Page:死霊解脱物語聞書.pdf/7

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いわく。やれ与右衛門其方は此人〻の中にはその時の有様を。つぶさるものなしと思ふて。かくあらそふかやおろかなり。此村にも我が㝡後さいごの様子をほゞしれる人一兩人も有ぞとよ。又隣村となりむらには。たしかに見とめたるじん。一人今に存命そんめいせられしものをと云時。村人問ていわく。それはたれ人そやと。かさねがいわく法恩寺村ほうおんじむらの清右衛門こそ。まさしく此事を見られたりといへば。さしも横道わうたうなる与右衛門も。すでしやう人を出されて。あらそふに所なく。なみだをながし手を合せ。ひらにわびたるばかり也其時村の人〻。扨いかゞせんと評議ひやうぎしけるがせんずる所此かさねがうらみは。非道ひだうに彼を殺害せつがいし。わづかも其あとをとふ事なく。あまつさへかさねが田畑の所徳しよとくにてほしいまゝさいをもふけ。一人ひとりならず二人ふたりならずこりもやらで六人まて。つまをかさねし悪人なれば。其とかひとはとがめざれとも。ごふじゆくする所ありて。みづから是をあらはせり。不便びんなる事なれば。与右衛門に發心ほつしんさせ。かさねがぼだいをとわせんにはしかじとて。やが剃髪ていはつの身となれ共。道心いまだおこらざれば。功徳くどくのしるべもなきやらん菊が苦痛くつうはやまざりき

羽生村はにふむら名主年寄かさねれうたい問答もんどう之事

爰に當村たうむらの名主三郎左衛門。同年寄としより庄右衛門といふ二人の者年來としころ内外ないけでんに心をよせ。いとさかしきもの