雪之丞変化/闇の瞳

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闇の瞳[編集]

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闇太郎、例の堅気な牙彫の職人らしい扮装(つくり)、落ちつき払った容子で、雪之丞の宿の一間に、女がたの戻りを待っているのだが、もう顔を見せそうなものだと思いはじめて、四半晌(はんとき)、半晌、一晌――なかなか、帰って来る模様がないので、何となく落着かなくなって来た。
それも、単に、逢いたいとか、話しがしたいとかで、尋ねて来た彼ではない。今日昼すぎになって一日一度は、見まわることにしている、鉄心庵――そこを覗いて見ると、何と、おどろいたことに庵中に人気は絶えてなく、窩の揚蓋も、あけッぱなしになっていて、さては、しまった、島抜け法印、見込んでまかせといたお初の色香にまよって、駆け落ちでもしたのかと唇を嚙んだが、よく調べると、首欠け阿弥陀仏の前に、置手紙が載っていて――
親分、すまぬ、大切な預りもの、ちょいと気をゆるしたひまに、姿が無く、このままにては、生きて、男同士、お目にかかれぬ仕儀、これより草の根を分けてなりと、お初をたずねださねばならぬゆえ、二つあって足りぬ首をしばらくお借り申し、行方をたずねに出かけ申し候、おわびは、たずね出しての上、いかんとも究命に逢い申すべく候。
と、書きのこした、いが栗坊主の、ざんげの文だ。
――やっぱし、無理だったのだ。法印は、すばしッこく智慧のまわる方であねえ。お初といえば女狐よりも狡い奴――だまされたと見えるが、みんな、俺の罪だ!
闇太郎、地団駄が踏みたいのを、やッと押えて、すぐに、気のきいた仲間、若い者を集めて八方、お初踪跡(そうせき)の捜索に出してやったものの、夜になっても、消息が知れぬので、何よりも、雪之丞に頼み甲斐のなかったのを、今更わびても始まらぬが、善後策を相談し、身辺の警戒を忠告するためと、この旅宿屋(やどや)に駆けつけて来たわけだった。
闇太郎、まちにまったが、老年宵ッ張りの師匠の菊之丞さえ、もう床についてしまったというのに、いつになっても、雪之丞が戻らぬので、気にもなり、いら立たしくもなって来た。
――もしや、もう、お初の奴が、何か小細工をやりはじめたのじゃあねえか知ら?いかに素早い奴でも作者の今日では、意趣がえしの法もつくめえが――
もつとも、お客と、ちょいと付き合って、じきに戻ると、男衆を通じてことづてでもあったことだ――もう少し、辛抱して見ようと、心を強いて落ちつけて見もしたが、自分が待っているということを、忘れるような相手ではないので、あまりに時刻が経つと、気が気でなくなるばかり――
階下(した)の小部屋に泊っている男衆を呼んで、呼ばれた先は、どこだ?――と、たずねると、客は広海屋で、茶屋は、柳ばしのろ半だという答――
「じゃあ、まち切れねえから、こっちからろ半へ出かけて見ましょう――入れちがいになったら若親方に、寝ずに待っているように言って下さい――すぐ引っかえして来ますから――ぜひに今夜中、話して置きたいことがあるのでしてネ」
彼は、男衆にそう頼んで、辻かごで、柳ばしへ急がせて行った。


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初冬ながら、涸(か)れもせず、恒にかわらぬ、漫々たる夜の大川を、見渡す、料亭ろ半の門を潜って、今夜は、広海屋の一座は、顔をも姿をも見せぬ――と、いうことを、帳場からハッキリと聴いたとき、闇太郎は、今迄の胸さわぎを、まさかと抑えていたのが、現実(じつ)となって、思わず、
「やっぱし行(や)りやあがったな!」
と、呻いて、奥歯を嚙んでしまった。
いかに、江戸の隅から隅まで、闇夜も真昼のように見とおす心眼を持った闇太郎にしろ、ろ半を出て、河岸に突っ立った刹那、
――ウーム!
と、吐息が出てしまった。
計りに計って、軽業お初が、雪之丞を陥穽(おとしあな)にあざむき入れたとしたなら、事は重大だ。その上、長い時間を費やしながら、あれだけの技倆を持った雪之丞が、斬り抜けて、戻って来ぬので見れば、お初の掘った穴の深さも暗さも、十分に了解出来る。
闇太郎が、日ごろ感じたことのない戦慄さえ覚えた。背すじを、川風よりも寒いものが、ゾーッと走った。
――あま!たくみやがったな!それにちげえねえ――
闇太郎は、暗い川水のおもてに、蛇体になって、口から火を吐きながら泳いでいる、執念の女鬼が、こちらに嘲けりのろいを投げつけているような気がした。
が、彼は、憤って、誓うように、低く怒号を叩きつけた。
――負けるものか!畜生!あまッ子風情に!
彼は、一種独特の思索の綾いとを、たぐり寄せて見ようとした。
闇の水を睨んでいたが、しかし、結局、うかんで来るのは、白い、美しい、仇ッぽい女の、嘲笑の顔だけで、その女が、どの方角を差して動いたか、どんな手段を取って、雪之丞を陥れたかは、判然しない。
――だが、あまた手下を集めての仕事としたら、高が知れたものだのに――あいつは、いかに狡狐(ずるぎつね)でも、女の身で、立派な仲間も子分も持っていねえ、またどんな同類が、百人あつまたところで、雪之丞に敵いッこはねえのだが――して見ると、いよいよ、雪之丞の大敵の方へ内通しやがったか!
闇太郎は、そうした場合の、雪之丞の胸の中を思うと、腸が千切れそうだ。
――折角、十何年、一心不乱に、父御、母御、一家一門のかたきが討ちてえばっかりに、肝胆を砕き、苦艱(くげん)をかさねて来たあの人が、いよいよという瀬戸際に、つまりもしねえ女泥棒風情の、恋のうらみから、底を割られ、剣の山に追い上げられたら――それこそ、死んでも死に切れめえ!もし、そんなことがあったら、此の世に、神も仏もねえというもんだ。畜生!万一、そんな場合にゃあ、この闇太郎、あの友達の恨みをついで、百倍千倍にして、仕けえしをしてやるから――この大江戸を火の海にだってしてやるから――
闇太郎は、沸き立つ憤怒にわけのわからぬことを、叫び立てそうになって、辛うじて自分を抑えた。
――馬鹿!貴さまが、あわてふためく時じゃあねえ――心をしずめて、何とかひとつ方便をめぐらさねえことにゃあ――
しかし、うまい考えも、頓には出ずに、両国広小路の方へうつむき勝ちにやって来ると、フッと、向うに一群の人数――十人ばかり、いそがしげな捕物勢らしい。
闇太郎、棒立になってみつめた。


