Page:那珂通世遺書.pdf/463

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百步の射程ある者︀ありきと云へり。​末收帕哩思​​マツチウバリス​の書(五七〇頁、一二四四年の條)に、​嚕西亞​​ルシア​より遁げ來つる大僧︀正の話せる​塔兒塔兒​​タルタル​の特徴の一つは、眞直に烈しく發する砲器︀を多く彼等の有てることなりとあり。

 ​裕勒​​ユール​は、汴京の砲戰、眞州の砲戰、​呼剌古​​フラグ​の砲兵、​嚕西亞​​ルシア​の大僧︀正の談を引きたる後、「かるが故に、蒙古人支那人は、攻擊の機器︀を持ちしには相違なけれども、西人のそれらに屬する或便利□〈[#底本では印刷が薄く判読不能]〉闕きたりけんこと明なり。支那に​庫姆嘎​​クムガ​砲器︀なかりきと​喇失都︀丁​​ラシドツヂン​の云へるととは、解釋を闕けり。庫姆嘎は、恐らくは突︀兒克人.​阿喇卜​​アラブ​人の大なる砲器︀の一種に名づけたる​喀喇不嘎​​カラブガ​の誤ならん。これは、又​歐囉巴​​エウロパ​にて​喀喇巴噶​​カラバガ​・​喀剌卜喇​​カラブラ​など云へり。支那の古の砲器︀は、明に固有の物にして、その見本(第一第二第三圖)は前に示したるが(それらの圖を取れる書には六七の圖解あれども)、支那人の圖解には、分銅にて器︀械を働かする物一つも無く、皆人綱にて動かすものなり。されば蓋西方より取れる改良は、必分銅附の槓桿なりけん」と論斷せり。


19。​札馬魯丁​​ヂヤマルツヂン​。

 天文志一に曰く「世祖︀至元四年、​札馬魯丁​​ヂヤマルツヂン​造西域儀象。咱禿哈剌吉、漢︀言混天儀也。咱禿朔八台、漢︀言測驗周天星曜之器︀也。魯哈麻亦渺凹只、漢︀言春秋分晷影堂。魯哈麻亦木思塔餘、漢︀言冬夏至晷影堂也。苦來亦撒麻、漢︀言渾天圖也。苦來亦阿兒子、漢︀言地理志也。兀速都︀兒剌不定、漢︀言晝夜時刻之器︀」。曆志一を按ずるに、元の初は、金の大明曆を用ひたりしが、​耶律​​エリユ​楚材は、大明曆の天に後れたるを見て、更に推測してその失を正し、新曆を作り、「題其名曰西征庚午元曆、表上之。然不果頒用。至元四年、西域、​札馬魯丁​​ヂヤマルツヂン​、撰進萬年曆。世祖︀稍頒行之」。その後許衡、王恂、郭守敬は、「與南北日官陳鼎臣、鄧元麟、毛鵬翼、劉巨源、王素、岳鉉、高敬等、參考累代曆法、復測候日月星辰消息運行之變、參別同異、酌取中數、以爲曆本。十七年冬至、曆成。詔賜名曰授時曆、十八年、頒行天下」。その推驗の精︀しきことは、今古に卓越したりき。萬年曆は、世に傳はらざれども、必郭守敬等の參考に供せられたるならん。百官志六に、「司天監、掌凡曆象之事」とある外に「​回回​​フイフイ​司天監、掌觀象衍曆」とありて、その沿革に「世祖︀在潜邸時、有旨微​回回​​フイフイ​爲星學者︀、​札馬剌丁​​ヂヤマラヂン​等以其藝進、未有官署︀。至元八年、始置司天臺、秩從五品。十七年、置行監。皇慶元年、改爲監、秩正四品。延祐︀元年、陞正三品、置司天監。二年、命祕書卿提調監事。四年、復正四品」とあり。一八七六年(光緖二年、明治九年)北京の蒙古測天器︀につき​淮黎​​ワイリー​の述べたる面自き論文を見よ。

 又氏族表に祕書志を引きて、「​贍思丁​​シエンスヂン​(一作​苫思丁​​シエンスヂン​)、亦​回回​​フイフイ​人」と云ひて、​贍思丁​​シエンスヂン​は集賢大學士、大司徒、大司徒、


行祕書監事、提調回國司天臺事、その子布八は元統二年代父爲祕書卿とあり。


20。​奧都︀剌合蠻​​アウドラハマン​。

 蒙古の朝廷に西域の人あまた來て仕へたる中には、往往惡人もありき。太宗紀に「十一年十二月、商人​奧都︀剌合蠻​​アウドラハマン​買撲中原銀課二萬二千錠、以四萬四千錠爲額。從之。十二年正月、以​奧都︀剌合蠻​​アウドラハマン​充提領諸︀路課稅所官」。​耶律​​エリユ​楚材の傳に「自庚寅(太宗二年)定課稅格、至甲午(六年)平河南、歲有增美。至戊戌(十年)、課銀增至一百一十萬兩。譯史​安天合​​アンテンカ​者︀、語事​鎭海︀​​チンハイ​、首引​奧都︀剌合蠻​​アウドラハマン​、撲買課稅、又增至二百二十萬兩。楚材極力辨諫、至聲色俱厲、言與涕俱。帝曰「爾欲搏鬭耶」。又曰「爾欲爲百姓哭耶。姑令試行之」。楚材力不能止、乃歎息曰「民之困窮、將自此始矣」。云云。歲辛丑(十三年)、帝崩于行在所。皇后​乃馬眞​​ナイマヂン​氏稱制、崇信姦回、庶政多紊。​奧都︀剌合蠻​​アウドラハマン​、以貨得政柄、廷中悉畏附之。楚材面折廷爭、言人所難言、人皆危之。云云。后以御寳空紙、付​奧都︀剌合蠻​​アウドラハマン​、使自書塡行之。楚材曰「天下者︀、先帝之天下。朝廷自有憲章。今欲紊之、臣不敢奉詔」。事遂止。又有旨、凡​奧都︀剌合蠻​​アウドラハマン​所建白、令史不爲書者︀、斷其手。楚材曰「事之典故、先帝悉委老臣、令史何與焉。事若合理、自當奉行。如不可行、死且不避、況截手乎」。后不悅。楚材辨論不已、因大聲曰