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に一封書奇數行啼と題したり。披けば紅葉いくひらか机上に翻りぬ。葉の上に題したる詩に。只知君報國滿腔氣、泣對神州一片秋の句ありき。

明治十八年一月一日。こゝの習にては、この日の午前零時に元旦をいはふ。われは此時をば、水晶宮 Krystallpalast の舞踏席にて迎へぬ。おほよそ一堂に集へるもの、知るも知らぬも、「プロジツト、ノイヤアル」Prosit Neujahr ! と呼び、手を握りあふことなり。

四日。丹波敬三、飯盛挺造伯林より來ぬ。萩原の宿にて、日本食調へて饗しつ。

七日。日本茶の分析に着手す。

八日。水晶宮に往きて假面舞を觀る。われは飯島と共に土耳格帽を戴き、黑き假面を被りて入りぬ。

十八日。索遜王國第八步兵聯隊の一等軍醫ウユルツレル Würzler 余を延いて、陸軍中將 モンベエ Monbey 大佐 ロイスマン Leusmann 及ひ軍醫正マイスネル Meissner を訪ふ。中將は偶〻家に在らず、餘の諸氏は快く余を延見したり。

十九日。聯隊の「ミリテエル、カシノ」Militaer-Casino に至る。「カシノ」は猶我陸軍の偕行社のごとし。軍人と交る便あり。

二十三日。ホフマン師の家に晚餐す。

二十六日。家書到る。

二十七日。木越大尉ケムニツツ Chemnitz より至る。西南の役に少尉たりき。銃丸腹を洞し背より出でにきといふ。

二十九日。木越を送りて停車塲に至る。踏氷の戲 (Schlittschuhfahren) を看る。此地白鳥池 Schwaneteich と白馬池 Schimmelteich とあり、皆その堅氷を(Sic)ぶを候ひて、池畔に絃管を奏し、男女氷履を穿き、手を携へて氷面に遊戲す。