鉄道唱歌/九州線唱歌 汽車
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九州線唱歌 汽車
鳥 も通 はぬ玄界 の海原 遠 く右 に見 て汐 の流 も早鞆 の瀨戸 を渡 れば門司 港 門司 の關屋 の跡 舊 りて あらたに起 る石炭 の輸 出 にぎはふ一大 市 鹿児 島線 の起 點 の地 和布刈 神社 の鎭 座 せる和布刈 の鼻 に立 つ時 は壇 の浦波 目 の前 に ながめやられて夏涼 し門司 打 ち過 ぎて大 里 驛 海 邊 は音 に企救 の濱 安德帝 のおはしつる柳 の御 所 も此 ところ織物 名 高 き小 倉 市 に置 かるる師 團 は第十 ニ 見 るべき寺 は眞 宗 の九州本山永照 寺 豐州線 に乘 り替 へて ゆくや行橋 、新田原 椎 田 、松 江 の濱 づたい左 に望 むは周 防灘 中 津 の町 から遡 る山國川 の水上 は天 下 に無 しと山陽 が愛 でし耶馬 溪 大絕景 靑 の洞門 打 ちくぐり ゆけば羅 漢 寺 、屛 風 岩 うしろに峙 つ彥山 は雲 おしわけて豐 前一 宇佐 には祭 る八幡宮 神 勅 受 けて淸麿 が天 位 を無 窮 に支 えたる御稜威 は輝 く千代八千代 名 に聞 こえたる溫泉 塲 別 府 十 二里馬 車 もあり大分灣 の一方 を占 めて浴客 四時絕 えず小 倉 に歸 りて又 ゆけば煤煙 おほう若松 の港 はあれよと洞 の海 隔 てて向 ふ戸 畑驛 三十 哩 の鐵道 を構内長 くも敷 き渡 す東洋一 の大 規模 を示 すは八 幡 の製鐵 所 神功后 の舊蹟 を殘 すは福 間 の宮 地 嶽 仲 哀帝 の御 廟所 は官 幣大社 の香 椎宮 博 多 灣線 のりかえて ゆけば多多羅 の川尻 に望 む名 島 の波 間 より帆 柱 石 ぞ空 に立 つ- むかし
弘安年 中 に蒙 古 の戰艦襲來 し我 と戰 い敗 られて沈 みし遺 跡 は此海 邊 醍 醐 の帝 の宸筆 を寫 して敵國降伏 の四 大 字書 きたる額面 の懸 かるは箱崎八幡宮 多多羅 の濱 より博 多 まで つづける千代 の松原 は三松原 の其一 つ ながめ妙 なる景 色 かな東 公園 打 ち過 ぎて下 車 せば帶 地 の名產 地 博 多 と西 の福岡 を合 せて呼 ばるる福岡 市 九州一 の大 都 會 商 業 日々 に榮 えゆく西公園 の眺 望 は玄海沖 まで唯一 目 遠 き船 路 と古 は よそに聞 きたる筑 紫路 も都 を出 でて二日市 おるれば太 宰 府 天滿宮 恩 賜 の御 衣 を捧 持 して餘 香拜 せし誠 忠 の心 を仰 ぐ天拜山 山 の麓 は武 藏 の湯 佐賀 には五 十 五 聨隊 松原神社 神 野 茶 屋 久保田 を北 に乘 り替 えて ゆけば鮎 つる松 浦 川 川 の裾 には燒物 の名 に聞 く唐 津 の港 あり虹 の松原 二里 靑 く東 に領巾 振山高 し又立歸 る本線 の牛 津 、山口 打 ち過 ぎて溫泉 さかゆる武 雄 町 公園春 の花 もよし- ここより
