黒田家老士物語
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【 IA:38】黒田家老士物語序
爰にひとりの老士あり、歳八拾有余なり、御当家御普代の筋目なれば、如水公長政公御物語、或御武功、或諸士の働、度々物語せられしが、予不根ゆへ大かた忘れたり、されども有増覚たる計を書留るもの也、御両公御武功の事は、諸書に有と見へたれば是を略し、御物語端々耳に残りしを取あつめ、又は諸士手柄覚たるを筆を染る者也、本より文筆つたなしといへども、其事の聞へ安き事を元として、世の嘲をかへり見ず書記一冊とす、老士の物語を集るにより書の名とす、我にひとしき人は見給ふべし、文才あらん人は嘸片腹いたかるべけれども、恥をはぢと思はねば、恥かしき事なし、只心の覚ばかりに書集る物ならし、
黒田家老士物語
一如水公御物語に、惣じて一国を治る大将は、尋常にしては諸道成就し難し、先政道に私なく、其身の行儀作法を乱さずして、平生数寄好む道に心得あるべき事也、主の好む事をば、必諸士又は町人百姓に至まで願ふ物なれば大事儀也、文武は車の両輪のごとし、一ツも闕ては有べからず、さるよし古人の語也、勿論治世には文を以し、乱世には武を以治るとは有ながら、治世には武を捨ず、乱世には文を忘れざるが肝要也、治りたる世とて、大将武
右の御思案故、如水公長政公御一代、御防戦終に臆れを取給はずは御詮議厚故也、長政公御武用は不㆑及㆑申、儒之道にも御心をよせられ、林道春を召て聖賢の正敷道を聞給ひ、議論を遊ばし、諸事御工夫而已也、道春に命じて、巵書抄と云書を作せり、其後板行して世間に流布すと語られたりけり、
一如水公の御出語に、大将は威と云物なくては万人の押へ成がたし、乍㆑去此威をあしく心得ぬれば、還而政道の妨と成物なり、其故いかんとなれば、只諸人にをぢらるゝ様に身を持なすを威と心得、家老に逢ても威高ぶり、事もなきに目に角を立、言語物あらく、家老の諫を不㆓聞入㆒、我非有時もかさをしに云まぎらかし、我意を振舞により家老も不㆑諫、をのづから身を退様に成行もの也、家老さへ如㆑斯なれば、まして諸士末々に至まで、おぢをそれ身がまへをして、一日暮しの覚悟なれば忠貞の思ひをなす者一人もなし、右のごとくの大将は、物ごと手あらく、さまでの事にてもなきに、傍仕の者をしかり、むたひに手打を好むにより、傍仕を疎み仕様なき内に身を退べき工夫而已也、をして実の奉公を働むるものなし、かく物ごとみだりに成故、かならず家を失ひ国亡ぶる物なれば、能々心得べき事也、誠の威と云は、政道を邪なく其身の行儀正敷臣をさとし、諫言を破らず、物毎詮儀を加へ理非を正し、賞罰明らかにして、諸士を手足のごとくにおもひ、町人百姓等を子のごとくになつけぬる時は、万民したしみ敬ひ恥恐るゝにより、おのづから威備るもの也、我此事を朝暮心にこむるといへ【 IA:40】ども、万民至りがたし、播磨姫路にありし時とは違ひ、今豊前を領知しぬれば、諸士をはじめ町人百姓に至る迄、大勢なるにより、猶以心及がたし、是のみ心をめぐらすもの也、況我まゝをふるもふのみにて、諸道成就しがたし、国民にうとまれる物なれば、油断しては国家を失ふものなりと仰られけると也、
