単純に二八年前の交換価格を基礎にすることはあまりにも不当である。本件においては、支出を強いられることになった金員を工面するために資産を売却するという形で失うに至ったその経済的事象全体を見なければ、損害の実態を正確に見たことにはならない。そこで、亡〔丁2〕が売却の形で失った前記土地建物を現在買い戻すと仮定した場合の価額を算出し、その半額は損害として当然に請求しうると解すべきである。ところで、売却した土地の昭和五四年度の固定資産税評価額は八六二万八九七二円(建物は現存しない。)であるから、これと時価との常識的な金額差を考慮したうえ、右の考え方に従うとすれば、亡〔丁2〕の財産的損害として金八五〇万円は少なきに失することはあっても、多額に過ぎることはない。

⑵ 慰藉料

 亡〔丁2〕は、関係各機関の前記不法行為により、突然わが子に殺人犯の汚名が着せられることになり、その社会的名誉を一挙に失った。特に同人は長い間裁判所に勤務していた経歴を有する者であるだけに、その後の生活は、社会生活の前面に出ることが非常に困難になり、俗にいう日影の生活に陥ってしまったことは理解に難くない。同人はいつか冤罪を晴らすべく、服役中の原告隆を激励し、かつ、再審請求のため多大の努力を続けたが、ついにわが子が汚名を晴らす様子を見ることもなく、永遠の眠りについた。このように、亡〔丁2〕の被った精神的苦痛は、原告隆が生命を害されたときにも比肩すべきものであるから、自己の権利として慰藉料を請求しうるところ、その慰藉料額としては少なくとも金五〇〇万円が相当である。

⑶ 相続

 原告らは、昭和四六年九月一七日、亡〔丁2〕の死亡により、同人の被告に対する右⑴及び⑵の損害賠償請求権を別紙㈠の請求金額明細表中「亡〔丁2〕の損害賠償請求権の相続分」欄記載のとおり相続した。

㈢ 原告とみ

 原告とみは、亡〔丁2〕と同様の事由により、原告隆が生命を害されたときにも比肩すべき精神的苦痛を被ったから、自己の権利として慰藉料を請求しうるところ、その慰藉料額としては少なくとも金五〇〇万円が相当である。

㈣ その余の原告ら

 その余の原告らは、すべて原告隆の弟妹であり、昭和二四年八月当時、原告〔丁6〕が婚姻により、原告〔丁7〕が勤務のため別居していたほかは原告隆と同居していた者であるが、原告隆が殺人者の汚名を着せられたため、ある者は嫁ぎ先で夫の実家及びその親族から一切の交際を断たれ、夫死亡後は全く没交渉となり、先祖の祭祀にすら関与させられない扱いを受けるに至った。また、ある者は、看護婦としての勤務も担当患者から拒まれ、勤務先からは国家試験受験手続すらとってもらえず、昇給等でも差別されたうえ、国立病院から退職を余儀なくされたため、劣悪な条件で私立病院を転々とせざるを得ない事態に至った。また、ある者は教職に留まることが許されず、辞して他に転職せざるを得なくなり、ある者はい