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闇太郎、一たん、立ち止ったが、ためらわず、来かかる一隊――二人の同心に指揮された、白鉢巻、手ッ甲、脚絆、素わらじの、すでに物々しく十手を摑んだ捕物どもの方へ、怖れ気もなく近づいてゆく。
堅気をきわめた、縞物ぞっき、髪のかたちさえ直しているから、どこから見ても、これが、本体は江戸切っての怪賊と、見抜くほどのものが、あの中には、まじっていないと、とうに悟ってしまったのだ。
うつむき勝ちの、用ありげな足どり、通りすがろうとすると、向うは、橋詰にさしかかりそうになったので、捕ものは川向うか、あらためて、同心から、みんなに訓示というわけだ。
「おい、いよいよ、いつ出ッくわすかも知れねえぞ」
と、鉄火な口調で、
「先に出してある、竹町の半次や、子分どもから、橋を渡りゃあ、知らせがあるはずだ。お杉を締めて聴き出したところじゃあ、あいつと一緒に、今夜おさむれえがたんといる模様だ。どうせ、やくざ浪人、すぐ抜いて来るだろうが、そいつらあ、いい加減に、どこまでも、お初に、ぐッと引ッついて、逃しちゃあいけねえぜ」
――お初!お杉!
同心の唇から漏れた、その名ほど、闇太郎をびっくりさせたものがあるであろうか!
さすがに、棒立ちになろうとしたが、じきにいつもの彼に帰って、捕物隊が、かたまって、こっちに目が無いのを幸いに、ぴたりと、つい其所の天水桶に吸いついてしまうと、夜の蝙蝠(こうもり)が、のぞいて見てもわからぬ程だ。
――じゃあ、あま、今日、古寺を抜けたうれしさに、のこのこ市中を歩きまわって、こいつ等に嗅ぎつけられたのだな。ふん、唐変木の、薄野呂のこいつ等だって、馬鹿にすりゃあ、とんだ目を見るものさ。だが、それにしても、こりゃあ、思いがけねえことが、耳にへえった、こいつ等のあとを慕えば、十に八九、お初の奴のいどころが知れるだろう。そこには、必ず雪之丞が苦しめられているのだ――さむれえを仲間にしたというからにゃあ、こいつぁいよいよ大事になった――何にしても、あいつ等のあとを跟(つ)けて――
闇太郎、羽織をぬいで、ふところに、頭に手拭をのせ、裾を割って、片ばしょりにすると、急に、いつもの、身軽をきわめた姿となる。
同心の、指揮で、駆けゆく一隊――一てえ、どけえ、いきゃあがるんだ?
彼等が、両国ばしの、中ほどまで、渡りすごしたのを見ると、サッと、天水桶をはなれて、ヒラリと飛ぶ、夜の鳥のよう――もう、捕物隊のついうしろに引ッついてしまった。
橋を渡りつめたところで、どこからか、飛び出して来た、一人の男――目明しの子分体――
「旦那、やっぱし小梅の方角ですぜ」
「小梅たあ、一てえ、とんだはずれへ行きゃあがった――浪人ものを連れて、押し込みを働こうてえわけか――」
「さあ、あっしぁ、まだ、どんづまりまでは突きとめていねえんで――業平(なりひら)ばしから先のことは、親分や、作太が、嗅ぎまわっているはずです」
「遅れちゃあ、いけねえ、いそげ!」
同心一行、先をいそいで、うしろに目がない。闇太郎の尾行は、楽々だ。


