鉄道唱歌/地理教育 北海道鉄道唱歌
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< 鉄道唱歌
北海道
汽 笛一聲札幌 を早 や我 が汽 車 は離 れたり棚引煙 りを後 にして矢 のごと走 る勇 ましさ思 へば昔時 は蝦夷 と稱 び北 の端 なる荒 蕪 の地 今 は開 けて我 が國 の富 源 の一 つに數 へらる汽 笛 に和 する山 嵐 〔ママ〕誘 はれ來 る琴 似 驛 平 野 に續 く家々 は太平歌 ふ聲 すめり人 に翼 の汽 車 の旅 手 稻 の山 を横 に見 て語 らふひまに輕川 を すぐれば早 も錢函 の石狩茨 戸 は程 ちかし急 げば人 馬 の便 もあり過 ぐればいつしか暗 となる カモイコタンの隧道 よ其の トン子ルを打 過 ぎて夜 あけの心 地 すが/\と今 も忘 れぬ鐵道 の道 ゆく人 のきけんさよ- こゝは
鯡 の漁 場 なるぞ晝頃 つきしも朝 里 驛 またゝくひまに今 はゆく ゆけば小 樽 のステーシヨン 港 を見 れば百船 の煙 は空 をこがすまで海 のあなたにうすがすむ山 は天 鹽 か石狩 か北海 一の大 港 あつまる汽 船 のかず/\は天 鹽北 見 の端 までも函館横濱行 もあり又 も上 りの汽車 に乘 り札幌 さして歸 りしが むかしは熊 や狼 の すまひし話 も夢 のあと北海 一の大 都 會 道 廳 所在 の地 なりとぞ西 には高 く藻 巖嶽 東 に流 るゝ豐平 川 君 の恩 の厚別 を過 れば程 なく野 幌驛 江 別 の川 の鐵橋 を とどろに渡 るも亦嬉 し窓 より近 く見 渡 せば石狩川 も見 ゆるなり此 ぞ全國第 一の大 河 の程 ぞ知 られたり地圖 を開 きて山 を指 し川 を指 つゝ語 るうち いつか幌向打 過 ぎて岩 見 澤 にぞ着 きにける此所 は東西南北 に線 路 分 れしステーシヨン知 るも知 らぬも落合 て肩 摩 の賑 ひ盛 んなり我 は是 より都 路 の室蘭 さして行 なまし げにも樂 しき汽 車 の旅 眺 めも心 も清眞 布 左 に遠 く聳 ゆるは是 ぞ名 に負 ふ夕張山 栗山 由仁 も早 や越 えて三 川通 れば追分 ぞ都 の土宜 に夕張 の炭山 事 業 を見 てゆかん追分驛 より乘 替 へて折 るれば川端瀧 の上 秋 は色 ます紅葉 山 夏 は凉 しき清 水 澤 妻 戀 ふ聲 の鹿 の谷 はや夕張 に至 りけり- そも
夕張 は狹 けれど御 料 の林 や官 林 や世 に名 も高 き炭山 や郵便 局 も備 はれり 我 は此 の地 を一見 し追分 さして立戻 り待間 程 なく發 すれば いつか早 來 にはや來 たり此處 は厚 眞 とシアピラと二 つの川 の間 にて土地 も次 第に 平 かに山 も漸 く遠 ざかる- その
遠 ざかる川山 の離 れて見 れば懷 かしと語 らふ間 に來 りしは沼 の端 驛 と聞 えたり 今渡 りしは何川 か あれぞ勇拂川 になん いよ/\山 に別 れつゝ來 りし所 は苫 小 牧 岸 うつ浪 の音高 く旭 に水 も錦多 峰 漁業 盛りの海岸 は磯 菜 の香 りもするぞかし- かしこはいづく
白老 や敷 生 を越 えて登 別 母 の衣 の幌別 は幌別岳 の麓 なり 輪 西 過 ぐれば秀 たる香 もなつかしき室蘭 よ こゝは海軍々港 の その一とこそ聞 へけれ西 南 には繪 鞆 崎 北 には輪 西 の山 あれば四時 濤風 おだやかに荒 たる例 なしと聞 く港 の口 にある嶋 は大黒嶋 といふ嶋 ぞ該嶋 に建 たる燈臺 は船 の出 入 の助 けなり- はるか
彼 方 に薄 がすむ山 は渡 嶋 の茅 部 かや此 の室蘭 は函館 と青森港 との海 路 なり - かくて
舊 來 し鐵道 を岩 見 澤 へと引 返 へし幾 春 別 へといざ行 かん さて面白 の旅 なれや - まづ
着 きたるは幌内太 此所 は左 右 の分 れ道 左 へゆけば幾 春 別 右 へ進 めば幌内 ぞ 幾 春 別 と幌内 も共 に名 高 き炭 礦 山 採堀 〔ママ〕高 も年 々 に いやます/\に殖 るとぞ是れ より再 び引返 し岩 見 澤 より又更 に歌 志 内 へと立 越 えん これも社線 の内 の旅 煙 を後 に行 く水 の美 唄 の川 を彼方 に見 軋 らす車 の音高 き峰延驛 はこゝぞとよ左 は平 野 右 は山 石狩國 のたゞ中 を 一直 線 に進 みゆく景 色 も美 なり美 唄驛 動 がぬ御代 の驗 しとて奈井江 ふるはぬ砂川 や濱 の眞砂 の數 つきぬ齡 を祈 る此 の神 威 君 は千代ませ千代ませと ことほき祝 ふ歌 志 内 此所 にも聞 えし炭山 と郵便電信 局 とあり- また
砂川 に立返 り空 知 太 まで進 み行 き こゝにて更 に官 線 に移 れば早 き瀧川 の 瀧 つ流 れは白玉 の露 と答 へんよしもなく江部 乙高 き妹 背 牛 草刈童 子 ひきてゆく學 びの心 深川 を越 ゆれば早 も納内 の驛 に至 るも程近 く伊 納近文 直 ぐの道 霞 たな引 く旭 川 此所 も線 路 は三叉 に分 るゝ繁華 のステーシヨン月 日 と共 に榮 えゆく左 は天 鹽右 十 勝 いづれも長 き線 路 なり されども今 は工 事 中 全通迄 は程遠 し- いでまづ
離 宮 豫 定 地 の上川 郡 見 てゆかん そも上川 は本道 の中心 としも謂 ひつべし 水清 らかに地味肥 えて風景 佳 絶 畫 も如 ず早 く宮 居 を建 まつり行 幸 を此 に拜 みてん- その
上川 へ行 く道 は旭 川 より右 へ折 れ邊 別 を下 りて進 むあり山 河 の景 色心 地 よし 邊 別 の次 は美 暎 〔ママ〕驛 上 富良野 より中 富良野 下 富良野 まで通 じたり十 勝線 路 は此 の線 ぞ天 鹽線 路 へ出 づるには旭 川 へと引返 し北 に發 する汽 車 に乘 り日 も永山 に進 むなり比布 と蘭 留 を過 行 けば和寒風 そ身 には染 む さはさりながら恐 るべき みづき草 むす此 の屍 - のどかに
死 なん君 のため腰 の劍淵 たてならず義 勇 一徹奉公 の心 は堅 き士 別驛
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