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大正十二年

道󠄁害󠄃調󠄁査書

緖言

大正十二年九月一日關東地方に勃發せる大地震は,相模灘及び東京灣沿岸並にその附近󠄁一帶の地域に甚大なる慘害󠄂を與へ隨て鐵道󠄁も亦未曾有の大損害󠄂を蒙むるに至れり。 國有鐵道󠄁に於ける被害󠄂區域は極めて廣汎にして,營業線路中諸建󠄁造󠄁物に多少の被害󠄂ありしも列車運󠄁轉に支󠄂障なかりし地方,及び當時建󠄁設中の線路を除外するも猶󠄁その營業哩總延󠄂長708哩,軌道󠄁延󠄂長1,093哩の多きに達󠄁し,損害󠄂復舊見積額約49,765,000圓,外に應急󠄁工事費約20,074,000圓の多額を要󠄁せり。而して地方鐵道󠄁及び軌道󠄁に於ても亦多大なる慘禍を蒙り,營業線の被害󠄂延󠄂長約311哩に亘り,損害󠄂額約25,529,000圓,外に應急󠄁修理費約8,105,000圓に達󠄁したり。

建󠄁造󠄁物の被害󠄂狀況を記󠄂述󠄁するに當り,型式を等しくせるものに就てはその被害󠄂分󠄁類的に考査することを得ば最も便󠄁利なるべきも,地質,地形,材料の善惡並に種別,施工法の適󠄃否,構造󠄁規模の大小等型式以外の要󠄁素極めて多種多樣なるがため被害󠄂の狀態亦複雜にして適󠄃確にこれを分󠄁類し難く,又󠄂各箇に就きて記󠄂述󠄁せんには徒に冗長に失するの嫌󠄁あるを以て,本報告に於ては始めこれを槪︀括的に略述󠄁し,二,三の顯著なるものに就き稍々詳細に記󠄂述󠄁するところあらんとす。

然れども震火蒼忙,生活必需品の缺乏に苦しむ當時に在りては,交通󠄁の囘復焦眉の急󠄁要󠄁せしを以て,當局者は銳意これが復舊に努めて亦他を顧󠄁るの遑なく,ために被害󠄂調󠄁査に着手するに當りては既に當時の實況を知るに由なきものあり,又󠄂區域の廣大なるため時機を逸せず一齊に精査することを得ざりしは甚遺󠄁憾なりとす。


第一編 國有鐵道󠄁

第一章 總說

這般の地震に際し直接地震動に因る鐵道󠄁の被害󠄂の最も甚しかりし區間は,東海道󠄁本線大船󠄂駿河間,熱海線國府津眞鶴間,橫須賀線大船󠄂橫須賀間,北條線安房󠄁勝󠄁山南三原間,熱海軌道󠄁眞鶴熱海間,小田原電氣鐵道󠄁會社線小田原强羅間(軌道󠄁を含む)にして,橫濱東京兩市內に於ては地震動に因る被害󠄂よりも火災に依る被害󠄂遙に大なりき。