鹿兒島縣立圖書館新築落成記念誌/本縣圖書館事業の沿革概要
鹿兒島縣立圖書館新築落成記念誌
- 一 本縣圖書館事業の沿革概要
- 一 舊藩時代
本縣に於ける圖書館事業の淵源を繹ぬるに、舊藩第二十八代英主島津齋彬公最も文教の振興に意を用ひ、安政元年正月學問の大本を訓示して一藩に嚮ふ所授け、又城内に文武講習場、村落に學舎を設け、或は遊學の門戸を開き、洋學を奨勵すると共に、和漢洋の御手許御藏書を春蕞文庫と名付づけられ、嘉永五年四月史職に令し所貯の和漢群書を藩士に貸與せしめ、又經書史傳等を翻刻せしめて封内士民に低價を以て下付し、又書籍賣支配人又木元右衛門、青木静左衛門の兩名に命じて一般に圖書を貸與せしむる等、大に文事の普及と發展とに盡され、所謂薩藩學風に新時期を劃せるを以て濫觴となす。
- 二 明治時代
明治時代に於て圖書館の設置は、明治十六年四月肝屬郡小根占村書籍館の設立を以て初めとなす。而して明治二十二年四月本縣教育會は、故森文部大臣の教育上に於ける功績を永久に記念せんが爲め、奨學金を募集し書籍館又は教育品陳列館を設置するの必要を説き、明治三十三年圖書館設置の件を議決し之が具体的計畫成り、寄附金募集に着手し明治三十五年五月二十八日其募集金を以て教育會附屬圖書館を建設し八月十一日開館せり、當時の蔵書冊数は千九百十三冊にして當月の平均閲覧者二十余人なり。而して仝年九月加納文庫を置き、十月二十五日開館式を擧行し樺山伯臨場せらる。これ近世の意味に於ける圖書館の本縣に創設せられしものゝ嚆矢とす。
明治四十二年一月十六日縣教育會社團法人となるや、附屬圖書館を私立鹿兒島圖書館と改稱す。
明治四十四年五月三十日教育會代議員會に於て圖書館を縣營たらしめ圖書館の機能を發揮せしめんことを議決し、翌四十五年四月一日縣に移管して鹿兒島縣立圖書館と改稱す、當時の閲覧者は平均八十余人に過ぎず。又地方に於ける圖書館も僅かに小根占書籍館の一館のみにして本縣圖書館事業も極めて不振の状態にあり。
- 三 大正時代
大正時代に於ては縣立圖書館の内容も漸時整ひ、時勢の推移と、讀書趣味の漸次普及するに從ひ、年々利用者も増加し、又地方圖書館も毎年一二館づゝの設立を見るに至れりと雖も、他縣に比し大に遜色ありて、縣内圖書館數も大正十二年末に於ては僅に二十館にして、其施設經營も亦發展せず本縣圖書館事業は漸く曙光を認むるのみにして、所謂黎明期に入りしに過ぎざりしなり。
大正十三年一月二十六日 東宮殿下御成婚の盛典を擧げさせらるを機とし、本縣に於ては訓令を以て各市町村圖書館の設置を奨勵し、又圖書館費補助規定を公布して其普及充實を圖ると共に、其中樞機關たる縣立圖書館の經費の増額をなす等圖書館事業の振興を圖りし爲め、各町村に於ては續々として圖書館の設置を企てたる結果、大正十三年度末に於ては縣内圖書館數も俄然増加し九十二館に達し、其後年々縣に於ては町村圖書館經營者の爲めに圖書館講習會と協議研究會とを開催し、町村圖書館事業の普及開展を促進すると共に縣立圖書館に於ては種々の方法施設とにより、圖書館の宣傳と民衆化とに努め又各郡市町村及圖書館、學校、青年團、處女會等各種團体と相連絡して巡回文庫の利用並に圖書館外貸出とを奨勵し以て一般縣民の讀書趣味の普及と向上とを圖りし爲め、昭和元年度末に於ては館數に於ては百二十二館に達するに至り、縣立圖書館閲覧人員も六拾二萬千五百三十一人一日平均千八百八十人、閲覧冊數も六拾八萬三千五百二十一冊、一日平均二千六十五冊に達するの顕著なる成績を呈するに至れり。而して多年の問題なりし本館改築計劃も機漸く熟し、大正十四年の縣會に於て二十二萬二千圓余の改築案通過し、大正十五年十一月工事に着手し、今や照國神社々前規模宏壮にして然も設備の完全せる縣立圖書館竣成し、南洲翁五十年祭を機とし、意義ある落成式を擧行するに至りたるは、誠に慶賀に堪へざる所なり。本縣圖書館事業も昭和一新と共に此期を劃し、愈々更始一新して改新活動の時期に入り、吾人圖書館に從事するものゝ責任の重且大なるを覺えずんばあらず。
吾人は眞に本縣文化の普及と向上とを圖る爲め、此の機會に町村當局の盡力と、有志の後援とに依り、未だ圖書館の設置なき町村に於てはこれが設置に努められ、一町村一館主義の實現されん事を切望すると共に、更に進んで一校區一館主義の理想の實現を期し、以て本縣下に圖書館即ち文化網を張展し、民衆教化の實を擧げ、學校教育と駢立して教育の目的を達成し、縣民の福利の増進を圖り、以て圖書館の使命を全ふせん事を期す。
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