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軽業お初が、浪人組を引率して川向うに姿を消したという聴き込みに、検察当局にこそ、その目的が判明しなかったが、闇太郎にはあまりに明らかすぎるほど呑みこめるのだ。
それゆえこそ、彼は矢も楯もたまらない。一刻一秒を争わずにはいられぬ。
――こおまで着て、どうして雪之丞を、敵の手に渡したか?たとえ、今夜、このおれの姿がばれて召し捕られることになっても、友達だけは助け出さねばならぬ。おっと、また、牒者(ちょうじゃ)の奴が、出て来たぞ。今度は何をいやがるのか?
淋しい淋しい、夜の流れ――業平橋とは、名こそ美しけれ、野路をつないで架った橋の袂で黒い影が待ちうけていて、
「旦那、たしかに、お初をはじめ浪人ものは、この橋を越したには相違ねえんです。ですが、うちの親分はじめ、一生懸命嗅いでいるものの、ここから先は、見当がつきません――この近所にゃあ、奴等が、荒っぽい腕をそろえて、乗りこまなけりゃあならねえほどの、豪家もなし、さりとて、生半家の家へ押し込むに、それほど人数をそろえるわけもねえでしょう?実は旦那がたがいらしってから、いつもの勘で、考えていただきてえと思いやして――」
「何だ!何をまごまごしていやがったのだ」
と、同心の一人が哮(たけ)った。
「小半晌も、さきに出張っていやあがって、今までそこらをウロウロしているたあ、あきれかえった奴だ!それで、竹町の親分づらが出来るのか?そんなことなら、申し上げて、十手を取り上げてやるからそう思え!」
「ほんに、驚き入った野呂間だな!竹町も、焼きが、まわったの」
と、今一人もつぶやいたが、
「しかし、この場で、腹を立てていてもはじまらぬ、これ、貴さま達の中で、この辺の地理に明るい奴はないか!金持という金持の家敷を知っているものはねえか――」
「へえ、あッしは、つい、この近所の生れでして――」
と、名乗って出る、同心手付の捕り方が、何やらしゃべり出そうとするのを、もう、闇太郎は聴いていない。
――ようし、これから先は、この俺が、立派に嗅ぎ出して見せてやるぞ。何が、あいつ等金持ちの蔵(むすめ)を狙うか?奴等は荒屋敷、荒寺を目あてにして、今夜の陣を張っているのだ。もうこの橋を渡ったと、見当がつけばこっちのもの――
役人たちが、土地を知っているという捕り手を案内に、バラバラと、駆け去ったあとで、橋を渡り切って、うしろを見送った闇太郎――
――ぺッ、間抜めえ!どこへでも消えていきゃあがれ!あばよ!と、嗤(わら)って、冷たい夜風が、こうこうと、淋しく溢れる堤に立って、薄雲に下弦の月が隠れているが、どんよりとした空の下に、森々と眠っている村落を見晴るかす。
それから、その堤根を、ましらのような素早さで、南へ駆ける闇太郎の、目あてとするのは、これから五、六町行ったあたりに、住持が女犯でさらし物になってから、住むものもなく大破した、泰仁寺という寺があるのを思い出したからだ。彼は去年の冬ざれ、例野見と洒落(しゃれ)たときに、その寺の境内で、休んだことを思い出した。キーンと感じた勘を、闇太郎は疑わぬ。駆けろ!駆けろ!大丈夫、間に合うぞ!


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女犯廃寺の泰仁寺――
その荒れ森や、黒い甍(いらか)は、やがて闇太郎の鋭い目の前に、どんよりして来た、初冬の夜空の下に見えた。
闇太郎は、立ち止って、じっと耳をすますようにして、その耳を地に伏せるようにする――こう、こう、こう――と、淋しい夜風の漂う底に、やがて、何を聴き出したか、ニーッと、白い前歯が現れる。
――ふうむ、どうだ、自慢じゃあねえが、江戸御府内の隅から隅まで、闇の中で見とおすと、人に言われるこのおいらだ――目ばかりじゃあねえ、耳もやっぱり順風耳だぞ――この夜ふけに、あの阿魔でもなくッて、荒れ寺の中から、金切ごえを聴かせる奴があるか――な、あの、かすかなかすかな物の気配――ありゃあ夜禽(よどり)の声でもねえ、物ずきが、胡弓を弾いている音いろでもねえ、女のこえだぜ――ふ、ふ、やっぱしあのおしゃべりおんなが、何かしゃべていやあがるんだ。
気軽になって、もう、はっきりと、目的成就の一歩手前まで来たように、声さえ出して笑おうとしたのだったが、その瞬間、
「あッ!」
と、仰天したように、大きく叫んで、ほとんど、地を蹴って飛び上った。
鋭い彼の耳の鼓膜に、ズーンという、さまで高くはないが、不気味なひびきが伝わったのだ。声に出して、
「あッ、ありゃあたしかに銃おとだ!はばかりもなく夜中の鉄砲!こいつは大変だ!こうしちゃあいられぬ!」
と、叫ぶと、タッと、両の股あたりを、平手で叩くと、それこそ、鉄砲玉のように、闇太郎は、泰仁寺の、寺域めがけて駆け出した。
闇太郎は、明るい光の下で見たら、このとき紙のようにも青ざめていたであろう!夜の銃声――物ずきに射つものがあるはずではない――たしかに、きっぱり、物のいのちを絶とうと決心した者だけが、敢てする業なのだ。
――雪之丞いかに、強くっても、鉄砲玉は避けられめえ!し、しまったことをしたな!雪!無事でいてくれ!頼んだぞ!今、すぐに、おれが助けに行くんだぞ!
打ッつかりそうになった、崩れかけた高い土塀、パッと、地を蹴るようにすると、いつか、寺の裏手の杜(もり)の中へ――落ち積った枯葉の上に飛び下りて、ちょいと止って、全身を耳に、呼吸(いき)を詰めたが、まるで肉食獣の足裏を持っているかのように、カサというひびきも立てず、杜の右手の墓地を潜って鐘楼の方へ近づいてゆく。
そして、鐘楼(しょうろう)の石垣にとりついて、前庭の方へ目をやったとき、彼は、覚えず、抑え切れず、
「あッ!〆めた!」
と、わめきそうになって、声を呑んだ。
その刹那の、闇太郎のうれしさ!見よ、二十間あまり離れた、本堂の縁先、鈍い、紅い、おぼろな光に照らされて、あの、なつかしい、心の友が、相もかわらず落ちつきを失わず、しっとりと荒菰(あらごも)の上に坐っているのだ。
――ふうむ、じゃあ、あの銃音は、おどかしのためだったのか?おどかしだとすれば、ああしてじっとしているからには、いのち取りの弾丸(たま)にやられるはずはねえ。
と、見つめていると、何やら、女の声が、嘲けるように聴えたと思うと、ひらりと、本堂の高縁から、飛び下りた人の影!
――よッ!お初の奴だ!しかも、短銃を持ちゃあがって!
闇太郎は、息を呑んだ。


