頬焼阿弥陀縁起
頬焼阿弥陀縁起
上巻 詞書
[編集]第一段
[編集]第一紙
[編集]夫仏果の広海は皆一味なりといへとも
因位の悲願は弥陀ひとりすくれ一子
の慈悲は□□□□平等なりといへども不
捨の光益は念仏のものを摂す悲願の
諸仏にすくれ給へる事は摂するに極悪
最下の機をもてし光明の余の行を
きらふ事は尋て極善最上の法をもと
むる故也所□の土を報法高妙に荘厳
し能入の機□□□□□の衆生なりされは
修因感果の道理にもたかひ教理行果の
次第をもそむけりまことにこれ速疾頓成
の□、念□力不思議の秘術なり故に諸教に
悉□□□ころおほくは弥陀にあり諸仏の
証誠かきりて念仏にたるたま〳〵もこの勝
縁にあひて至心信楽のともがらながく生死
第二紙
[編集]勤苦の本をぬき□れにもこの本願に乗して
乃至十念する人かならす住不退転の益を
成すこの証□前に炳焉なりこゝに秋津
洲相模鎌倉比企の谷岩蔵寺に希代無双
の霊像まします超世願王弥陀来迎の三尊
御たけ法の三尺□□世称して□かなやき
ほとけと号す天津古屋根の崇孫第八十四
代の御□順徳天皇の御宇建保三年乙亥そのころ
京都に大仏□□□雲慶法印と号す□のきこゑ
人のほまれむかしのひしゆかつまを□□□す故に
将軍右大臣家の召請によりて関東下向のきさみ鎌
倉の住人すくるの氏女まちの□□□于時年三十五雲慶に
対面□□□われつ□へきく阿弥陀如来
は諸仏の大悲□□□□五障の雲あつき女人な
りとも御名を□□はむかへむとちかひ給
なれは最後の本尊のために弥陀如来の像を
第三紙
[編集]つくりたて□□覧□季来の宿願ありさい
わいにいまこの願をはたすへしとてすてに
□□□□□ゑらひ□た□て約束するに法
印施主の発願を□□□をはりぬ
第二段
[編集]第七紙
[編集]さて従僕を伊豆の国仙につかはしてみそ
木を□□□□むるにいさゝかも風波の難なく
到来すこのみそきにひきす千段そへて仏
師のもとへつかはすとて申けるは阿弥陀仏は
四十八の大願をおこして罪悪深重の凡夫愚
痴不善の女人をもすくひ給なれはおなし
くほかの誓願を表して四十八日に造立して
たまは覧と申て直物の外に金銀羽皮等の
たくひ日々不闕の所作としてこれをつかはし
けるほとに仏師の云むかしより造立仏像の人
おほしといへともかくのことく慇重の懇志
いまたなしとこゝろさしのまことなる事
を随喜感歎して身のため人のためさらに
等閑の儀あらへからすとて日々に沐浴
精進して約束のことく主尾四十八日に造功お
はりぬ
第三段
[編集]第十一紙
[編集]氏女新造の本尊をむかへいれたてまつりて
先出□に障子帳をしつらひて安置したて
まつり日夜□夕に香花燈明をそなえ恭
敬礼拝すかくて一両年をへてけなひ上
下□もの漸々にうする事ありけりおなし
き五年丁丑男女の眷属等を召集して起請を
かゝせておの〳〵失をまほるこの中に万歳と
いふ
下法□ありいかなる宿縁かはありけん行往
坐臥時節をき□はす譏嫌おゑらはす西に
むかひ念仏して光明遍照十方世界念仏
衆生摂取不捨の文をとなへて目をとちたな
心をあはすしかりといえとも妄語ひとをわ
つらはし盗心こゝろに□まなし故に家内の
上下諸人この念仏をたとますその心本の不善
なる事を忌厭す
第四段
[編集]第十五紙
[編集]あるときこの法師□□今生は□の世発心念
□□□□□□□見の女いのくま聞つけてやかて
主にかたりぬ氏女善悪きひしき女性にておほき
にいかりて日ころうせぬる□はみなこの法師
