の處トコロに往ユきたりき。(札合敢不 等の成吉思 汗に降れるは、この時に在り。)そこより背ソムきて、畏忽惕ウイクト(委兀兒の複稱。唐書の回紇。親征錄 元史畏吾兒ウイウル)、唐忽惕タンクト(唐書の黨項、卽ち西夏人)の城シロを過スぐると、五匹ゴヒキの𦍩䍽クロヒツジを拘トラへて、乳チを擠シボり合アひて、駱駝ラクダの血チを刺サして飮ノみ、困窮コンキウして古薛兀兒 納兀兒グセウル ナウル(古薛兀兒 湖。親征錄曲薛兀兒 澤グセウル タク)に來キつれば、成吉思 合罕チンギス カガンは、
父の友に對タイする成吉思 汗チンギス カンの厚遇
先サキに也速該 罕エスガイ カンと安荅アンダと云イひ合アひたる緣故エンコにて、塔孩 巴阿禿兒タカイ バアトル(卷三の塔孩。親征錄塔海︀タハイ)、速客該 者︀溫スケガイ ヂエウン(親征錄雪也垓シユエカイ)二人フタリを使ツカヒに遣ヤりて、客魯嗹 河ケルレン ガハの源ミナモトより成吉思 合罕チンギス カガン 自ミヅカら迎ムカへに往ユきて、「飢ウゑて瘦ヤせて來キぬ」とて、王罕ワンカンに科斂クワレンを斂ヲサめて與アタへて、團營ダンエイの內ウチに入イらしめて養ヤシナへり。その冬フユ 次第シダイに起タちて、成吉思 合罕チンギス カガンは、忽巴合牙クバカヤに冬籠フユゴモリせり。
§152(05:12:10)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
王罕ワンカンの部下の怨言ウラミゴト
そこに王罕ワンカンの弟オトヽども官人クワンニンども便スナハち言イひ合アへらく「我等ワレラの此コの罕カン 阿合アカ(罕なる兄)は、乏トボしき性サガあり、臭クサき肝カンを懷イダきて行ユくなり。兄弟アニオトヽを殺︀コロせり。合喇 乞荅惕カラ キダトにも入イりたり。又マタ 部眾ブシウをも苦クルシめたり。今イマこれをいかにか爲セん、我等ワレラ。先サキの日ヒを云イへば、七歲ナヽツなるを篾兒乞惕メルキトの民タミ 虜︀トラへて去サりて、黑クロき花紋ハナガタの𦍩䍽クロヒツジの裘カハコロモを着キせて、薛涼格セレンゲ[の河邊カハベ]の不兀喇 客額兒ブウラ ケエルにて篾兒乞惕メルキトの碓ウスを擣ツきたり。忽兒察忽思 不亦嚕黑 罕クルチヤクス ブイルク カンなる彼カレの父チヽは、却カヘツて篾兒乞惕メルキトの民タミを破ヤブりて、その子コをそこに救スクひて來キつれば、又マタ 塔塔兒タタルの阿澤 罕アヂエイ カンは、十三歲ジフサンサイな