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白い脛(はぎ)もあらわに、褄(つま)を蹴りみだして、沓脱(くつぬぎ)に跳ね下りると、庭下駄を、素あしに突っかけて、短銃を片手に、雪之丞の前に歩み寄るお初――闇太郎は、俄に咲き出した毒の花のようなすがたを、呪いに充たされて、みつめ続けた。
――畜生!いけねえ魔物を掌に握っていやあがる――あれせえなけりゃあ、糞!こうしちゃあ見ていねえのだが――
荒蓆(あらごも)の上に、坐っている雪之丞は、しかし、じっとりと、身じろぎもせず、お初を、澄んだ目で迎えているようだ。
「ねえ、雪さん!」
甲高(かんだか)な、お初の声が、鐘楼の、蔭の闇太郎の耳まで筒抜けにひびいて来る。
「おまえさんへの、あたしの怨みは、ことごとしく並べるまでもないよ――だけれど、ねえ、あたしだって、これで、やっぱし只のおんなさ。一度、惚れたおまえさんを、穽穴(おとしあな)に追い落して、生き地獄の苦しみに逢わせようとまで、憎み切るには、随分、手間ひまがかかったよ。おまえさんの秘しごとを、あたしがちゃんと摑んでいることは、おまえさんがようく知っている。でも、今だって、それを歯の外へ出しちゃあいないのだ。今夜、こんなことになったのは、おまえさんが、あの生け憎らしい、野郎なんぞを使って、あたしをひどい目に逢わせようとしたからさ――あの闇の野郎なんぞを!」
闇太郎、突然、自分の名が出たので、首をすくめて、小さく舌打ちをした。
――ちょッ!闇の野郎だって!生け憎らしい野郎だって!きびしいことを、いやあがって!
「雪さん、おまえさんは、あの野郎が、今、江戸で、どんな羽振りを利かせているか、ようく知っていなさるはずだ。あたしにゃあ目の上の瘤さ――それを知って、あの狐野郎をつかって、あたしをあんな古寺なんぞの穴ぐらへ押し込めるとは、あんまりじゃあないかねえ――だから、今夜、あたしは、わざわざ、同じような、古寺をえらんで、おまえさんをお招き申したのだよ。それも、お礼ごころに、あそこよりか、もっと淋しい、もっと怖ろしい、女犯でさらし物になって、舌を嚙んで死んだ坊主や、坊主にだまされて、怨み死にに死んだ女たちの幽霊が、丑満(うちみつ)ずぎには屹度(きっと)出て来るというこの寺をさ――ここの須弥壇(しゅみだん)の下の隠し穴は、女たちを絞め殺して、生き埋にほうり込んだあととかで、そりゃあ、陰気で鬱陶(うっとう)しい所だが、おまえさんほどの美しい男が、そのあだすがたではいって行ったら、御殿女中のしいたけたぼ、切髪のごけさんといった、坊主に生き血を啜られた挙句、くびり殺された女たちの怨霊(おんりょう)が、さぞ、うつつを抜かすだろうよ――ふ、ふ、このお初ちゃんほどの女を振りとおした雪さんでも、相手が幽霊じゃあ振り切れまいね。その、真白い頰ぺたを嚙み切られたり、くびすじを食い切られたり、からだ中を嘗(な)めまわされて、狂い死にに死んでやったら、幽霊たちがそれこそ大よろこびでござんしょうよ。ほ、ほ、ほ、ほ。あたしのお礼は気に入りましたかい?芝居がかりで、面白いと、感心してくれますかい?太夫さん!親方さん!ええ大阪表、大江戸切っての、人気者の女がたさん!おまえさんが、怨霊どもに奪(と)られたら、天下の御ひいきの御婦人がたは、ずいぶんがっかりするだろうねえ――さあ、あたしにばかりしゃべらせていないで、雪之丞さん、何とかお言いな。浮世での、台詞(せりふ)の言いおさめになるのだろうから――」
お初の毒舌は、雪之丞へよりも、闇太郎の癇癪に、ぴんぴんと響いて来るのであった。


