Page:成吉思汗実録.pdf/272

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​汝死​​ナンヂノシヲ​​有來​​タリシニ​​罷​​ヤメン​)」とて、​恩賜​​オンシ​して​怒​​イカリ​を​息​​ヤ​めたり。「​違越​​ヰエツ​する​性行​​セイコウ​を​引締​​ヒキシ​めたりせば、​蒙力克 額赤格​​モンリク エチゲ​の​子孫​​シソン​に​誰​​タレ​か​齊​​ヒト​しき​者︀​​モノ​あらん」と​宣​​ノリタマ​へり。​帖卜騰格哩​​テブテンゲリ​を​無​​ナ​くなすと、​晃豁壇​​コンゴタン​の​顏色​​ガンシヨク​は​消失​​キエウ​せけるぞ。(こゝにて祕史 正集 十卷は終れり。次の二卷は、續集なり。卷八に虎の年(丙寅)の卽位を記してより この卷の初までは、功臣の恩賞、親衞の制度を定むる詔勅を列ね、次に合兒魯兀惕の降服 篾兒乞惕 古出魯克の𠞰滅、委兀惕の親附を記し、次に兔の年(丁卯)と年を揭げて、朮赤の北征、禿馬惕の征服、皇族の分民 傳相の事を記し、晃豁壇の敗滅を以て終れり。されば この集は、太祖︀ 二年 丁卯に終れるが如くなれども、古出魯克の勦滅は、太祖︀ 元年に非ずして、實は十三年 戊寅にあること甚 確なれば、篾兒乞惕の勦滅も、親征錄 集史の十二年 丁丑とせるに從はざるべからず。續集は、太祖︀ 六年 辛未の征金の役より始まりたるに、この集に已に十二年 丁丑 十三年 戊寅の事を載せたるはいかにと云ふに、そは怪むべき事に非ず。蓋この集の成れるは、征金の役の起れる後なれども、征金の役は、未 事 竣らざりし故に、後の記錄に讓りて、この集には載せず。幾兒乞惕 古出魯克の勦滅は、卷三の篾兒乞惕 征伐より、卷五 卷七の乃蠻 征伐より引續きたる戡定の大業なるに由り、その局を結ばんが爲に、太祖︀ 騰極の續きに、年をも揭げずに十餘年 後の事を附記したるなり。



成吉思 汗 實錄 卷の十 終り。