誡太子書

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誡太子書     元德二年二月

余聞、天生蒸民、樹之君司牧、所󠄁以利人物也、下民之暗󠄁愚、導󠄁之以仁義、凡俗之無知、馭之以政術、苟無其才、則不可處其位、人臣之一官失之、猶󠄁謂之亂天事、鬼瞰無遁、何況君子之大寶乎、不可不愼、不可不懼者歟、而太子長於宮人之手、未知民之急、常衣綺羅服飾、無思織紡之勞役、鎭飽稻粱之珍膳、未辨稼穡之艱難、於國曾無尺寸之功、於民豈有毫釐之惠乎、只以謂先皇之餘烈、猥欲期萬機之重任、無德而謬託王侯之上、無功而苟莅庶民之間、豈不自慙乎、又其詩書禮樂御俗之道、四術之內、何以得之、請󠄁太子自省焉、若使󠄁溫柔敦厚之敎、躰於性、疏通󠄁知遠之道達󠄁於意則善矣、雖然猶󠄁恐󠄁有不足、況未備此道德、爭期彼重位、是則所󠄁求非其所󠄁爲、譬猶󠄁捨󠄁網待魚羅、不耕期穀󠄀熟、得之豈不難乎、假使󠄁勉强而得之、恐󠄁是非吾有矣、所󠄁以秦政雖强、爲漢所󠄁幷、隋煬雖盛爲唐所󠄁滅也、而諂諛之愚人以爲、吾朝󠄁󠄁󠄁皇胤一統、不同彼外國以德遷󠄃鼎、依勢逐󠄁鹿、故德雖微、無隣國窺覦之危、政雖亂、無異姓篡奪之恐󠄁、是其宗廟社稷之助、卓躒于餘國者也、然則纔受先代之餘風、無大惡之失國、則守文󠄁之良主󠄁、於是可足、何必恨德之不逮󠄁唐虞󠄁、化󠄁之不侔陸栗哉、士女之無知、聞此語、皆以爲然、愚惟深以爲謬、何則洪鐘畜響󠄃、九乳󠄁未叩、誰謂之無音󠄁、明鏡含影、萬𧰼未臨、誰謂之不照、事迹雖未顯、物理乃炳然、所󠄁以孟軻以帝辛爲一夫、不待武發之誅矣、以薄󠄁德欲保神器、豈其理之所󠄁當乎、以之思之、危於累卵之臨頽嵓之下、甚於朽索之御深淵之上、假使󠄁吾國無異姓之窺覦、寶祚之脩短多以由茲、加之中古以來兵革連綿、皇威遂󠄂衰、豈不悲、太子宜熟察觀前󠄁代之所󠄁以興廢、龜鑒不遠、昭然在眼者歟、況又時及󠄁澆漓、人皆暴惡、自非知周萬物才經夷險何以御斯悖亂之俗、而庸人習󠄁太平之時、不知今時之亂、時太平則雖庸主󠄁可得而治、故堯舜生而在上、雖有十桀紂、不得亂之、勢治也、今時雖未及󠄁大亂、亂之勢萌已久、非一朝󠄁󠄁󠄁一夕之漸、聖󠄁主󠄁在位、則可歸無爲、賢主󠄁當國、則無亂、若主󠄁非賢聖󠄁、則恐󠄁唯亂起數年之後、而一旦及󠄁亂、則縱雖賢哲之英主󠄁、不可朞月而治、必待數年、何況庸主󠄁鍾此運󠄁、則國日衰政日亂、勢必至于土崩瓦解、愚人不達󠄁時變、以昔年之泰平、計今日之衰亂、謬哉々々、近󠄁代之主󠄁、猶󠄁未當此際會、恐󠄁唯太子登極之日、當此衰亂之時運󠄁歟、非內有哲明之叡聰、外有通󠄁方之神策、則不得立於亂國矣、是朕󠄂所󠄁以强勸學也、今時之庸人、未曾知此機、宜𢌞神襟尙此弊󠄁風之代、自非詩書禮樂、不可得而治、以是重寸陰、以夜續日、宜硏精、縱學涉百家、口誦六經、不可得儒敎之奧旨、何況末學庸受、求治國之術、愚於蚊󠄁虻之思千里、鷦鷯之望󠄂九天、故思而學、々而思、精通󠄁經書、日省吾躬、則有所󠄁似矣、凡學之爲要、備周物之智、知未