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成吉思汗實錄續編。
太祖︀即位の時に名ざしたる八十八の功臣の內にて、元史に傳を立てられたるは、次の十人のみなり。
一。亦乞咧思イキレスの不禿ブト駙馬。
列傳卷五(元史一一八)、「孛禿ボト、亦乞列思イキレス」氏は、功臣の第八十七なる亦乞咧思イキレスの不禿古咧堅ブトグレゲンなり。太祖︀の妹帖木倫テムルンを娶り、帖木倫テムルン薨じて太祖︀の女火臣別吉ホチンベキ(豁眞別乞ゴヂンベキ)を娶り、太祖︀即位の後「從太師國王木華黎ムカリ、略地遼東西、以功封冠懿二州、從征西夏、病薨。」その子鎖兒哈ソルハは、「事太宗、與木華黎ムカリ取嘉州、降其民」とあるを、錢大昕の廿二史考異に「木華黎卒於太祖︀朝、亦無取嘉州事。嘉州、恐是葭州之譌。太宗當爲太祖︀」と云へり。また「鎖兒哈ソルハ要皇子斡赤オチ(闊出コチユ)女安禿アント公主、生女、是爲憲宗皇后」とあるを、考異に「后妃傳、憲宗皇后無亦乞列イキレ氏、恐誤」と云へれども、后妃表に出卑チユビ三皇后明里忽都︀魯ミンリフドル 皇后ありて、何氏とも云はざれば、その內の一人は、鎖兒哈の女なるべし。その外、孛禿ボトの子孫にて公主に尙したるものは、錢大昕の元史氏族表に據れば、十一人あり。