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地學雑誌第拾九秊第二百拾七號 明治四十年一月十五日
論説
小亞細亞横斷旅行談
工學博士 伊東忠太
小亞細亞の旅行談をする前󠄁に小亞細亞の土地の有樣を一通󠄁り御話した方が、便利だと思ひますから先づ小亞細亞全󠄁體の地形及歷史の一班を御話しゝます
小亞細亞とは元來 Asia Minor の直鐸で、我々は今日小亞細亞と通󠄁稱して居りますが實際其の土地に行つて見ると小亞細亞と云ふ意味の言葉は用ゐられて居りませぬ、土耳其人は小亞細亞のことをアナドールと呼て居る、即ち歐羅巴人の所謂アナトリアのことで、アナドール即ち小亞細亞はどれだけの範圍を包󠄁括して居るかと云ふと、是は非常に漠然として居て一向定つた限界はありませぬ、附圖第三版は小亞細亞の一部分󠄁ですが、御承知の通󠄁り北は黑海、西は希臘の多島海、南は地中海の三方の海から取圍まれて居る一つの半󠄁島であります、こちらの東の奧の方はどこまでを含まれるかと云ふことは一向定つて居りませぬ、それで大凡叙里亞と小亞細亞との此の境にアレキサンドレツト即ちイスケンデルンの灣があります。イスケンデルンの灣から東北の方に斜󠄁に引いて行く
論説 (小亞細亞横斷旅行談)一(1)