鉄道唱歌/中央線木曽鉄道唱歌
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< 鉄道唱歌
中央線木曾鐵道唱歌
- 作詞:原華嶺子(原近一)
- 作曲:春江生
- 校閲:淺井冽
笠 に木 の葉 の舞 ひかかる木曾路 の旅 は昔 にて往 來 の關 にとざしなく進 みに進 む今 の御代 木曾 の山 路 も眞 鐵 しき今 は滊 笛 と諸共 に夢 に越 ゆるも進 み行 く御代 の惠 に外 ならず名古屋 の驛 を今朝立 ちて あまたの隧道 越 え來 れば ここは東濃中 津 驛 惠那 山麓 の電燈村 中 央製 紙 も程近 く富 豪巨 商 も多 しとや右 は落合 、山口 の摸 範村 なり尋 ね見 ん坂下驛 を打 ち過 ぎて トンネル過 くれは〔ママ〕田 立村 名 に負 ふ木曾路 は是 よりぞ川 の對岸 は賤 母 道 夏 の新 綠 冬 の雪 秋 の紅葉 に名 を得 たり渡島鐵 橋 越 え來 れば讀書村 は三留野 驛 驛 を南 に吾 妻 橋 左 にとれば妻 籠 驛 飯 田 旅 客 は大 平 峠 を越 えて八 里 程 檜 の笠 の蘭 や戾 る宿 塲 は馬 籠 驛 神 坂越 なる霧原 は兼好法 師 の古 跡 なり三留野 をあとに早 立 てば危 く通 う羅 天 道 工 事 の困難 忍 ばるる與 川 、柿其 、十二兼 名 をば記 して野 尻 驛 立 つや黑煙 製材所 入 るや阿 寺 の御 料 林 木曾 の五 木 に名 を得 たり林 は晝 も尙 ほ暗 らく〔ママ〕伐 るも盡 せぬ國寳 は木曾 全溪 を見 積 りて反別 三十五萬 町 恩 賜 の惠 みにうるほひて いやに榮 ゆる千 秋 道 高倉 峠 を越 ゑ行 けば上松 小 川 に續 くなり花 早 く咲 く殿村 の前 に關山關所跡 兼平山 の薄 紅葉 赤 く實 るや長 野 柿 中山隧道 越 え來 れば御 影 河原 の伊那 川 や川 にはかくるくろがねの橋 の往 來 もいとやすし櫻 盛 りに岩出 の觀音詣 でも面白 や彼方 に木 紙 工 塲 の資 本 は實 に六十萬 沸 湯 の中 に咲 き匂 ふ花漬 召せや須 原驛 あたりに茂 る新桑 の蠶 飼 の業 こそ尊 けれ倉本 たち町荻原 や其 名 は古 き風 越 山 たもと凉 しき小野 の瀧 滑川橋 ぞ渡 りよき寢 覺 に見 下 ろす床 の潭 奇 しき岩 石 のただ〔ママ〕ずまい木曾 第一 の名 勝 と稱 へらるるもうべなりや瞬 くひまに上松驛 駒 ヶ嶽 へは四里 あまり 三十六峯 八千谿 奇 しき草 木 も多 しとや命 をからむ蔦 かつら危 き木曾 の棧道 も今 は往 かふ滊 車 の旅 進 み行 く世 ぞありがたき左 に白雪突亢 と雲 間 に高 く聳 ゆるは これぞ名 高 き御 嶽山 海拔 一万 二百尺 富士 にも劣 らぬ名山 ぞ されば白 衣 に菅 小 笠 金剛杖 の登 山 者 に夏 の木曾路 は榮 ゆなり石 の鳥 居 の遙拜所 茲 に落 ち合 ふ王滝川 其川上 に氷 が瀨 瀧越 などの名所 あり木曾 福嶋 の呼 び聲 に呼 ばれて降 るるステーション木曾 第一 の都 にて唯一 つなる發車驛 戸 數 は一千足 らずにて住 める人口約 五千南 へつゞく八 澤町 漆 器 を產 する所 なり役 場 に對 ふ大 手 橋 渡 れば城跡 向城 公立官 衙 学校 や川 に向 かひて並 ひ〔ママ〕たり關町 こそは其 昔 關 屋 のありし所 なれ花 の盛 りは琴平山 市街 も一 眸 に景 色 よし綠 蔭深 き城 山 に權現瀧 の凉 みあり其 麓 なる木曾支 廳 礎 堅 く設 けたり支 廳 に隣 るは興禪 寺 木曾 第 一の大 伽 藍 なれ共 去 る年 回 祿 に烏 有 となりしぞあたらしき- 七
月 毛 付 の馬市 は木曾 第 一の殷盛 ぞ水 無 の御 輿 の御 祭 も亦面白 き習慣 や 木曾 の俗謠 木曾 ぶしの夏 でも寒 い御嶽 は福島町 より八 里 半 黑澤 王 瀧 道二 つ- おえどに
分 れて右 左 二 つの道 は登 山者 の好 みに任 せて里宮 を拜 みて登 れ劍 が峯 風 も凉 しく黑川 渡 新開村 に發電所 地 藏 峠 を越 え行 けば西 野 末川奧 もあり野 にはいななく木曾 の駒 其 あがきさへ勇 ましく駒 のたてがみ長峯 の峠 は飛彈 の界 なり福嶋驛 を出發 て上 田 の里 は其 昔 彼 の中原 の兼遠 が館 の跡 も殘 るなり線 路 の左 田 圃 中 一本松 は義仲 の昔 を語 る記 念 にて元 服 松 とは知 られたり義 山宜公義仲 の古 跡 の多 き宮 之 越 驛 より近 き舊 里 の碑 山村 良 由建立 ぞ鐘 の音 響 く德音 寺 日 照 山 と號 すなり旭將 軍開 基 にて又 將 軍 の菩 提所 ぞ御 洗 手 淸 き南宮社 旗揚八幡 古 城 跡 秋 の紅葉 は山吹山 横 手 の下 は巴 淵 伊那地 に通 ふ街道 は越 尾 の岨道右 に入 り神 谷 峠 に羽 淵 、萱 權平 峠 を越 ゆるなり山 咲 〔ママ〕隧道 早 や過 ぎて菅 に訪 い行 くくすし道 挊 きいとなむお六櫛 藪原驛 に着 きにけり小木曾 乙 女 に言 訪 いて境峠 を越 え行 けば安曇 に近 き奈 川村 野 麥 街 道に 通 ふなり鳥 居 嶺 は名 もしるき是 ぞ南北分水界 木曾 と奈良井 の二川 の流 れはこゝに出 るなり天 正 年間 木曾 、武 田 兵 を交 へし古 戰 塲 こゝに穿 ちし隧道 の長 さは五千四百尺 過 くれば楢川 、奈良井 驛 ここの產物塗櫛 は平澤漆 器 と諸共 に多額 の產 出 ありといふ河 鹿 鳴 くなる奈良井 川 行 けば程 なく贄川 や花 まだ咲 かぬ櫻 澤 東西筑 摩 の境 なり馬 を洗 いし眞淸 水 の名 にこそ殘 れ洗馬 の里 是 より眼界 打 ひらけ松本 平 の曠 野 なり行 けば程 なき䀋尻 は篠 之井 線 と交 叉 點 北 に走 れば松本 市 目 標 はしるし天守閣 山 紫 に水淸 く木曾路 の旅 も恙 なく諏訪 山梨 や八王 子 花 の都 も一日 路 山 を貫 き谷 を越 え中 央 線 は工 なりぬ都 の人 も鄙人 も木曾 の山里 尋 ね見 よ
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