一或時、如水公長政公御一座にて、御家老衆をめされ、御仕置御詮議の序に、如水公仰られけるは、惣じて人に上に相口不相口といふ物あり、主君諸士を仕ふにも有㆑之事也、諸士いづれをいづれと分難しといへども、其内に主の気に応ずるものあり、是を名付て相口といふ、又出頭人ともいふ也、此者善人なれば国の重宝となり、悪人なる時は国家の妨となれば、大事の事也、主人道理に闇き時は悪人をしらずして、相口なる者まかせに成行もの也、本より侫奸なるにより、上部は善人のまなびをなし、主をたぶらかすにより、彼に心をうばはれ、なすほどの事を能と思ひ、次第に取立、後には家老となし、国の政を執行するにより、生得の侫奸弥つのり、邪なる仕置のみなれば、諸士彼をにくみ士民うとみ果、還て主人に恨をふくみ、不実の奉公を勤ゆへ、国中一致せず、家老の中不和に成て亡びたる国古今多し、名主の下にはなき事なり、心明らかなれば人の善悪を能見知候が故也、各兼て知ごとく侍ども中にも相口の者有㆑之、傍近く召仕ひ軽き用事をも勤さするといへども、彼に心を奪べき覚悟にあらず、乍㆑去自然と相口なれば、品により君は悪事を見出す事も有ぬべければ、各随分心を付見出し聞付、我を諫めよ、また彼者驕て諸行悪敷時は引付異見すべし、其上にも不㆑改時は我に告よ、詮議の上一道に行べし、我心万人と及がたけれども、自然無理の行ひもあらば、遠慮なく早速知せよ、尤改べし、扨又各が心根の善悪によつて国家の
一如水公御出語に、子の守りに付る侍の人柄を随分吟味すべき事肝要也、其子幼少の時より彼守夜書付添諸事を云教けるにより、其子平生の行諸大方守に似るもの也、上部のみにあらず、後々は気質迄も守のごとくに成移る物なれば大事の儀也、此故に守に付べきと思ふ侍をば、幾重にも吟味をとくと遂、気質を見定其上にて付べし、尤其子の生付によつて、差別可㆑有事也、其故に生付静にもの和かにて、上部大やうにして物毎に気を付ず、手ぬるく見へて、内心はうつけにてなき生付の子有、左様の子に付べき守は、先其身成程実貞にして、邪心なく驕なく智慮有てさし走り、随分働き諸事油断なく、弁舌も能ものを付てよし、又内心の利発を外にあらはし、物言歳に不㆑応人を見侮り、物毎に小作にして延慮すくなく、利口めきて大気なる生付の子あり、左様の子
一或時、如水公長政公出仕日に表に出給ひ、家老衆中老衆諸物頭、其外諸士御目見終て後、御一座にて大身小身共に諸事分限相応の身持、覚悟油断すべからず、家作衣類諸道具等に至迄、身代より弥軽く調へ、勝手相続奉公無㆓懈怠㆒勤る分別肝要也、平生の食物猶以成程軽く、縦初にも美食を好むべからず、内証逼迫に及ぬれば、をのづから不奉公に成行、義理に違ひ、若自然の事有時は、出立べき手立もなく恥を得る者也、不㆑行して不㆑叶儀なれば、人並に出るといへども、中々見苦しき有様也、其覚悟の善悪は兼ての仕様によるべし、武具は武士第一の道具たりといへども、是も平生詮議を詰身代道具無用たるべし、其故はいかに武具を余計所持するといふとも、身代相応の人を不㆓扶持㆒時は持せて行べき手立あるまじ、然時は費となる物也、此故に平生遂㆓吟味㆒用に立べき程の武具を考、念を入調べし、身代過分の武具を拵かざり置ば、皆是名聞にかゝる武士のなすわざ也、名聞は還て逼迫の本と成もの也、但かくいへばとて武具を疎にすべきにあらず、分限相応に拵置用に立分別肝要也、身代相応より多ても苦しかるまじきは下人也、乍㆑去是養ひ可㆑置手立あらば可㆑然、左なくば無用たるべし、馬も相応に持べし、伊達馬風流の馬好むべからす、用に立べき馬肝要也、
