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のさはりとぞみえける、此知音糺手たゞしての門外迄と云しは、墓所まで送こと也、聊のよきやうの友とこそ、誠に糺手の御前にて、方人と成んこと明也、其時に臨では、我存生に有し時、獨の方人をもしをかまし物をと、悔む事疑なし、

第三十四 出家とぬすびとの事

ある法師、道を行ける所に、ぬす人一人行向て、かの僧を賴けるは、見奉ればやんごとなき御出家也、我ならびなき惡人なれば、願は御祈を以て、我あく心をひるがへし、善人と成候樣に、きせいし給へかしと申ければ、それこそ我身に安き事なれと、領承りやうじやうせられぬ、彼ぬす人もかへすたのみてそこをさりぬ、そののちはるかに程經て、彼僧と盜人と行あひけり、ぬす人僧のそでをひかへて、いかつて申けるは、われ御邊をたのむといへども、其かひなし、きせいし給はずやと申ければ、僧こたへていはく、我其日より片時もおこたらず、御邊のことをこそ祈候へとのたまへば、ぬす人申けるは、おことは出家の身として、そらごとをのたまふ物かな、其日より惡念のみこそおこり候へと申ければ、僧のはかりごとに、俄にのどかはきて、せんかたなしとのたまへば、ぬす人申けるは、これに井どの侍るぞや、我上より繩を付て其底へいれ奉るべし、あく迄水のみ給ひて、あがりたくおぼしめし候はゞ、ひきあげ奉らんとけいやくして、くだんの井どへをし入ける、彼僧水をのんで、引ども聊もあがらず、いかなればとてさしうつぶして見れば、何しかあがるべき、かの僧そばなる石にしがみ付て居る程に、ぬす人いかつて申けるは、さても御邊はをろかなる人かな、其儀にては如何祈禱もしるしあるべきや、其石はなし給へ、やすく引あげ奉らんといふ、僧ぬす人に申けるは、さればこそ御邊のきねんをいたすも此如く候よ、いかに祈をなすといへ共、先御身の惡念の石を離れたまはず候ほどに、くろがねのなわにて、引上ほどの祈をすればとて、金の繩はきるゝとも、御邊の如つよきあくねんは、善人に成難候と被申ければ、ぬす人打うなづき、かの僧を引上奉り、足本にひれふして、實にも哉とて、其よりもとゆひ切、則僧の弟子と成て、やんごとなき善人とぞ成にけり、此經をみん人は、たしかに思定、ゆるかせにすることなかれ、