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Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/792

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ば學習ひしものゝアヽテレヤンドウといひしを、その甲必丹カピタンヤスフルハンマンステアルといふもの、召ぐして出合たり、〈彼地方のことばといふはラテンのことばといふ事也詳に下に見えたり〉これによりて、彼人こゝに來れる事の由は聞えて、其由をもて、奉行所の注進あり、〈後にきくに、彼人、阿蘭陀人に對せし禮、ことに驕れるありさまにて、阿蘭陀の人、いかにおもふ所ありしにや、ことにおそれし色あらはれき、彼國のこと葉學得しといふも、六年にして、其業を廢しければ、ことごとくには通じがたくて、その通じ得ぬ所々は、かの人いひをしへてのちに、其事を解したりといふ也〉そのゝち長崎よりして、又こゝに送り致せし事は、其明年の夏の末に至て、參らせよと仰下されしによりして、去年より彼ものゝいふ事共聞なれし通事に三人つけて、九月廿五日に、長崎を出したてしに、十一月の半に來り着ぬれば、天主の法を禁ずる事つかさどれる奉行の人々に仰せて、その廳事の獄舍に按置せられし也、これより後の事共は、前にしるせし所にみえたり、奉行の人々のいひしは、彼人日々に食ふ所の物、定れる限等あり、初め長崎に至りし日より、こゝに來るに及びて、すこしも相變ぜず、〈よのつねの日には、午時と日沒の後と、二度食う、その食は、飯、汁は、小麥の團子を、うすき醬油にあぶらさしたるに、魚と蘿蔔とひともじとをゐれて、煮たるなり、酢と燒鹽とを少しく副ふ、菓子には、燒栗四ツ、蜜柑二ツ、干柿五ツ、丸柿二ツ、パン一ツ、その齋戒の日には、午時にたゞ一度食ふ、但し、菓子はその日も兩度食ひて、其數をくはふ、燒栗八ツ、蜜柑四ツ、干柿十、丸柿四ツ、パン二ツを二度食ふ、その菜の皮實等はいかにやするらむ、すてしあとも見えず、齋戒の日とても、魚をも食ふ、またこゝに來りしより、つゐに浴せし事もあらず、されと垢づきけがれし事もあらず、これらの食事の外に、湯をも水をも飮みし事もなしといふ〉その携持し袋にゐれし所は、銅像、畫像、これに供養すべき器具、法衣、念珠、此餘は、書凡十六册、また錠のごとき黃金百八十一、彈のごとくなる黃金百六十、我國元祿年製の金錠十八、我國の錢七十六文、康煕錢三十一文等あり、その中、書六册は、つねに身に隨へて、手を停めずしてこれを誦ずといふ、〈これらの物の形製等、つまびらかにしるさむ事無用也、故にここに略す〉

正德五年乙未二月中澣筑後守從五位下源君美

白石

君美原印