の子にはあらずや。元史に「博爾忽、 許兀愼 氏、事㆓太祖︀㆒、爲㆓第一千戶㆒、歿㆓於敵㆒、子 脫歡 襲職」とありて、脫軟の千戶となれるは、孛囉忽勒の戰死したる後の事なるが如くなれども、博爾忽の傳は、疏略の最 甚しきものなれば、脫歡を襲職と書きたるも、誤りなしとは定むべからず。)
帖木兒テムル(多遜の史に、庫余克 汗(定宗)の崩じたるのち、阿勒塔克 山に諸︀王の聚會したる時、皇后 兀古勒該米失より喀喇 闊魯木の總管たりし帖木兒を遣りて會議に預らしめたりとあるは、この帖木兒なるべし。)
篾格禿メゲトmm(卷十二に蒙格禿とある人ならん。元史 別兒怯 不花の傳に「曾祖︀ 忙怯禿、以㆓千戶㆒從㆓憲宗㆒南征有㆑功」とある人も、これらしけれども、時代違へり。)
合荅安カダアン(卽ち合荅安 荅勒都︀兒罕、塔兒忽惕 氏、卷三 卷六に見え、卷十二にも見ゆ。)
抹囉合モロカ(外には見えず。)
朶哩不合ドリブカ(卷十に朶兒別惕の朶兒伯 多黑申、元史に朶魯伯とある人は、この名に稍 似たれどもいかゞ。)
亦都︀合歹イドカダイ(卷十に亦多忽歹とあり。)
失喇忽勒シラクル(客咧亦惕 氏。元史 也先不花の傳に「也先不花、蒙古 怯然 氏。祖︀ 曰㆓失剌忽勒㆒。兄弟四人。長曰㆓脫不花㆒、次曰㆓怯烈哥㆒、季曰㆓哈剌阿忽剌㆒。方㆓太祖︀微時㆒、怯烈哥 已深自結納。後兄弟四人、皆率㆓部屬㆒來歸。太祖︀以㆓舊好㆒遇㆑之、特異㆓他族㆒、命爲㆓必闍赤 長㆒、朝會燕饗、使㆑居㆓上列㆒」とあり。失剌斡忽勒は、卽ちこの失喇忽勒なり。功臣の中に怯烈哥の見えざるは、早く死にたるなるべし。)
倒溫ダウン、塔馬赤タマチ、合兀㘓カウラン
倒溫ダウン、塔馬赤タマチ、合兀㘓カウラン(この三人も、外に見えず。)
阿勒赤アルチ(元史 速不台の傳に裨將 阿里出とあるは、この人なるべし。この阿里出は、憲宗紀に、憲宗 卽位の時、葉孫脫 按只䚟 暢吉 爪難︀ 合荅 曲憐 等と同じく「務持㆓兩端㆒、坐㆘誘㆓諸︀王㆒爲㆖㆑亂、並伏㆑誅」とあり。)
脫撒合トサカ(桑昆の子 禿撒合と音近けれども、彼にはあるまじ)
統灰歹トンクイダイ(これも分らず。元史 列傳に「鎭海︀、怯烈台 氏。初 以㆓軍伍長㆒從㆓太祖︀㆒、同飮㆓班朱尼 河水㆒。與㆓諸︀王百官㆒大會㆓兀難︀ 河㆒、上㆓太祖︀尊號㆒曰㆓成吉思 皇帝㆒」とあれば、鎭海︀は功臣に列すべき人なるに、見えず。この人は、本 田姓なりとの說もありて、長春の西游記に田鎭海︀と云へり。これに依りて强ひて考ふるに本 統灰歹と云ひしを、漢︀字に寫して田姓に配せんが爲に鎭海︀と改めたるにあらずや。)
脫不合トブカ(客咧亦惕 氏、失喇忽勒の兄なり。前に引ける也先不花の傳に見ゆ。)
阿只乃アヂナイ(元史 列傳の按竺邇と音 似たれども、按竺邇は、汪古惕 氏にして、世世 雲中に居り、父 䵣公は金の羣牧使となり、辛未の歲、その牧せる馬を驅りて太祖︀に歸したりとありて、辛未は、この年より五年 後なれば、この阿只乃に非ず。太祖︀に從ひ、黑河の水を飮み、元史に傳ある斡魯納台の阿朮魯も、阿只乃と音やゝ近し。)
禿亦迭格兒トイデゲル(これも分らず。)
薛潮兀兒セチヤウル(卽ち薛赤兀兒、豁囉剌思 氏、卷三に見えたり。元史 曷思麥兒の傳に「命與㆓薛徹兀兒㆒爲㆓必闍赤㆒」とある薛徹兀兒も、この薛潮兀兒なるべし。)
者︀迭兒ヂエデル(卷六の初に、卯 溫都︀兒 山の前を過ぐる王罕の軍を見出したる馬飼︀ 牙的兒、親征錄に也迭兒とある人と名 甚だ似たり。)
斡剌兒 古咧堅オラル グレゲン(古咧堅は、駙馬なり。この駙馬の名、考へ得ず。)
輕吉牙歹キンギヤダイ(斡勒忽訥兀惕 氏、卷三に見えたり。)
不合 古咧堅ブカ グレゲン(札剌亦兒 氏 古溫兀阿の子、木合黎の弟、卷四に見え、親征錄には不花とあり。蒙韃 備錄に「元勳、乃 成吉思 太師國王、沒黑肋 者︀、小名也。云云。弟二人、長曰㆓抹歌㆒、見在㆓成吉思 處㆒、爲㆓護衞㆒。次曰㆓帶孫 郡王㆒、