文學士 若月保治 譯述
成業立志傳 全二册
此の書には『リンコンの人物及び其の事業』中に見えたる偉人、即ちシューワド、チェース、グラント、サムナー等の立志傅を收め、
シューワドが少壯の時、奴隸寳買の悽慘なる光景を目擊して、其の無道なる行爲に刺戟せられ、遂に大膽なる奴隸制度反對者として正義の旗を樹てたる事より、ニューヨーク知事在職中、一人の水夫が、奴隸の遁逃を助けてヴァージニア州よりニューヨーク州に逃れ來りしを、ヴァージニア知事の其の水夫を捕縳せんことを要求せるに對して、『予が此の州に知事たる間は、人を以て財產なりとは、認めざるなり。從ッて同胞を助けて奴隸の境遇より救ひ、其の自由を保護したればとて何の罪かあらん』と抗議せる顦末、幷にシューワドが、共和黨の有力なる大統領候補者としてリンコンと同時に顯はれたりしも、其の勝利はリンコンに歸し、シューワドは國務大臣となりて、リンコンを助けたる事、又斯くも根本の感情に於て、愛國心に於て、將た正義に於て、大膽に且つ献身的なるに於て、共に相類似したる二人が、米國歷史上極めて重大なる此の時期に、力を協せて國家を救濟せんと欲し、共に親交を結ぶに至りしは偶然ならざることを論じ、
グラント 將軍の肖像を挿み、其の少年時代、其の人格の要素、士官學校人舉、少尉としての初陣より、遂に北軍の總司令官となりて共和國を救ひたる顦末を叙し、
チェース が學校事業の失敗は、却ッて彼が爲めに四十餘年間の偉大なる公生涯を開くに至り、法律家として世に立ちしより、絕えず大膽に奴隸制度に反對し、又一旦逃走して後捕へられたる奴隸を屢々保護したりしが、其の高貴にして有力なる議論行動は、大に國民の望を得て、リンコンと共に大統領候補者に豫選せられ、リンコン內閣組織せらるゝや、大藏大臣となり高等法院長となりたる次第を述べ、
サムナー の性格、行動より奴隸保存者の激烈なる怨恨を受け、上院に於ける奴隸制度廢止の大演說後、南部の一議員の爲め、大棍棒を以て毆打せられ、殆んど死に至らんとする有樣を詳述し、且つ
リンコン の肖像、父母、幼時、學校敎育、移住、母の訓練、生涯の轉向機、自由の意見、就職演說、最後及び評論を揭載したり。