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西洋紀聞上卷


寶永五年戌子十二月六日、西邸にて承りしは、去八月、大隅國の海島に、番夷ありて一人來り止まる、日本江戶長崎などいふ事の外は、其言語きゝわきまふべからず、みづから紙上に數圖をしるして、ロウマ、ナンバン、ロクソン、カステイラ、キリシタンなどさしいひ、ロウマといひし時には其身をゆびさせり、此事長崎に注進す、阿蘭陀人にたづねとふに、ロウマといふは、西洋イタリヤの地名にて、天主敎化の主ある所也、ロクソン、カステイラ等のごときは、いかにも心得がたしといふ、又南京、寧波、厦門、臺灣、廣東、東京、暹羅等の人にとふにも、キリシタンといふは、邪敎の名目とは聞及びぬ、其餘の事は心得られずと申すといふ也、と仰下さる、承りて、其人、西洋の國より來れるは、一定に侍るならむ、されど、其ことばの聞得べからずと申すは、心得られずと申す、かさねて其故を尋下さる、ふるく候ひし人の申せし事を承り覺候し事も侍り、彼地方の人は、きはめてよく萬國のことばに通じ侍りければ、むかし、ナンバンの人、我國に來りし初、數日がほどに、我國のことばに通じ得て、つゐに其敎をも傳へしと申し候ひき、其法の此國に行はれし事も年久しく、其國の人常にゆきかよひ、又此法禁ぜられし時、我國の人其敎に隨ひしものども、彼國に渡しつかはされしも數多く候ひき、されば、彼國の人、此土の言葉はよく通じ候ひなむ歟、我國にもとむる事ありて來らむものゝ、其ことばに通ぜざらむには、なにゝよりてか、其志をもとげ候べき、但し五方の語言同じからずして、其中また古言今言ある事に候へば、其傳習ひし所、我國の中、いづこの人の言葉をか習ひ候ひぬらむ、ましてや、彼國の人、こゝに通ぜざる事、既に百年に近く候へば、今のこと葉に同じからぬ事も候べき歟、これらの心得したらむものして、聞かせ候はむには、いかむぞ其ことばをきゝわきまへぬ事の候べき、阿蘭陀人の申す所は、猶心得られず、ロクソンと申すは、宋元の代より此かた呂宋などしるせし國にて、其國より出し壺をば、我國の人葉茶を貯ふるに宜しとて、呂宋眞壺など申す事は、