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さんざ、毒舌を弄(ろう)しつくしたお初は、ますます雪之丞に迫り近づいて、掌(てのひら)にもてあそぶ短銃を、ひけらかすようにして見せながら
「さあ、技倆(うで)自慢のおまえさん、何とか、すばらしいところを見せたらどう?気合の術から、白刃(しらは)とり、お芝居や講釈で、評判だけを聴いている、武芸の奥義を、あらん限り知っているような、おまえさんじゃあないか――高々、この弱むしおんなの、手の中のいたずら物が怖いといって、そんなにすくんでしまわなくったっていいよ。大方、さすが、人をそらさぬ人気渡世ー―わざと怖ろしがって見せているのであろうが――ほ、ほ、ほーーこれだけいっても、飛びついて来ないのを見ると、ほんとうに怖毛(おじげ)をふるっているのかねえ――」
――雪之丞、何だってあんなにじっとしているんだろう?
と、闇太郎は、はがゆく呟(つぶや)いた。
――日ごろのあの男にも似合わねえが――もっとも、武芸という奴は、出来れば出来るほど、用心深いというから、荒立つことをして、毛を吹いて傷を求めるより、あとでしずかに手だてを凝(こら)そうとしているのかも知れねえが――ええ!じれッてえなあ、こんなことなら、この俺も、どこかで短銃を盗んで来るんだッけ――これでも、二本差していた昔は、銃っぱらいじゃあ、ひけを取らねえ男だった――。
お初の方では、細い、白魚にも似た人さし指を、曳金にチカリと掛けてちょいと、雪之丞に狙いをつけながら、犠牲(にえ)をじゃらす雌豹(めひょう)のように、
「どうでしょうねえ、太夫さん、親方さん、今、そこで、十八番の所作(しょさ)ごとを演って見て下さいと頼んだら、否やをおっしゃるでしょうかねえ?でも、鳴物もうたもないから、いけないというかしら――じゃあ、あたしの足の指に、つい泥が着いてしまったから、拭いて下さいと頼んだら、首を横におふんなさるでしょうかねえ?いいえ、あたしは、そんな失礼なことは言いません――あたしと一緒に、どうぞ、座敷へ上って下さいな。さっきから言うとおり、須弥壇の下に、設けの陥穽が、お前さんを待って、口を開けていますからね――なあに、怖いことはない。急に、いのちを取るように、慈悲深く出来ている穴じゃあない――息も出来れば、手足も伸ばせる――お上のお手入れがあったとき、ゴロゴロしていた白骨も、かたづけてしまったから綺麗なものさ。さあ、あたしが、入口まで、連れて行って上げるから、こうおいでなさいよ――ほ、ほ、ほ――こないだの意趣晴(いしゅばら)しに、じき上の本堂で、ちょいと一口飲(や)って、娑婆というものが、どんなに楽しいかというところを、見せつけて上げましょうね?ふ、ふ、ここにいなさる門倉さん、武術にかけては、おまはんに敵(かな)わないかも知れないが、これでなかなか情があって、どこかのお人のように、木仏金仏石ぼとけというのじゃあないのですよ。今夜はひとつ、みっちり仲のいいところを、見せつけて上げますかね――」
お初は、冷たく笑ったが、急に意地悪い悪どさで、
「さあ、おしゃべりはするだけした。雪さん、起って頂戴――御案内をしますから――」
銃口が、ぐっと、雪之丞に、突きつけられる。
無言に立ち上る雪之丞――
「歩くんだよ。生れぞくない――」
憎々しく浴びせかけて、お初は行手を顎(あご)で示した。


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お初の持った短銃の銃口に追われるように、しんなりしたうしろ姿を見せて、縁側に上ってゆく雪之丞――
お初がふりかえって、門倉平馬が、啣(くわ)えぎせるでいるのに、皮肉な、苦い言葉――
「ねえ、門倉さん、煙を輪に吹いて、ぼんやりしていないでさ。そこらに、ゴロゴロころがっている、河岸(かし)のまぐろの生きの悪いような先生方を、もう一度、息を吹っ返させてやったらどんなものだね――それでもみんな道場(うち)へかえりゃあ、先生だろうから。ほ、ほ、ほ、門弟衆に、見せてやりたいわね」
平馬は、唇をゆがめるようにして、煙を吐くと、荒っぽく、ぽんと雁首(がんくび)を灰吹きに叩きつけて、立ち上って、庭に下りようとする。
闇太郎、その方には、目もくれない、物蔭を放れると、本堂の裏手にまわって行ったが、あらび果てている戸じまり、別に工夫を要するでもなく、雨戸を外して、すうと、影のように中にはいる。
ジャリジャリと、塵埃(ほこり)が、一めんな廊下を、つたわってゆくと、お初の、例の、ねばっこいような、色気と皮肉とが、ちゃんぽんになっている声が、
「雪さん、さあ、今が娑婆と、お別れですよ。おまえさんの子分か友だちか知れねえが、おの闇太郎の薄野呂のように、あたまこそ丸めておれ、生ぐさもんおが一日も、無くッちゃあ生きていられねえような、あんな和尚を番になんぞ、つけて置きはしないけれど、だから、却て、一生、おまえさんの目はおてんとさまを見られないのさ。生じッか番人もいない、穴ぐらの中で、話相手は、おばけや怨霊、とどのつまりは、生きながら、可愛らしい鼠(ねずみ)やいたちに、生血を吸われ、生き肉をかじられておさらばさ。ちっとばかし凄いねえ――ふん、この場になっておまえさんは、いやに落ちついて、すましかえっているんだね?何という意地ッ張りだろう?」
お初は、少し思わくが、はずれているに相違なかった。
どんな性根の雪之丞にしろ、何しろ大願を抱く身、いざ、いのちの問題となれば、哀訴もし、懇願もして、どうにかして、生きのびさせて貰おうと、あがきまわるに違いない――それを眺めて、存分に、せせら笑ってやろうともくろんでいたのが、相手が、落ちつき払っているので、計画、画餅(がべい)では物たりない。
何よりも、彼女としては、雪之丞が、もがきにもがき、もだえにもだえて、最後は、感情や官能で、媚(こ)びて来たとき、自分が、どんな態度に出るだろうかと、それを想像することが、不思議な、変態的な歓びでもあり、期待でもあったのだ。
――そんなとき、あたしに、あの人を、どこまでも突っ刎(ぱ)ねてしまうことが出来るだろうか?とりすがって、どんなことでもしようというのを、穴ぐらに、蹴落すことが出来るのだろうか?あたしは、してやるつもりだけれど、ことによったら、あの人の、涙ぐんだ目でも見たら、こっちの気持がくたくたになってしまうかも知れない――あたしは、そのときの自分が見たいのだ。
そんな、悪どい妄念(もうねん)まで抱いていたのに、雪之丞は、殆んど、一世一代の重大な危機にのぞんでいるという自覚さえないように、ただ彼女のいうままに、動いているだけだ。お初は、歯がみした。
「雪さんあたしのいったり、したりしていることは、冗談じゃあないのだよ」