めかしはさなりけりとて下人源二郎男に
命していはくよく〳〵いましめておもて
に火印をさすへしとい□□□□□急用あり
けるによつてわか身は渋谷といふところえ
いそきくたり□
第五段
[編集]第十九紙
[編集]源二郎男主命そむきかたきによりてこの
法師をひきいたし出居の縁のつかはしらに
つよくいましめて□つわの水つきをあかくやきて
万歳か左のかほさきに火印をさすときれいの
事なれは声をあけてあらかなしほとけた
すけ給も南無阿弥陀仏ととなへけるを同類
等いはく何条ほとけの汝が様なるふたうもの
をはたすけ給へきやといひて火印をつよく
捺をはりて翌日におもてを見るに火印の
あとさらになし主の女房かえり見たまはん
ときわか命をそむけりといゝてわれさへ
不審をかたらん事うたかひなしとおもひ
てかさねて火印をさしぬ
第六段
[編集]第二十二紙
[編集]さて主の女房渋谷よりかえりきたりて
源次郎おとこに問ていはく万歳に火印は
さすやいなやとこたへて命のことしと云々
今日はひくれぬあけて見るへしとてふしお
はりぬその夜半もすくるほとに夢想の
つけあり持仏堂の本尊左の御かほさきを
押て汝なんかゆえにわかおもてに火印
をは捺そやとのたまひてなみたをなかし
まことに苦痛まします体なり氏女答て
まうさくいかてかほとけの御かほに火印
をはさしたてまつるへきやとて夢中に
神心驚動し臥床不安とおほえき
第七段
[編集]第二十四紙
[編集]氏女うちおとろきて身の毛よたちむねうち
さはきあさましくおほえてすなはち井
より浄水をとりよせ行水してあたらし
き小袖なんときつゝ仏前に跪く障子帳
をしひらきともしひたかくかゝけて
拝見したてまつれは夢の所見のことくすこ
しもたかはすひたりの御かをさきに火印
のあと現在せりいよ〳〵怖畏を生して五体
を地になけてなみたをなかし発露懺
下巻 詞書
[編集]第一段
[編集]第一紙
[編集]氏女良久ありて内にいり源二郎男を召
て万歳法師か火印おみんといふよて
万歳をひきいたして見せしむるに火印の
あとかたさらになしこゝにしりぬわか本
尊は万歳法師にかはり給けりと覚悟
して
いよ〳〵悲喜むねにみち
このとき上下の諸人おもひあはせけるは
この法師の日来行住座臥をきらは□時処
諸縁をゑらはす念仏して光明遍照の文を
誦しける事真実の信心なりけりと感歎
してかかる罪濁不善の愚人なれとも念
すれはたすけ給は大悲の本願不捨の誓約
なりけりとこゝに安心思意なる人もあり
けるとなむいまこの念仏衆生摂取の文
善導大師釈してのたまはく衆生起行口常称仏
第二紙
[編集]仏即聞之衆生憶念仏者亦憶念衆生彼此三
業不相捨離故名観緑也文とこの意はたゝ念仏
して異にあらすたとへは身体髪膚を父母
にうけたるゆえに念仏衆生の面に捺ところ
の火印すなはち弥陀如来の面にありけ□は
如来の本意和尚の素意経釈ともに誠諦の
金言は一毫もあやまりなき現証なり
なをも□れを信せさらんや
第二段
[編集]第五紙
[編集]われ女身として如此悪名末代に流布せん事
くちをしくおもひてしかしいまた外人の
しらさるさきに火印のあとをかくしてなかき
悪の声をとゝめんにはとおもひて田楽か
つしにあひしりたりける光明坊といふ僧を
請して上件の不思議を一々にかたりていかゝ
してこの火印のあとをかくさんやといふよてかの
僧かめかやより仏師を請してこくそをもて
疵をうめ上にはくをおしけれはなかれおち
な□れをちしてすへてあとかくれすも□□□□
