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は漏船の中に坐し燒屋の下に伏するが如し、智者をして謀るに及ばず、勇者をして怒るに及ばざらしむ。敵を受くる可なり。故に曰く兵を用ふるの害は猶豫最も大なり、三軍の災は狐疑にる。」

 吳子曰く、「夫れ人常に其能はざる所に死し、其便せざる所に敗る、故に用兵の法敎戒を先となす。一人戰を學んで十人を敎へ成す、十人戰を學んで百人を敎へ成す、百人戰を學んで千人を敎へ成す、千人戰を學んで萬人を敎へ成す、萬人戰を學んで三軍を敎へ成す。近きを以て遠きを待ち、佚を以て勞を待ち、飽を以て飢を待ち、圓にして之を方にし、坐して之を起し、行いて之を止め、左して之を右にし、前にして之を後にし、分つて之を合せ、結んで之を解く、變ずる每に皆習うて乃ち其兵を授く、是れを將事といふ。」

 吳子曰く、「戰を敎ふるの令、短者は矛載ぼうげきち、長者は弓弩きうどを持ち、强者は旌旗を持ち、勇者は金鼓を持ち、弱者は厮養しやうを給し、智者は謀主となり、鄕里相比し、什伍相保ち、一鼓兵を整へ、二鼓陣を習ひ、三鼓食に趁り、四鼓嚴しく辨じ、五鼓行に就き、鼓聲聞き合し然る後ち旗を擧ぐ。」

 武侯問うて曰く、「三軍進止豈に道あるか。」起對へて曰く、「天竈にあたる無れ、龍頭に當るなかれ。