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闇太郎のような強敵が、つい障子外まで、忍び寄っているとは、さすがのお初も気がつかず、当のその人の耳があるのにお構いなしで、いら立たしさまぎれに、
「どうも、雪さん、あたしという女が、田圃の親分や、島抜け法印みたいな、業さらしでなくって、お気の毒さま――じゃあ、まあ、しばらく、穴ッぱいりをしておいでなさいよ――じきに、あたしが、来て見るからね――それまでに、その大切な、美しい、やさしい顔を、おねずさんに嚙じられない用心をなずった方がようござんすよ――さあ、おはいり――」
ガラガラと、引き戸になっている、陥穽(おとしあな)への入口が、あいたらしく、やがて、顧みられぬ女のやけ腹な、おこりッぽい調子で、
「さあ、下りなと言ったら、下りないか!愚図々々していると、お初ちゃん、気が短いよ、上方ものとは違うんだ。どてっぱらへ、ドーンと一発ぶち込むよ――ふ、ふ、一度惚れた女だなんぞと思って、甘ったれッこなしにしてさ――下りなよ、雪之丞――」
雪之丞は、何と観念したか――手向いは、大けがの元と、胸をさすったのであろう――梯子(はしご)か、それとも綱か、それをつたわって、地下室へ下りて行った容子――
「大人しくしているんだよ、御府内御朱引の中とはちがうんだよ――じたばたすると、火をかけて遠慮なく、古寺ぐるみ、焼き殺すから――」
と、おとして置いて、ガラガラピシャリと、下り口の戸を閉めると、ガチャガチャと金物のひびきをさせたのは、錠を下したのであろう――
「ふ、ふ、可愛さあまって、憎さが百倍ッてネ、これで、胸がせいせいした」
と、捨鉢につぶやいたお初、門倉たちがいる方へ、出て行ったが、相変らずのキンキンした調子で、
「さあ、これから、勝祝いに酒盛りと出かけますかね――皆さん、ごくろうさま――でも、あんまり、手もなくたおされてしまったので、見物の仕甲斐がありませんでしたよ。ほ、ほ、ほ、それでも、あたしのために、気まで失って下すったのだから、お礼を申します――ことに、鳥越の先生なぞ、二度まで、生き死にの思いをなすったのですからねえ――まあ、ほ、ほ、ほ、みなさん、おつむを布でしばったりして、大そうな御容体ですこと――」
かまわず、毒のある言葉と笑いを浴びせかけて、
「さあ、これから飲みあかしましょう。お礼ごころに、お酌をして上げます――」
「雪めが、ぶちこまれた穴の上――本堂で酒盛りは、一しおうまいだろう」
と、門倉平馬の、野太い声。
「駄目ですわ。行って見たら、ごみだらけで、坐われたものじゃありません――この座敷が、このお寺では一ばんさ。おい、重詰や、樽を、おだしよ――吉」
と、連れて来た乾児(こぶん)に、命じるお初だ。
――へえん。
と、嘲笑うのは、本堂障子外の暗い廊下に立つ闇太郎――
――田圃や島抜けのような、のろ間でなくって――業さらしでなくってお気の毒だって?はばかりさまさ――まあ、一ぱいやってから、雪之丞をからかいに来て見るがいい――きもッ玉がでんぐりかえって、腰を抜かさずにはいられめえから――は、は、は、やっぱし、女さかしゅうして、牛うり損うだなあ――大人しく、万引でもしていりゃあいいに、あばずれ奴!


一〇[編集]

座敷の方で、酒宴のにぎわいが陽気らしくはじまったころ、闇太郎は、いつか、荒れ障子を開けてもう、真暗な、本堂の中にはいっていた。
だが、夜と、暗がりが世界のような彼、足元にも、手元にも、迷うことではない。まるで、明るみの中を歩くように、雑多にころがっている、仏具や、金仏の間を、巧に趾先(つまさき)さぐりに通り抜けて、近づいたのが、須弥壇の前――抹香臭(まっこうくさ)さ、かび臭さが鼻を撲(う)つ。
おぼろかな気配のうちに、さすがに荘厳味を感じさせて、高く立っている如来像には見向きもせず、壇下を、手さぐりで、一探り、早くも、台の前かざりの、浮き彫の、嵌(は)め込みの板を、触れて見て、彼は、それが、引戸になっているのを悟った。
――ははあ、これだな、お初の奴が、ガラガラと開けたのは――つまり、ここから壇の下に潜ると、陥穽になるわけなのだ。
お初は、遠慮する必要がないから、出入りの秘し戸を、思い切って開けることが出来たのだが、こちらはそうはいかない――闇太郎は、油断のある男ではない上に、今夜は、つい鼻のさきに、目も耳もはしっこい、敵を控えている身だった。
大事を取って、息をととのえて、指先を、秘し戸にかけると、いつか錠がはずれて、スッ、スッと、小刻みに開いてゆく。
お初の場合には、あんなに輾(きし)んだ引き戸が、闇太郎の、用心深い手にかかると、まるが單年に膏をくれた溝を走るかのように、辷るようにひらかれたのだ。
闇太郎は、うまうま、おのが姿を、須弥壇の下に蔵(かく)すと、元の通りに閉めて、さて、心耳をすます。
今度こそ真の闇――床下から湧き上って来る毒気が、息を窒(つま)らせるばかりで、この中に押し込められた、雪之丞、どこにどうなりゆいたのであろう?いき差しも聴えない。
――ふうむ、俺がもぐって来たのを、俺と知らずに、静息の法で、在り所(か)を隠したな!
静息の法というのは、人、近づくと知れば、相手の呼気、吸気と、あるか無きかの息を合せて、物の気配を相殺させ、その間に容子をうかがって、避けるか戦うかの判断を加えるための、秘密の術のひとつ――
その間に、闇太郎は、切り穴が、板張りに開いているのを探り当てたが、案の定、そこから一本の綱が、下におろされている――
――ふん、綱をたぐりあげても置かねえところを見ると、お初の奴、勝ち誇りゃあがったな――どうずるか見ていろ――
闇太郎は、切り穴の中に、首を突き入れるようにして、かすかなかすかな咳ばらいを、一つした。
と、殆んど、間を置かず、ひどく深い穴の底でも、同じような咳ばらいがする。これがこんな場合それといわずに、自分の本体(からだ)を、知らせ合う法で、咳ばらいには、めいめいの特長があるから、ほんおかすかな、小さい、低いひびきでも、お互に、ははあ――近づいて来たのは、誰だな?何人だなということが呑み込めるわけだ。
闇太郎が、綱の一たんを摑んで軽くゆさぶった。
――この綱にすがって、上って来い。
と、すすめたのだ。
すると、たちまち、その綱が、ビーンと緊張して、スルスルと、上って来る者があるのが、闇太郎の指に感じられる。
上り口まで来たところで、手を腕にかけて、引き上げてやる。
「太夫、わびはあとだ。さあ、先へ戻りな」
と、雪之丞が板張に立ったとき、闇太郎は囁いた。