一如水公長政公、豊前御入国以後、御能有㆑之、諸士不㆑残見物す、芝居には町人百姓みち〳〵て是を見る、能四番すぎ如水公御中入被㆑成、長政公はいまだ御座を立せたまはず、然所に芝居の者共赤飯を給るより、銘々にけす事成がたし、役人芝居に入込手より〳〵に赤飯をなげてやりける、登なる処に年の比二三にも成らんと見へし男、一人赤飯をうばひ我前に来るは勿論、人の前にあるをも押へて取、其上子共の持たるをも奪ひ取などしける、諸人是をにくみ或はいかる者も有ける、然る所に長政公御座を立て芝居へをりさせ給ふにより、いか成御用候やと思ひ、諸人御跡に付て芝居に下りけり、長政公大勢の中をわけさせ給ふて、彼赤飯をうばひたる男の傍に行給ひ、何とも仰はなくて彼男のたぶさを御取引付給ひ、御脇差にて首を打落し投捨給ひて、本の座敷へ御帰、すぐに奥へ入せ給ふ、芝居のもの共立騒ぎければ、黒田兵庫殿高声に申されけるは、汝等鳴をしづめて能きけ、只今若殿の立服御尤至極也、面々が見るごとく、彼者ばうじやく不仁なる振廻也、御前を不㆑憚有様偏に上を軽しむる某、彼者を成敗すべきとおもふ所に、若殿の御手にかけ申事、無㆓是非㆒次第也、我にかぎらず列座の諸士手ぬるき様に思召らめと無念さ無㆑限、汝等もよく心得よ、是にはかぎるべからず、何ものにてもあれ、我意を立邪道をなし、上軽しむるにおひては、即時に罰科にて行ぞと申されけると也、其後如水公長政公御出座有て能三番あると也、都合七番にて事済、何も退散せしと也、
長政公彼者を御手うち被㆑成たるは、御心持有ての事也、豊前御入国の比迄は、西国とくと不㆑治、町人百姓の心不敵にして上を敬ふ事なし、下知を不㆑用、領主を軽しむる心有を、長政公兼て見付給て、右のごとくし給ふと也、兵庫殿も其御思慮を考て、申されけるとなり、
一或所にて、林田左門信田大和、其外四五人も寄合、四方山の物語又は兵法はなしゝけり、其中に若侍有けるが、其身力量余程有血気さかんにして、よろづ物強き事を好みけり、彼者云けるは、兵法は武士の可㆑勤道とは云ながら、あながちに是を不㆑勤ば、武儀不㆑成と云にても有まじ、一心さへ不㆑臆ば、縦令兵術不㆑知といふとも、高名をば可㆑懸ものをと、居丈高になつて云、左門是を聞、いかにも其方被㆑申通一理聞へたり、乍㆑去心剛なる上に兵術勝れなば鬼に鉄棒なるべしと云、かの侍血気なれば一心さへ不㆑働ば、たとへ木刀仕合なりとも無下にて劣とも覚へず、ちと仕合て見度ものなりと云、左門聞て夫はよき心指也、いざ参ふと云へば、心得たりと早座を立、庭へ飛下りあたりを見けるに、庭木の添木に結付置たる、長さ壱間計のすもと有、是を以仕らんとて引ぬき、土の付たるをぬぐひ、二ツ三ツ打振て持たり、左門も座敷を立て縁の
一或時、長政公猪狩に出給ふ時、石目あまりの手負猪かけ廻りけるにより、鉄炮にて打弓にて射けれどもあたらず、怒廻る所に御立目より四五拾間も先に、若侍壱人刀をぬき件の猪に向て懸るを、長政公見給ひ被㆑仰けるは、只今猪に出向たるは侍と見へたり、甚無分別也、あれに見へたる松木楯に取てまちかけ、猪怒てかゝらばやり過して切留よといふべき由、被㆑仰ければ、声々によばゝりけれども、彼者耳に入ずや有けん、刀をかまへ居ける所へ、猪無二無三にかけ来りけるを、飛違て打と切けるに、大骨より腹半分過切付ければ、のつけに倒所を押へてさす、脇を一刀つき返し、難なく仕留仕つたりと高声に
