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る。而して二十五杯を傾る者は稀なりと爲さず。乃ち十二「リイトル」半なり。余は僅かに三杯を喫することを得。是を極量と爲す。盖し諸生輩の嘲笑を免かる可らざる者あり。

七月一日。家書到る。橋本綱常氏軍醫總監に任ぜらるゝを聞く。

十二日。家書到る。

十五日。一等軍醫の辭令到る。

書感
一片天書渡海來。千金何意買駑駘。自慙恩澤由報。又拂牀頭卷帙埃。

十九日。萩原、佐方と共に水晶宮苑に至り、二氏を請ひて葡萄磴 Weinterrasse に坐す。苑の此磴あるは猶酒廛の客房 Weinstube あるが如し。葢貴客の坐處なり。既にして晚餐畢り、葡萄酒の瓶も仆れたるとき、余は方纔二氏に向ひ、官等昇進の爲め心計の祝筵なれば、更に一盞を傾けて歡を竭されんことを乞ふといふ意を演べ、三鞭酒を薦め、此より苑內を遊步せり。此夜も合奏 Concert ありて苑內に遊客頗る多かりき。

二十五日。ベルツ師又來責府に來り、余が試驗室を訪はる。曰く。日本に赴くこと近きに在りと。此夜家書又到る。石黑軍醫監の書封中に在り。

頃日來此地暑甚しかりき。唯雨過ぐる後心神始めて爽然たり。初夜月に乘じて逍遥苑 Promenade (府の舊郭を擁する街樾なり) に至る。處々に椅榻あり。然れとも多くは少年男女の爲に占められて、空榻を得ること殆ど稀なり。然れども此輩相偎し相倚る狀、慣れ見る故を以て奇と爲すものなし。暑中諸生輩は扁舟に棹してプライセ Pleisse と名づくる小渠を溯洄するを無上の樂とす。余は與らず。此一二日は天候一變し、冷雨窓を打ち、夜は纊を襲ぬる程なり。

頃日又十字街頭に老婦の小車を停むるあり。是れ櫻の實を賣るなり。圓斗にて量り、新聞反古を卷きて之を包む。これを「ヂユウテ」 Dute と名づく。一包五乃至十片錢 Pfennige なり。貴婦人と雖、此卷紙を手にし、且食ひ且行く。恬として愧づる色なし。實の大さ拇指頭の如し。味甚美なり。櫻賣の小車は巨獒に牽かしむ。亦奇