一一[編集]

須弥壇下の闇の中――
手と手を取り合ったが、雪之丞、闇太郎、多言の場合でない――
「外へ――早く!宿へ戻るがいい」
「かたじけない」
外の気配を、じっと、うかがった雪之丞、ふたたび、引き戸をあけて、つい、一瞬に、すがたは、もう消え失せる。
本堂にたたずんで、コソリと、杉葉が、たった一度、裏庭でかすかに鳴るのを聴いた、闇太郎、
――ウム、これでよし――
と、心の目で、雪之丞が、もはや、寺後(うら)の杜を抜けて、塀さえ越してしまったのを、見届けてつぶやいたが、
――それにしても、俺にゃあ、このままじゃあ、帰られねえ――お初の奴び、ちょッぴり礼を言わねえことにゃあ――
スウッと、本堂を、物の影のように抜けると、いつか、庭へ下りて、さも遠くから、たった今、駆けつけて来たかのような息をし妙に掠めた、低い調子で――
「吉ッつぁん――黒門町の、もしや吉さんというお人が、このお寺に来てはいやあしませんかね?」
庫裏(くり)の、上りがまちに、腰を下して、いずれ、悪徒(しれもの)らしいかごかきを相手に、これも寒さ凌ぎの、冷酒をかぶっていた、がに股の吉が――
「たれだ?俺の名を言うなあ――」
と、不気味そうに、びっくりしたような、
「手めえは何だ?」
どこから、出し抜けにあらわれたか、突如として、暗がりの庭にはいって来た男を見て叫んだ。
相手は、そんなことには、頓着なく、
「おお、お前が吉ッつぁん――安心しやした。さっき、池の旗を駆け出して、川向うまで、一足飛び――大てい、この辺だろうと、お杉の姐御が言うものだから、見当はつけて来たが、若し一あし違えになったら大変だと思って――」
さも、安心したらしい、しかし、意味ありげな口上――吉は、立って来て、手拭を盗ッとかぶり、尻をはしょって、空脛(からすね)を出した男を、闇を透してみつめるように、
「じゃあ、おめえは、池の端の、お杉姐御のところから、来たって言うのだな――一あし違えたあ、妙な文句だが――」
「いやもう、今夜という今夜は、面くらってしめえやしたよ。お杉姐御も、かわいそうに、お番所さ」
「えッ!お杉さんが、番所へ引かれた?」
と、吉の声がつッぱしる。
「へえ、なあに、ゆうべ、黒門町のお初さんの宿をしたのが、判ったというのでネ――奴等あお初姐御が、浪人衆をかたらって、川向うへ来たというので、ちゃあんと知っていやあがって――」
「何だと!じゃあ、奴等が、川のこっちへ出張ろうッてえのか?」
吉は、せかせかしくいって、
「奴等に知れるわけが、あるはずがねえが――」
「あッしにゃあ、詳しいわけはわかりません――だが、お杉さんが、引かれる真際に、役人に薬を使って、着物を着更えながら、紅筆で、あっしに書きのこして行ったんですよ。お初さんが、川向うの泰仁寺へ行ったはずだ――吉ッつあんが跟(つ)いているから、駆けつけて、知らせろッてネ――小女(ちび)が、その手紙をあッしの穴へ持って来てくれたんです。それを読むと足を空にかけ出して来たんですが――」


一二[編集]

