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いかに、これだに善く觀ば、洋行の手柄は充分ならむといはれぬ。

十四日。又橋本氏を音信れぬ。衞生學を修むることに就きて、順序をたづねしに、先づライプチヒ Leipzig なるホフマン Franz Hofmann を師とし、次にミユンヘン Muenchen なるペツテンコオフエル Max von Pettenkofer を師とし、最後にこゝなるコツホ Robert Koch を師とせよと諭されぬ。われ、さらば直にライプチヒへゆかむといひしに、卿の立たせ玉ふを送りて後にせよと留められぬ。

十五日。夕暮にカルヽ Karl 街なる酒店「クレツテ」Klette にて、岩佐侍醫、樫村敎授及橋本氏を送る會ありて、御國人十七人集ひぬ。舊識なるは、三浦信意、靑山胤通、佐藤三吉などなりき。加藤弘之大人の令息照麿にも此時始て逢ひぬ。

十八日。橋本氏を送らんとて停車塲 Anhalter Bahnhof にゆきぬ。

十九日。三浦中將の旅宿 Zimmerstrasse 96 を訪ふ。色白く鬚少く、これと語るに、その口吻儒林中の人の如くなりき。われ橋本氏の語を吿げて、制度上の事を知る機會或は少からむといひしに、眼だにあらば、いかなる地位にありても、見らるゝものぞといはれぬ。午後ミユルレル Mueller といふ人來ぬ。こは橋本氏の使ふ文章家にて、シヤルンホルスト街 Scharnhorststrasse 7 に住めりとぞ。一等軍醫キヨルチングが宅なるグロオスベエレン街 Grossbeerenstrasse 67 を訪ふ。この人はチユウリンゲン Thueringen 步兵聯隊本部の醫官にて、今陸軍省に在りて庶務を行ふものなり。

二十日。陸軍卿を送りて停車塲 Anhalter Bahnhof に至る。別るゝとき風土に侵されざる用心せよといはれぬ。

二十二日。午後二時三十分、滊車にて伯林を發す。ライプチヒに達せしは五時三十五分なりき。萩原三圭迎へて旅店 Hôtel Stadt Rom に至る。

二十三日。ホフマンの許にゆく。この人瘦長にして意態沈重なり。午後府の東北隅タアル街 Thalstrasse なる