萌之先、達󠄁天命之終󠄁始、辨時運󠄁之窮通󠄁、若稽于古、斟酌先代廢興之迹、變化󠄁無窮者也、至如暗󠄁誦諸子百家之文󠄁、巧作詩賦、能爲論義、群僚皆有所󠄁掌、君王何强自勞之、故寬平聖󠄁主󠄁遺󠄁誡、天子入雜文󠄁不可消󠄁日云々、近󠄁世以來、愚儒之庸才、所󠄁學則徒守仁義之名、未知儒敎之本、勞而無功、馬史󠄁之所󠄁謂博而寡要者也、又頃年有一群之學徒、僅聞聖󠄁人之一言、自馳胸臆之說、借佛老之詞、濫取中庸之義、以湛然虛寂之理、爲儒之本、曾不知仁義忠孝之道、不協法度、不辨禮儀、無欲淸淨則雖似可取、唯是莊老之道也、豈爲孔孟之敎乎、是並不知儒敎之本也、不可取之、縱雖入學、猶󠄁多如此失、深自愼之、宜以益友令切磋、學猶󠄁有誤󠄁、則遠于道、况餘事乎、深誡必可防之、而近󠄁曾所󠄁染、則少人所󠄁習󠄁、唯俗事、性相近󠄁習󠄁則遠、縱雖備生知之德、猶󠄁恐󠄁有所󠄁陶染、何况不及󠄁上智乎、立德成學之道、曾無所󠄁由、嗟呼悲乎、先皇緖業此時忽欲墜󠄁、余雖性拙智淺、粗學典籍、欲成德義興王道、只爲宗廟不絕祀、宗廟不絕祀、宜在太子之德、而今廢德而不修、則令所󠄁學之道、一旦塡溝壑、不可亦用、是所󠄁擊胸哭泣、呼天大息也、五刑之屬三千、而辜莫大於不孝、不孝之甚不如於絕祀、可不愼、可不恐󠄁乎、若學功立德義成者、匪啻盛帝業於當年、亦卽貽美名於來葉、上致大孝於累祖󠄁、下加厚德於百姓、然則高而不危、滿而不溢、豈不樂乎、一日受屈、百年保榮、尙可忍󠄁、况墳典遊心、則無塵累之纏牽、書中遇󠄁故人、只有聖󠄁賢之締交󠄁、不出一窓、而觀千里、不過󠄁寸陰、經萬古、樂之尤甚無過󠄁于此、樂道與遇󠄁亂、憂喜之異、不可同日而語、豈不自擇哉、宜審思而已、

書き下し文[編集]

余聞く、天蒸民を生じ、これが君をてて司牧すと。人物を利する所以ゆゑんなり。下民の暗愚、之を導くに仁義を以ってし、凡俗の無知、之をぎょするに政術を以ってす。いやしくも其の才無くんば、則ち其の位にるべからず。人臣の一官之を失ふも、猶ほ之を天事を乱ると謂ふ。鬼瞰のがるる無し、何ぞいはんや君子の大宝をや。慎まざるべからず、おそれざるべからざる者か。而して太子は宮人の手に長じて、未だ民の急を知らず。常に綺羅の服飾をて、織紡の労役を思ふ無し。とこしなへに稲粱の珍膳に飽きて、未だ稼穡の艱難を弁ぜず。国に於てかつて尺寸の功無く、民に於てに毫釐の恵有らんや。ただ先皇の余烈と謂ふを以って、みだりに万機の重任を期せんと欲す。徳無くして謬って王侯の上に託し、功無くして苟も庶民の間にのぞむ。豈に自らぢざらんや。又其の詩書礼楽、俗をぎょするの道、四術の内、何を以って之を得たる。請ふ太子自ら省みよ。し温柔敦厚の教をして、性に体し、疏通知遠の道をして意に達せしむれば則ち善きかな。然りと雖も猶ほ足らざる有るを恐る。況んや未だ此の道徳を備へずして、争でかの重位を期せんや。是れ則ち求むる所其の為す所に非ず。たとへば猶ほ網を捨てて魚の羅するを待ち、耕さずして穀の熟するを期するがごとし。