Page:小亞細亞横斷旅行談 02.pdf/14

提供:Wikisource
このページは校正済みです
 (小亞細亞横斷旅行談)八二(82)

す、今なほ一部残つて居ますが實に珍しい次にアスランハーネ即ち獅舎寺と云ふ回教寺がありますが、是は柱は残らず石造で希臘羅馬時代及びビザンチン時代のものでありますが、柱以上皆な木材です、其の木の繰形及び曲線の工合が總て日本のやり方と同じであります。殊に畵様は鎌倉時代の雲形と寸分違はないと云ふ不思議な現象を此所で見て來ました、その外ハジ、バイラム及メルリハネなど共に見るべき回教建築です、又城寨にはアラウッヂンの寺がありました

アンゴラの特産物は有名なるアンゴラゴートと云ふ一種の羊の毛であります、それは他國に類が無い、絹絲のやうな細い柔かな毛です、是はアンゴラの特産で同時に土耳其の重要なる特産物になつて居ります、又駱駝の毛も多く産出します。

アンゴラから再びエスキシヒールに歸つて北に向て小亜細亜高原を下りました、此間の路は概 ね四十分一の急勾配で中央高地から黒海沿岸の低地に向けて下るのです、ビレヂックを過ぎサカリア河に沿ふてこの斜面を下り終ると此所にアタバザーと云ふ所があります、此所に行く途中に羅馬時代の橋が完全に残つて居ります、それは元來ナカリア河に架けたのでありまして、サカリア河は昔はニコメヂアの灣に注いだものであるそうです。この橋は西暦五百六十一年にジアスチニアン帝の架けたもので、全部大理石を以て造り、下には八の拱を架し、長さ四百二十七米、幅二十三米あります。

鐵道は是より西に折れてイズミッドと云ふ所に出ます、イズミッドはイズミッド灣の奥に位せる市で人口今二萬五千あります。これは西暦紀元前二百六十四年にビチニアの王ニコミデスが創建した