馬 車 の便 有 りて嬉 野 溫泉道三 里 鹿 島 の稻 荷 は五里足 らず ゆけや急 がぬ旅 ならば 有 田 は陶 器 の名產 地 線 路 ここより分 岐 して つづく伊万里 の港 には影 さし浸 す伊万里富士 三河 内 過 ぎて行 く汽 車 の早 岐 は佐世保 の分 岐 驛 佐世保 におかるる鎮守 府 の威 風 に靡 くや四方 の海 早 岐 を出 でて南風崎 川棚 、彼 杵 、松原 と走 せゆく儘 に眺 めやる大村灣 の好風景 大村氏 の舊藩 地 大村 城 の跡 とへば公園海 に突 き出 でて春 は漲 る花 の雲 音 にも喜々津 、大草 の あたりは名 に負 ふ鯛 之 浦 並 ぶ島 々濃 く薄 く釣 する船 も面白 や時 間長 與 のトンネルも濳 り/\て 長崎 に着 きしは夢 か夢 ならぬ こゝぞ著名 の開港 塲 長崎公園 諏訪 神社 夏 の夜 涼 しき螢 茶 屋 支那 寺 名 高 き崇福 寺 市 街 は淸 く海深 し- なほ
見 るべきは水源 地 飽 の浦 なる造船所 ついでに訪 はん高島 の炭坑 までは海三 里 - あはれ
弥生 の空 ならば かねて噺 に傳 へ聞 く全國 無比 の大 奇 觀 凧 合戰 も見 るべきを 長崎隈 なく一見 し歸 は鳥栖 より乘 り替 へて わたる次 郎 の筑 後 川 菊 池 武光 苦 戰 の地 久留米 絣 の產地 なる久留米 の寺 に独 り立 つ墓 は髙山彥 九 郎 參詣 絕 えぬは水天宮 鑛 泉 名 高 き船 小屋 は羽 犬塚 にて下 車 すべく三 池炭坑 見 る人 は大 牟 田 おりてむだならず長 洲過 ぎつつ有明 の海 のあなたを見 渡 せば溫泉嶽 は靑空 に聳 えて四 千 數 百尺 十年役 に官 軍 が十七晝 夜 たたかいて賊壘 おとしし田 原坂 木葉 驛 より二 十 町 山 鹿 の湯 まで四里 と聞 く植 木 を過 ぎて忽 に來 る都 會 は熊本 市 市 中 におかるる六 師 團 城 は淸正築造 の譽 れ雄々 しき跡 なるを兵火 に罹 りて今 は唯 形 見 を殘 す宇土 櫓 見 めぐる加 藤社 、本妙 寺 花岡山 に水前 寺 かへりに休 む公園 は名 も白河 の下 河原 噴火 の烟 絕 間 なく雲 居 に眺 むる阿蘇 山 は熊本 市 より道十 里 遊心勃 たり登 山 せん宇土 より三 角半島 を貫 く端 は三 角港 天草島 は目 の前 に語 れば答 ふるばかりにて右 に望 むは有明海 島原半島程近 く左 に見 るは八代灣 不知火 もゆるは秋半 ば有 佐 驛 より十 里 ほど山奧深 く分 け入 れば平 家 の子 孫 そのままに今 も遺 れる五家 の莊 八代宮 ある八代 は八代鮎 の名產 地 ゆあみを望 む旅人 には日奈久 溫泉遠 からず三急流 の随一 と その名 を得 たる球磨 川 に沿 ひつつのぼる十六 里 矢 を射 る水勢山 ふるう坂本 、白石 、一 勝 地 送 り迎 うる程 もなく奇 岩激流 あとに見 て人吉町 に着 きにけり- ここは
相 良氏 舊 城 地 俄 に是 より馳 せ登 る汽 車 の勾配 大 畑 に ゆるめて作 るループ式 肥後 と日向 の境 なる矢 嶽 トンネル出 で來 れば雲 井 に望 む霧島 の嶺 は神 代 のままにして吉松 、栗 野 、嘉 例川 彥 火火出見 の御陵 を遙拜 しつつ着 く驛 は煙草 產 地 の國 分 町 加治木 、重富 、弓形 に沿 ひゆく錦江灣内 の風景 富 ます櫻 島 薩 摩富士 とは是 かとよ大崎 トンネル打 ち過 ぎて早 くも着 きぬ鹿兒 島 市 東 京 出 でて三 日目 に來 らるる汽 車 の有難 さ
(終)
この著作物は、1943年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。