之を得ること豈に難からずや。たとひ勉強して而して之を得るも、恐らくは是れ吾が有に非ず。所以ゆゑに秦政強しと雖も、漢の并する所と為り、隋煬盛んなりと雖も唐の滅ぼす所と為るなり。而るに諂諛てんゆの愚人以為おもへらく、吾が朝皇胤一統、彼の外国の徳を以ってかなへうつし、勢にりて鹿を逐ふと同じからず。故に徳微なりと雖も、隣国窺覦きゆの危き無く、政乱ると雖も、異姓篡奪の恐れ無し。是れ其の宗廟社稷の助、余国に卓躒たくらくたればなり。然れば則ちわづかに先代の余風を受けて、大悪の国を失ふ無くば、則ち守文の良主、是に於て足りぬべし。何ぞ必ずしも徳の唐虞におよばず、化の栗陸にひとしからざるを恨みんかなと。士女の無知なる、此の語を聞きて、皆以って然りと為す。愚おもふに深く以って謬れりと為す。何となれば則ち洪鐘は響を蓄ふるも、九乳未だ叩かずして、誰か之を音無しと謂はん。明鏡は影を含むも、万象未だ臨まずして、誰か之を照さずと謂はん。事迹は未だ顕はれずと雖も、物理は乃ち炳然たり。所以ゆゑに孟軻は帝辛を以って一夫と為し、武発の誅を待たず。薄徳を以って神器を保たんと欲するも、豈に其れ理の当たる所ならんや。之を以って之を思へば、累卵の頽嵓たいがんの下に臨むよりも危く、朽索の深淵の上に御するよりも甚だし。仮ひ吾が国をして異姓の窺覦無からしむるも、宝祚の脩短多く以ってここる。加之しかのみならず中古以来兵革連綿、皇威遂に衰ふ。豈に悲しからずや。太子宜しくつらつら前代の興廃する所以を察観すべし。亀鑑遠からず、昭然として眼に在る者か。況んや又時は澆漓に及びて、人皆暴悪なり。知万物にあまねく、才夷険を経るに非ざるよりは何を以ってか斯の悖乱の俗を御せん。而して庸人は太平の時に習ひ、今時の乱を知らず。時太平ならば則ち庸主と雖も得て治むべし。故に堯舜生れて上に在らば、十の桀紂有りと雖も、之を乱るを得ず。勢治まればなり。今の時は未だ大乱に及ばずと雖も、乱の勢萌すことすでに久し。一朝一夕の漸に非ず。聖主位に在らば、則ち無為に帰すべし。賢主国に当たらば、則ち乱無し。若し主賢聖に非ずば、則ち恐る乱ただ数年の後に起こらんことを。而して一旦乱に及ばば、則ちたとひ賢哲の英主と雖も、朞月にして治むべからず。必ず数年を待たん。何ぞ況んや庸主此の運にあたらば、則ち国日に衰へ政日に乱れ、勢必ず土崩瓦解に至らん。愚人は時変に達せず、昔年の泰平を以って、今日の衰乱を計る、謬れるかな、謬れるかな。近代の主、猶ほ未だ此の際会に当たらず。恐らくは唯太子登極の日、此の衰乱の時運に当たらんか。内に哲明の叡聡有り、外に通方の神策有るに非ずば、則ち乱国に立つを得ず。是れ朕が強ひて学を勧むる所以なり。今時の庸人、未だ曽て此の機を知らず。宜しく神襟を廻らして此の弊風の代にくはふべし。詩書礼楽に非ざるよりは、得て治むべからず。是を以って寸陰を重んじ、夜を以って日に続ぎ、宜しく研精すべし。