Page:Doitsu nikki(diary in Germany).pdf/15

提供:Wikisource
このページは検証済みです

なり。

三十日。夕、友人等强いて勸めてプライセ Pleisse に遊ばしむ。友人等の曰く。艣を搖すことは吾等自ら任じて、敢えて君を勞せずと。午後八時家を出て二三の街 Peterssteinweg, Zeitzerstrasse, Suedstrasse を過ぎ、槍橋 Spiessbruecke に至る。河岸處々に今戶渡口の渡守の板屋の如きものを作れり。此〻にて舟を借るなり。舟は日本にて競漕に用ゐるものに似て一梃艣より三梃艣までの差あり。舟首には黃燈、舟尾には赤燈を點じ、其進退を識別す可からしむ。余等も亦舟を借り、河上に泛ぶ。河幅は狹くして、僅に二舟を並び行る可し。游人甚多し。舟多くは美人を載す。或は風琴を奏し、或は唱歌す。既にして二橋の下を過ぎ、河幅少く開く。忽ち十五六の少女の服飾陋しからざるが、自ら漿を蕩するを見る。友人余を顧みて曰く。君彼女兒に愧ぢざるやと。余因りて戲に棹郞を學びしが、兩腕の運動齊一ならず、心を右腕に用ゐれば左腕主とする所を失ふ。乃ち啞然として大に笑ふ。然れども數十分の後には筋肉の共動宜きことを得て、復た他人に讓らざるに至れり。未だ幾ならず。數點の燈火水に映ずるを見る。盖し水に架したる酒亭なり。(Restaurant von Frau Bastanier)

舟を此に繫ぎ、醃魚と麥酒とを求む。既にして纜を解きて南行す。兩岸密樹鬱蒼、梢間より洩れ出づる月光は波面に數條の帶を畫き、淸風徐に來り、人をして羽化の想あらしむ。コンネヰツツ Connewitz の近傍より舟を廻らし、夜十二時家に歸る。友人はグスタアフ、ワグネル Gustav Wagner ヒヨオゼル Hoesel 等なり。

二十七日。德停客舘 Hôtel zu Stadt Dresden の園中に花燈會を開くを聞く。往いて觀る。我に所謂酸漿提燈なり。長き者は略〻我國の提灯に似たれども、圓き者は形毬の如し。其工の粗拙笑ふ可し。葢し器械の用盛なる國にては、赤手にて物を製することは段々拙くなるものなり。我國提灯の美なるは、猶蝦夷人の轆轤を用ゐずして作れる盆のごとき歟。

八月二日。米人トオマス Thomas と逍遥苑 Promenade を周り、歸途其居を訪ひ。「オツペンハイメル」 Oppenheimer 酒を酌みて談話す。トオマス Thomas は性質溫和にして言辞虛飾なし。余其人と爲りを愛す。談偶〻婚嫁に及ぶ。トオマス Thomas 悽然として云く。余は終