一或時、長政公御舘の表へ出給ひけるに、刀懸に三尺余りの刀ども懸ならべて有ければ、何者の刀ぞと尋に付、かるき侍の刀なる由申上ければ、扨もきみよき刀なり、若き者には似合たりと被㆑仰けるを、御傍廻りの侍是を聞、扨は殿は長き刀を好み給ふと心得、三尺余りの成程奇麗に拵置、或日の鷹野の供に右の刀をさし御目通をあちらこちらかけ廻り、いか様御意に可㆑応ものをと自慢づらにて居ける、扨鷹野より帰らせ給ひて、其暁鷹野鳥料理被㆓仰付㆒、御家老中御相伴にて諸事御咄の次手に被㆑仰けるは、惣て人たる者分限をわするゝといふ事、大【 IA:46】きなるあやまち也、縦ば知行をとらせ置侍は、仮初に出にも鑓をもたせぬるは、自然の事もあれば鑓を以勝負を决すべき為也、歩行の者ごときは鑓持、されば長き刀を好て徳あるべし、然るに三千石を取侍の忰、三尺余りの刀をさし廻るもの有と見へたり、定て手に相たればこそ持たるには有べけれ共、身体不相応成体たらく近比見苦し、皆是心得違なり、彼が親是ほどの事を不㆑弁ものにてもなし、少は立走りの心ばせも有ものなるに、いかで異見もせざるや、かくいへばとて武士は鑓ならで勝負すべき道具なき様にあれども、左にはあらず、鑓の入べき所にては鑓、刀を可㆑用所にては刀、脇差を以すべき所にては脇差、皆場によるべし、其外の道具も尤場によるべし、其内脇差は常住腰を不㆑放道具なれば、手に相たるを差べけれども、分限不相応なれば徒の者めきたり、是皆不詮儀なる故也と甚笑せ給ふ、彼何某御次にて是を聞、思ひしに替ければ恥しく、無㆓是非㆒事に思ひ、右の刀二度さゝざりしとなり、
一長政公筑前御拝領御入国以後、或日鷹野に出給ふ道筋、御駕より二三十間程先の道端に、何と不㆑知人刀を一腰さしかざし畏居けるを見給ひ、あれは何者ぞ見て参れと被㆑仰ければ、御侍衆一両人かけ出し、何者なれば御通りの道に罷出居るぞ、尋て参れとの御意なりといへば、彼者いゝけるは某事何村の何と申百姓にて御座候、此二三夜つゞけて夢想の告を蒙り、此刀某先祖より代々相伝の所に、殿様江差上べきよし両夜つゞけて夢の告有といへ共、如何敷又は上をはゞかる心にて其分に致申所に、又夜前の夢想に今日殿様此道筋を通らせ給ふ間、持出て指上我家に有べき刀
一黒田兵庫殿は、如水公御一腹さし次の御舎弟也、生れ付実直にして平生柔和也、物に強動の心なくて智慮も厚人也、如水公長政公も不㆓大形㆒執し給ふにより、御家中の諸士末々に至まで敬ざるはなし、播州以来如水公の御左り備の先手として、高名も数度有し人也、如水公豊前拾弐万石の内にて、壱万弐千石の領地をつかはし置給ひけれども、少の驕もなく諸事兼退の心のみにて、下に近き人也、長政公の御後見なり、毎々諫言を被㆑申けるに、其身佞奸邪欲の心なければ被㆓申上㆒事毎に理に叶けるにより、長政公別て御得心遊しければ、如水公御喜悦不㆓大形㆒と也、登城の時も長政公御座所より、敷呂を防と兵庫殿座せられけるにより、御家老衆は猶末座也、長政公是非兵庫殿是へと再三仰られける時、漸敷居を越どつと末座に伺公し、成程敬ひたる体にて被㆑居けるとなり、又道にても長政公に行逢れける時は馬より急飛下り、地に頭をつけ居られけるにより、長政公も御駕籠より下り給ひ、兵庫殿傍へよらせられ、別而めいはくに候、御通りあれと被㆑仰けれども、猶頭をさげ被㆑居けり、其後御舘にて人も不㆑居時、ひそかに長政公に被㆓申上㆒けるは、先日路次にての御時宜さりとは不㆑入儀にて候、御前恐れ候て頭をさげ敬申にてはさら〳〵無之候、未だ御年若の殿なれば、御家中の諸士若くは軽しめ申事も有べし、某敬ひ申体を見せ、御家中の諸士に兵庫殿さへ如㆑此と心がけさせ、末々迄うやまはすべきため候得ば、向後は路次にて御逢申共、御構なく大ていに御言葉をかけられ、通り被㆑成候得と申されたると也、その外何事によらず、如水公何かを取分敬ひ申されけるにより、御家中の諸士長政公を尊敬し奉ることなり、
黒田家老士物語終