とをす事廿一重ついにかくれすしてその
あといまに現在せりかの仏師当坐に重病を
うけて私宅にかえり九日といゝけるに死し
おはりぬ
第三段
[編集]第八紙
[編集]これを隠密せん事仏意にそむけりとおもひ
てそのゝちははくをゝさすしてあまねく世間
に披露せしむるに貴賤上下参詣雲集
して門前いちをなし外郭まちをたつかゝる
厳重生身の如来を私宅に同居したてまつ
覧事其をそれありいそき仏殿を造立せん
とて霊地をたつねけるところに比企の谷に
地形無双の勝地あり田代の阿闍梨といひ
ける人の手よりこの堂地をこひうけて一宇
の精舎を造立して岩蔵寺と号して本
尊をうつしすゑたてまつりぬときのひと
この寺を火印堂とそ申ける
第四段
[編集]第十二紙
[編集]さてこの万歳法師をは仏の本心に相かなへるもの
なりめしつかはん事も恐ある心地してなんちのいとま
をは心にまかすへしとゆるされをかふりて相模をゝ
いそといふ所の道のほとりにいほりをむすひ朝夕
弥陀の名印といふ物つくりて身命をつきい
よ〳〵一向専修の行人となり称名無間に勤修しける
かある時宿中をめくり人々にいとまこひなこりを
しみてわれ明日往生すへしといふきく人さらに
まこととおもはすしてあさけりあえりすてにさた
めける時剋ちかつきてあやしのしはのいほりとり
きよめなとして西のかへはなちのけて西方に
むかひてすこしも身にわつらふ事なくして高声に
念仏申てねふるかことくにて往生しおはりぬ音楽雲ニ
ひゝき紫雲のきにめくり空花虚にちり異香室に
くんす諸人耳目をおとろかし行客みな心をあはせ
すといふ事なし
第五段
[編集]第十五紙
[編集]そのゝち氏女出家して法阿弥陀仏と号す
建長三年九月廿ロ日とし七十三にして
宿願のことくこの本尊を臨終仏として
五色のはたをひかへ端座合唱して念仏数
十遍となへて禅定にいるかことくして、
往生しをはりぬ
第六段
[編集]第十七紙
[編集]さるほとにこの源二郎男はまさしく如来
のおもてに火印をさす因果撥無の悪人
といへとも現在にかゝる不思議を見てかの
万歳法師は一生のあひた妄語偸盗をもて
業として一分も慚愧ある事さらになし
たゝ自身の善悪をかえりみす一向に念仏せし
かはたちまちに現身には苦難をのかれ
命終には往生をとく本願は物をきらは
ぬ不思議なれはわれらかことくなる愚痴
不善のものゝたのみたてまつるへきはこの仏
なりとてやかて夫妻とともに発心出家して
堂の庭をはらひ香をたき花をそなへて一
向専修のつとめおこたらさりけり
第七段
[編集]第十九紙
[編集]源次郎入道かくて年月をおくりけるほとに
つねならぬ世上のならひなれはいさゝか
わつらふ心地ありていくほとなくして
かねて死期おほえて念仏のこゑと
ともにいきたえて往生の素懐をとけ
をはりぬ
第八段
[編集]第二十一紙
[編集]町の局の嫡女薬師尼法名性如病患をうけて
三日以前にかねて死期をしりこのほとけ
の御手に五色のはたをつけひかへつゝ念仏
数十返となへて弘安元年五月十七日とし
八十三にて端坐入滅しをはりぬおよそ
氏女か一族親類所従眷属あやしのしつ
のをしつのめにいたるまてこのほとけに
ちかつき縁をむすぶたくひ往生をとくる
もの翰墨にいとまあらす往生のこゝろ
さしあ覧ひとたれか帰依をむなしく
せんや
奥書
[編集]第二十四紙
[編集]此絵不慮感得之間多年
所奉所持也然此本尊十二
所道場御座之由承及之際
為増利益所奉寄進彼道場也
于時文和第四之暦暮秋下旬之
候而已
法印権大僧都靖厳