なる篾力克メリクとし、語譯には皇帝クワウテイ 篾力克メリク、文譯には篾力克王メリクワウとしたるが如き處 甚ハナハだ多オホし。此等コレラは、利仁將軍トシヒトシヤウグン 田村丸タムラマロを一人と思オモひ、田原 藤太タハラ トウダ 藤原 秀鄕フヂハラノ ヒデサトを二人と思ひ、三宮氏サンノミヤウヂを皇族クワウゾクと誤アヤマれるの類︀タグヒにて、元代ゲンダイの人ならば、かゝる誤アヤマりある筈ハズなけれども、蒙古の古史コシに暗クラき明人なればこそ、是等コレラの讀誤ヨミアヤマりも有アりしなれ。然シカるに顧廣圻コクワウキの祕史の跋バツに、殘元槧本ザンゲンザンボン、影ウツセル㆓元槧ゲンザン
明の永樂エイラク 年中ネンチウ、永樂 大典エイラク タイテンを作り、古今ココンの羣籍グンセキを網羅マウラして、韻ヰンに依ヨり排纂ハイサンしたる時、元朝祕史も、その選エラビに漏モれず、その十二先センの元字韻ゲンジヰンの中に收ヲサめられたり。但タヾシその本は全部ゼンブ 十五卷にして、續集の目ナなく、今本と分卷ブンクワン 同オナじからず。此書の紙數カミカズ 頗スコブる多きが故に、收錄シウロクの際トキ、何ナニかの都︀合ツガフにて分割ブンカツしたるなるべし。明の黃虞稷クワウグシヨクの千頃堂 書目センケイダウ シヨモクに元朝 祕史 十二卷を著︀錄チヨロクし、明の文淵閣 書目ブンエンカク シヨモクの宇字號ウジガウに「元祕史一部五册、又一部同