Page:Bukyō shitisyo.pdf/69

提供:Wikisource
このページは検証済みです

と、皆奇の謂なり。」太宗曰く「霍邑の戰、右軍少しく却くはそれ天か、老生擒にせらるゝはそれ人か。」靖曰く「若し正兵の變を奇となし、奇兵の變を正となすにあらずんば、則ちいづくんぞ能く勝たんや、故に能く兵を用ふるは、奇正人に在るのみ、變じて之れを神にするは天を推す所以なり。」太宗俛首す。

 太宗曰く「奇正もとより之れを分つか、時に臨んで之れを制するか。」靖曰く「曹公新書を按ずるに曰く、己れ二にして敵一ならば則ち一術を正となし一術を奇となす、己れ五にして敵一ならば則ち三術を正となし二術を奇となすと、是れ大略を言ふのみ。唯だ孫武曰く、戰勢は奇正に過ぎず、奇正の變げて窮むべからず、奇正の相生ずるや、循環の端なきが如し、いづれか能く之れを窮めんと。斯れ之れを得たり。いづくんぞもとより之れを分つことあらんや。若し士卒未だ吾法に習はず偏裨未だ吾令に熟せずんば、則ち必ず之れが二術を爲し、戰を敎ふる時、各〻旗鼓を認めてたがひに相分合す。故に曰く分合變を爲すと、此れ戰を敎ふるの術のみ。敎閱みすること旣に成り、衆我が法を知り、然る後群羊を驅るが如く、將の指さす所に由らば、いづれか奇正の別を分かたんや。孫武の所謂人をかたちして我れは形なしと、是れ乃ち奇正の極致、是を以て素より分かつ者は敎閱なり、時に臨んで變を制する者はあげて窮むべからざるなり。」太宗曰く「深い哉深い哉、曹公必ず之