和文 譯本ワブン ホンヤクの標題ヘウダイ。
此書の原名は、忙豁侖 紐察 脫卜赤顏モンゴルン ニウチヤ トブチヤンMongholun Niucha Tobchiyanなれども、今 和文ワブンに譯したる書に蒙古語モウココトバの名ナを題ダイしては、耳遠ミヽドオく聞キコゆ。明人の當アてたる元朝 祕史ゲンテウ ヒシの名は、久ヒサしく廣ヒロく行オコナはれたる名なれども、元朝と云へば、元史の如く一代の事を書きたる者︀の如く聞キコえて穩オダヤかならず。原名を譯して蒙古 祕史とすれば、蒙古の名は元朝よりも廣ヒロくして、蒙古 源流モウコ ゲンリウの如く近世キンセイまでの事あるが如く聞えて、元朝と云ふよりも猶ナホ 穩オダヤかならす。譯書に新アタラしき名を與ふるは屢シバ〳〵 例レイある事なれば、當アタらざる舊名キウメイを守マモらんよりは、此書の內容ナイヨウを表アラハすべき佳名ヨキナあらば、用ひまほしと考へたり。
初は蒙古 古事記モウコ コジキと名づけんかと思へり。いかにと云ふに、我が古事記コジキは、日本 最古サイコの古書コシヨにして、古傳コデンを古傳コデンのまゝに正直シヤウヂキに書き表し、古傳を硏究ケンキウするには最も善き書なるに、日本紀ニホンギ 出でて、古傳に文飾ブンシヨウを加クハへ、何事も漢︀樣カラザマに書き改めたれば、後の人は、その文の漢︀カラめきたるに眩惑ゲンワクして、その眞傳シンデンに達タガへる事を忘ワスれ、後の史書は、日本紀にのみ據る事となりたるを、近世に至り古學者︀コガクシヤ 起りて、復古フクコを唱トナへたるより、始めて古事記の貴タツト