ヲオル Frau Eduard Wohl といふ寡婦の家の一房を借る。日本の二階に當るところなり。獨逸語にては平屋を第一
朝餐は咖啡と麵包とのみにて、房錢は其價をも含めり。午餐と晚餐とは、料理屋にゆきてなすもよし、又家ありて人を集へて飮食せしむ。われはリイビヒ街 Liebigstrasse 3 なるフオオゲル Frau Vogel といふ媼の許に食ひに行くことゝせり。フオオゲル一家はあるじなる五十許なる媼の外、その娘にてこれも寡婦なる二十許なる女あり。書生には獨逸人ヘエネル、ワウエル、ヘツセ Haenel, Wauer, Hesse 希臘人トラノス Tranos 米人ドイステル Deuster あり。トラウミユルレル Traumueller といふ英人とマイ Mai といふ肥えたる獨逸人とは商賈なり。ルチウス Fraeulein Lucius といふ二十五六歲と覺しき處女のいつも黑き衣着て、面に憂を帶びたるもあり。飯島魁もこゝに來て食へり。
衣は軍服にて伯林に着きしに、陸軍卿見て、目立ちて惡しければ、早く常の服誂へよと敎えられぬ。
房錢は月ごとに四十馬克、午餐と晚餐と五十馬克、これに薪炭料、衣を澣ふ料など合せて百馬克ばかりなり。
二十四日。大學の衞生部に往く。衞生部はリイビヒ街にあり。これより日課に就くことゝなりぬ。
朝起き出つるは、ヨハンネス寺 Johannes Kirche の鐘七點を報ずる頃にて、糧を裹みて途に上る工匠、書を挾みて學校に上がる兒童など、窓の外を過ぐる見ゆ。九時に近くに及びて、大學に出づ。おほよそ獨逸の都會のうちにて、ライプチヒの如く工塲多きはあらじ。煤烟空を蔽ひて、家々の白堊は日を經ざるに黑みて舊りたるやうに見ゆ。さるをわが大學にゆく途に、ヨハンネス谷 Johannesthal といふ處あり。籬にて圍みたる小園あまたありて、その中に小さき亭などあり。こは春夏の候に來て遊ばんために、富人の占め居るものとぞ。大學より歸れば、