二度、三度、顔を合せているがに股の吉、相当、目あしの鋭い男だが、闇太郎の、ひょいとしたいきでガラリ調子を変えて見せる、不可思議な技術と、擬声(ぎせい)の巧さとに、すッかり相手を見そくなってしまった。
もっとも、それを、責めるわけにはいかないのだ――闇太郎の、この種の技巧は、江戸切ッての目明し、岡ッ引の、心眼さえ、何度、くらまして来ているか、わからないのだから――
「そんなわけで、黒門町の姐御に、是非とも、一刻も早くこのことをお耳に入れなけりゃあ、お杉さんにあッしが済まねえ――吉ッつぁん、姐御が、この寺にいるなら、早速知らせて上げておくんなせえ」
「いうにゃ及ぶだ――お杉さんはまさか口は割るめえが、浪人衆の方の門人か何かが、行く先きを知っていて、しゃべってしまえばそれッきりだ」
と、前庭を、書院座敷の方へ駆け出す吉のあとから、闇太郎は、ぬからず跟いて行った。
「姐御!酒盛なんぞ、陽気らしくやッている場合じゃあありませんぜ!」
吉が、庭先から叫ぶと、
「何だい!仰山らしい!何がどうしたって言うんだい!」
と、きめつけるような、お初の声。
「今、池の端から人が駆けつけて、手入れがあって、お杉さんが、番所へ引かれたというのですよ」
「何だって!お杉が!」
さすがに、お初の語韻に、驚きがまじる。
「姐御が、立ち廻ったのが、ばれたんだそうですよ」
「ふうむ?」
「それで、若し、どうかした拍子で、川向うへ来たことが知れたら、一騒動、とにかく、容子を知らせろと、頼まれて、お杉さんの懇意な人が、飛んで来てくれたのですが――」
「では、役人に、今夜のことが知れたというのか?」
と、門倉平馬が、臆病風に誘われたようにいう。
「お杉さんは、何もいいはしますめえが、あそこには、雇婆(やといばばあ)もいるし――万一、底が割れたら、もうじき奴等が押しつけて来るものと思わなけりゃあ――」
吉が、そう答えたとき、お初はもう、すっと立ち上っていた。
立ちながら――
「平馬さん、奴等が近づいていると、あたしの武器じゃあ、音がして悪い――あんたの手を借りなけりゃあ――」
お初、吉の言葉に動顚(どうてん)させられて、今は、雪之丞に対する複雑な気持をじっと、持ち怺(こら)えることさえ出来なくなり、一思いに、殺害してしまおうと、決心したものと見えた。
「心得た」
相手が、穴ぐらの中で、自由を失っているのであれば、大して手向いも出来るものではない――と、考えたらしく、平馬は言下に太刀を摑んで突ッ立った。
「あたしが、鉄砲でおどかしているうちに、ズバリと殺っておくんなさいよ――本堂へ引き出すからさ――」
――ケッ、ケッ、ケッ!
と、闇太郎、声を呑んで嗤(わら)わざるを得ない。
――ざまあ見ろ、須弥壇下へくぐって見ろ、雪之丞にゃあ、いつだって、この闇太郎が着いているんだ。馬鹿あめ!
怪賊は闇の中で、ニヤリと白い歯を現して、本堂の方をのぞき込んだ。


一三[編集]

一度、雪之丞に打ち倒されて、半死半生の目に合された、剣客や、門弟たち、さすがに不死身で絶気のあとでは、第一の妙薬と、大杯を傾けていたのが、これ等もドヤドヤと立ち上って、お初、平馬のあとを、本堂の方へ跟いてゆく。
それを、錆びた燭台の、裸蠟燭のあかりで、ニヤニヤしながら眺めていた闇太郎、やがて、奥で――
「おや!これは不思議だ!」
と、お初の甲高な、いくらか取りみだしたような声がして、
「だれか、もっと大きな蠟燭を持って来ておっくれよ」
「どうしたのだ!姿が見えぬのか?」
と、平馬のハッとしたような叫び。
「いいんですよ、その手燭(てしょく)では、あかりが届かないんだから――隅々までわかるように、向うの百日蠟燭を持っておいでなさいよ」
お初の声の下から、平馬の門弟の一人が、座敷へきて、燭台から、百日蠟燭を火のついたまま、抜いて摑んでゆく。
が、どんな灯りも無駄だ。
「まあ!あいつ、どうしたのだろう?厳重に錠を下して置いたのに!」
お初が、さすがに、絶叫した。
――へん、外からあけて、抜け出さして、また、ちゃあんと、しまりをして置いたんだ。
と、闇太郎は、赤い舌さえ出して、嘲って、
――もっともっとびっくりしあやがれ!
平馬の声が、
「どれ、拙者に蠟燭を――どんな隠れ穴があるのかも知れぬ――下りて、見てまいる」
「お気をつけなさいよ――隠れていたらあぶないから――」
「なあに、こうしてまいれば――」
抜き身の刀を提げて、綱をつたわって下りてゆくつもりらしい。
門倉平馬、惚れたお初の目の前で、何とかして勇気を示し、いつぞや以来の、不信用を取りかえしいたいのであろう――自分だけは、今夜同伴の剣士たちとは、ちっとはちがったものだということを示したいのであろう。
平馬が、穴の底に着いたと思うころ、闇太郎、バラバラと、縁側に走り寄って、大きな透る声で叫んだ。
「ざまあ見ろ!お初、手前ッちが、このおれさまに張り合えるかい!とんちきめ、尋ねる人は、もうとッくに楽々と、蒲団の中で楽寝をしていらあ――あばよ!」
「やッ!ちくしょう、うぬあ何だ!」
と、がに股の吉、びっくりして、闇太郎に摑みかかるのを、突きとばして、尻餅をつく上へ、あびせかえるように、
「三下!引ッ込んでやがれ!馬鹿、俺がわからねえか!」
「あッ、お前は、闇の――」
「うるせえ!」
と、一喝して、
「手めえに恨みはねえ、早く亡(ふ)けろ!役人が来るなあ、ほんとうだぜ!」
タッと、一跳躍して、暗がりの庭を、突ッ切って、塀を刎(は)ね越えようとしたとき、
――ズーン!と、いう銃(つつ)の音――つい側のにわいしに中って、火花が散った。
「間抜けめ!」
と、塀外へ下りたとき、
「卑怯だぞ!てめえ、密告したんだな!」
と、憤怒を投げつけるお初の声がひびいた。

この著作物は、1939年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。