縦ひ学百家にわたり、口に六経を誦するも、儒教の奥旨を得べからず、何ぞ況んや末学庸受にして、治国の術を求むるは、蚊虻の千里を思ひ、鷦鷯の九天を望むよりも愚かなり。故に思ひて学び、学んで思ひ、経書に精通し、日に吾が躬を省みば、則ち似る所有らん。凡そ学の要たる、周物の智を備へ、未萌の先を知り、天命の終始に達し、時運の窮通を弁じ、ここに古に稽へ、先代廃興の迹を斟酌し、変化窮り無き者なり。諸子百家の文を暗誦し、巧に詩賦を作り、能く論義を為すがごときに至りては、群僚皆つかさどる所有り。君王何ぞ強ひて自ら之を労せんや。故に寛平聖主遺誡に、天子雑文に入って日を消すべからずと云々。近世以来、愚儒の庸才、学ぶ所は則ち徒に仁義の名を守って、未だ儒教の本を知らず、労して功無し。馬史の所謂博くして要寡き者なり。又頃年一群の学徒有り、僅かに聖人の一言を聞いて、自ら胸臆の説を馳せ、仏老の詞を借り、みだりに中庸の義を取り、湛然虚寂の理を以って、儒の本と為し、曽て仁義忠孝の道を知らず。法度に協はず、礼儀を弁ぜず。無欲清浄は則ち取るべきに似たりと雖も、唯是れ荘老の道なり。豈に孔孟の教たらんや。是れ並に儒教の本を知らざるなり。之を取るべからず。縦ひ学に入ると雖も、猶ほ此のごときの失多し。深く自ら之を慎み、宜しく益友を以って切磋せしむべし。学すら猶ほ誤有らば、則ち道に通し。況んや余事をや。深く誡めて必ず之を防ぐべし。而して近曽ちかごろ染むる所は、則ち少人の習ふ所にして、唯俗事のみ、性相近く習は則ち遠し。縦ひ生知の徳を備ふと雖も、猶ほ陶染する所有るを恐る。何ぞ況んや上智に及ばざるをや。徳を立てて学を成すの道、曽て由る所無し。嗟呼あゝ悲しいかな。先皇の緒業此の時忽ち墜ちんと欲す。余性拙に智浅しと雖も、あらあら典籍を学び、徳義を成し王道を興さんと欲するは、只宗廟祀を絶たざらんがためのみ。宗廟祀を絶たざるは、宜しく太子の徳に在るべし。而して今徳を廃して修めずんば、則ち学ぶ所の道をして、一旦溝壑に填めて、亦用ふべからざらしむ。是れ胸を撃ちて哭泣し、天に呼んで大息する所なり。五刑の属三千、而して辜不孝より大なるは莫し。不孝の甚だしきは祀を絶つにごとかず。慎まざるべけんや。恐れざるべけんや。若し学功立ち徳義成らば、ただ帝業を当年に盛んにするのみにらず。亦即ち美名を来葉にのこし、上は大孝を累祖に致し、下は厚徳を百姓に加へん。然らば則ち高くして危からず、満ちて而して溢れず。豈に楽しからずや。一日屈を受くるも、百年栄を保たば、尚ほ忍ぶべし。況んや墳典に心を遊ばしむれば、則ち塵累の纏牽無く、書中故人にへば、只聖賢の締交有り。一窓を出でずして、而して千里を、寸陰を過ぎずして、万古を経。楽の尤も甚だしき此に過ぐる無し。道を楽しむと乱に遇ふと、憂喜の異る、日を同じくして而して語るべからず、豈に自ら択ばざらんや、宜しくつまびらかに思ふべき而已のみ


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