Page:愛誦集衍義弘道館記.pdf/2

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所以ゆゑんなり。そもそ建御雷神たけみかづちのかみまつれるは何ぞ。其の天功てんこう草昧さうまいたすけ、威靈ゐれいこのとゞむるを以て、其のはじめもとづき、其のもとむくい、民をしての道のつて來る所を知らしめんとほつすればなり。其の孔子こうしべういとなめるは何ぞ。唐虞たうぐ三代さんだいの道こゝ折衷せつちうせらるるを以て、其の德をうやまひ、其のをしへり、人をして斯の道のますだいに且あきらかなる、偶然ぐうぜんにあらざる所以ゆゑんを知らしめんとほつすればなり。嗚呼あゝ我が國中こくちう士民しみん夙夜しゆくやおこたらず斯のくわん出入しゆつにふし、神州しんしうの道をほう西土せいどをしへり、忠孝ちうかうく、文武わかれず、學問がくもん事業じげふ其のかうことにせず、かみうやまじゆたふと偏黨へんたうある無く、衆思しうしあつ群力ぐんりよくべ、以て國家こくか無窮むきうおんほうぜば、則ち豈祖宗そそうこゝろざしちざるのみならんや、神皇しんくわう在天ざいてんれいも亦まさ降鑒こうかんし給はんとす。斯の館をまうけ以て其の治敎ちけうぶる者は誰ぞ。ごん中納言ちうなごん從三位じゆさんみみなもとの朝臣あそん齊昭なりあきなり。

 天保九年歲次さいじ戊戌つちのえいぬ春三月、齊昭なりあき撰文せんぶんならびしよ及び篆額てんがく

〔語釈〕

『弘道館』水戶藩主德川齊昭公が、藩內の士庶弟を敎育する爲に設立されたもので、弘道館記はこの學館設立の由來を、齊昭公が親ら筆を執つて書かれた文章である。弘道館公園內に八卦堂といふのがあつて、その中に公の親筆を刻した寒水石碑石が藏してある。

『弘道』論語の衞靈公篇に「人能弘道、非道弘人」と出てゐる。館名は之に原づいてつけたものである。乃ち道は天地開闢より存するものであるが、爾來幾千萬年、其の間、道に盛衰興亡があったが、之は皆當時の人に基づくものである。和氣淸麿一度出でて忠道天下に遍く、義公先倡して大義名分萬世に明かになつたことを思へば、道は人に依つて弘通することが明瞭である。

『大繼』經は常といふ意味で、恆久不變をいひ、天地の大道を指す。

『須臾も離る……』中庸に「道也者不須臾離、可離非道也」と出てゐる。人の生活する處には必ず道が伴なふものである。人が在れば親があり、兄弟があり、朋友がある。そこに孝道、友道、信義の道が自然に伴なつてくる。

『神聖』古事記の天御中主神、日本書紀の國常立尊以下の神祇をいふ。

『極を立て』極というのは至極の法で、天地の大經に基づいて、大法則を立てること。

『統を垂れ』道統を後世に傳へること。