Page:Bunmeigenryusosho1.djvu/59

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齡は若し、翁は多病にて歲も長けたり、往々此道大成のときには迚も逢ひがたかるべし、人の生死は預め定めがたし、始て發するものは人を制し、後れて發するものは人に制せらるといへり、此故に翁は急ぎ申すなり、諸君大成の日は、翁は地下の人となりて草葉の蔭に居て見侍るべしと答へければ、桂川君などは大に笑ひ、後々は翁をあだなして草葉の蔭と呼び給へり、斯ることにて年月は行過ぎ、白駒の隙過るよりも早く、とかくせし間に三四年の月日を重ね、逐々世の人も聞傳へて尋來るもありしゆゑ、西洋所說の臟腑經絡骨節等、其既に知る所を以て、大凡は其眞面目を語り示せるほどにはなりたり、

○解體新書未だ上木の前なりしが、奧州一の關の醫官建部淸庵由正といへる人、はるかに翁が名を聞傳へて、平生記し置たる疑問を送りし事あり、其書に記せし事ども、我業に就きては感嘆する事多く、これまで相識れる人にもあらず、翁と志を同うするも千里一契なり、其書にいふ、これまでの阿蘭陀流外科片假名書の傳書を、此術の基とするまでなるは扨々殘念なり、世に有識の人出でゝ、昔し漢土にて佛經を翻譯せしごとくに、阿蘭陀の書をも和解なしたらば、正眞の阿蘭陀醫流成就すべしと記せられたり、これは其時より、二十餘年前よりの懸念ときこえたり、實に其見解感ずるも餘あり、はからずも翁其人にあたりしを抑躍し、吾等の知己千載の一奇遇なりと答書を報じ、夫れより徃復絕ずして書信を通じ、其緣によりて品々の事もあり、門人等其書通を書きあつめ、蘭學問答と名け留たり、〈後に子弟等藏版となしぬ、和蘭醫事問答と題せしものはこれなり、〉

○翁は元來疎漫にして不學なるゆゑ、可成りに蘭說を飜譯しても、人のはやく理會し曉解するの益あるやうになすべき力はなく、去れども人に託しては我本意も通じがたく、やむことなく拙陋を顧ずして自ら書綴れり、其中に精密の微義もあるべしと思へる所も、解しがたき所は、疎漏なりと知りながらも强て解せず、惟意の達したる所ばかりを擧置けるのみなり、譬へば京へ上らんと思ふには、東海東山二道ある事を知り、西へと行けば、終には京へ上り着くといふ所を第一とすべしと、其道筋を敎るまでなりと思ふ所より、其荒增の大方ばかりを唱へ出せしなり、これを手初にして、世醫の爲に翻譯の業を首唱せしな