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して、之を支ふるに高き道義の有る無かりせば、武士の理想の武士道シヴアリーに到達せざりしこと幾許大なるべきぞ。歐洲の基督敎は騎士ナイトによりて、恣に解釋適用せられたりと雖、尙ほ此れによりて、其武士道に供するに、靈性の因素を以てしたり。ラマルタン曰く、『宗敎、戰爭、名譽は、圓滿なる基督敎武士の三魂なり』と。而して日本武士道の淵源は單に二三にして止まらず。


ラスキンは醞藉好和の人なり。然るに又た奮鬪的生涯の崇拜者とし、熱火の精神を以て、戰爭を是認せり。其書『橄欖の冠』中に曰へることあり。『予が戰爭を以て、凡百の藝術の基礎なりと云ふものは、又た戰爭が、人間界凡ての道德、及び技藝の根本なりとの意をも含めり。予にして此理を發見するに至りたるは、自から亦た怪訝し、畏怖すと