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明は常に照々たり、その靈明人意に渡らず、自然より發見して、よく其善惡を照らすを良知と云ふ。かの天神の光明なり』と。何ぞ其語のアイザツク、ペニントン及び他の神秘哲學家の說と一に調を諧しくするの甚しきや。予は思へらく、神道の簡易なる敎義に現はれたるが如き日本人の心は、特に陽明の敎理を納るゝが爲に開放せられたるものなりと。陽明は良心不惑の理を、極端なる超自然主義に馳せ、良心は即ち善惡邪正を糺すと共に、又た心理的事實、物質的現象をも鑑別するの能ありとせり。其唯心說は、バークレー若くはフイヒテを凌駕するに至らずとすとも、少くとも彼等と齊しく、人智以外に物體の存在することを否定するものなり。陽明の說は、唯我獨尊主義ソリプシズムに傾きて、或は不合理