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弘道館記こうだうくわんき

弘道こうだうとはなんぞ。よくみちひろむるなり。道とは何ぞ。天地てんち大經だいけいにして、生民せいみん須臾しばらくはなべからざるものなり。弘道のくわんは、何のためまうくるや。うやしくおもんみるに上古じやうこ神聖しんせいきよくとうたまひ、天地くらゐし、萬物ばんぶついくす。六合りくがふ照臨せうりんし、宇內うだい統御とうぎよたまひし所以ゆゑんのもの、未だかつの道にらずんばあらざるなり。寶祚ほうそ之を以てきはまく、國體こくたい之を以て尊嚴そんげんに、蒼生そうせい之を以て安寧あんねいに、蠻夷戎狄ばんいじゆうてき之を以て率服しゆつぷくす。而して聖子せいし神孫しんそんなほあへみづかれりとしたまはず、人に取りて以てぜんを爲すをたのしみ給へり。すなは西土せいど唐虞たうぐ三代さんだい治敎ちけうの如き、りて以て皇猷くわうゆふたすけ給へり。ここに於てみちいよだいいよあきらかにしてまたくはふる無し。中世ちうせい以降いかう異端ゐたん邪說じやせつ民をひ世をまどはし、俗儒ぞくじゆ曲學きよくがくこれかれしたがひ、皇化くわうくわ陵夷りようい禍亂くわらん相踵あひつぎ、大道だいだうあきらかならざるやけだまたひさし。我が東照宮とうせいぐう撥亂反正はつらんはんせい尊王攘夷そんのうじやういまこと允にぶん、以て太平たいへいもとゐひらき、威公ゐこうじつほう東土とうどけ、つと日本武尊やまとたけるのみことひとりをしたたてまつり、神道しんだうたふと武備ぶびをさめ、義公ぎこう繼述けいじゆつし、かつかん夷齊いせいはつし、さら儒敎じゆけうたふとび、りんあきらかにしたゞし以て國家こくか藩屛はんぺいたり。爾來じらい百數十年ひやくすうじうねんよゝ遺緖ゐしよけ、恩澤おんたく沐浴もくよくし、以て今日に至れり。則ちいやしく臣子しんしたるもの、あに斯の道を推弘すゐこうし、先德せんとく發揚はつやうする所以ゆゑんおもはざるけんや。これ則ちくわんまうけられ