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二十五日。家書到る。

二十六日。賀古鶴所の書到る。

二十七日。「オステルン」の祭日 Osterfeiertage は此日を以て終り、大學開講す。

二十九日。索遜軍團醫長軍醫監ロオト Wilhelm Roth 氏德停府より來り、諸大學敎授及軍醫とカタリイネン、ストラアセ Katharinenstrasse なるバウマン Baumann の酒店に會す。余も亦與る。ロオト氏は鬚眉皆白し。然れとも談笑の狀少年の人の如し。此人は方今獨乙國軍醫の巨擘なり。余の面を見て、人の介するを待たずして、卿は二等軍醫森氏ならずやと呼び掛け、松本總監、橋本軍醫監等の近况を問ひたり。又云く。五月十三日負傷者運搬演習を德停府に擧行す。請ふらくは來觀せよと。余喜びて諾す。此日眼科敎授コクチウス Coccius 及病躰解剖科敎授ビルヒ、ヒルシユフエルド Birch-Hirschfeld と相識る。

五月二日。大學正廳 Aula に往きてビルヒ、ヒルシユフエルドの初講を聞く。細菌學の沿革及其病躰解剖學との關係を題とす。

三日。トツトマンに招かれて晚餐す。未亡人シユライデン氏、處子シユワアベ氏 Frau Dr. Schleiden, Fräulein Schwabe と相識る。シユライデン氏の夫は著名の博物學士なりき。その植物學の書盛に世に行はる。未亡人は神怪の事を好み、所謂幽靈說 Spiritualismus を信ず。又少く音律に通ず。シユワアベ氏は美貌の少女なり。其語を聞けば、口吻丈夫に似たり。

七日。未亡人に招かれ、馬車を倩ひてそのゴオリス Gohlis の居を訪ふ。來責のゴオリスあるは、猶東京の向島根岸あるが如し。家の四隣には櫻桃乱れ開く。春雨霏々たる中、時に鳥聲を聞く。筵に與る者をトツトマン夫妻、トリエスト Triest うまれの婦人某等とす。シユワアベ氏客を待つこと甚慇懃なり。此日始めてその未亡人の家に寓するを知る。

十二日。午前八時三十分ウユルツレルと共に滊車に上りて、來責を發す。一村を過ぐ。菜花盛に開き、滿地金