舊約聖書續篇解題
舊約聖書續篇解題
[編集] 本書は『舊約聖書續篇』といふ名稱を用ひたが、『アポクリフア』の諸書を飜譯せるものである。元來此等の諸書は、ギリシヤ語舊約聖書の正しき一部分として傳へられたものである。
『アポクリフア』といふギリシヤ語は、『隱れたるもの』といふ意味であるが、本來は『奧義の書』の意味に用ひられた普通の用語であつて、紀元第四世紀までは、現在のアポクリフアの諸書に應用されなかつた。師父オリゲネスは『アポクリフア』といふ語を、公の使用を許されない書物の意味に用ひ、これを所謂『アポクリフア』(經外聖書)でなく、普通『シウデピグラフア』(疑似聖書)として知られて居る諸書に充て用ひた。其等の諸書は舊約正經の定められた後、ユダヤのラビたちによつて公の使用を禁止されたが、初代キリスト教會に於ては、建徳、教養のために、自由に使用された。
『アポクリフア』といふ語の使用に、根本的な變化の生じたのは、師父ヒエロニムス(紀元三四〇―四二〇)の時であつて、これまで歐洲西部に知られなかつた多くの書物が東部教會から出て來たので、ヒエロニムスはヘブル語舊約正經外の書物に劃然たる區別をつけ、『アポクリフア』といふ語を、初めて現在の所謂『アポクリフア』に用ひた。そして此の名稱は、初はあまり廣く行き渡らなかつたが、漸次に、一般に用ひられるやうになり、今日に至つたのである。
ローマ教會に於ては、紀元一五四六年トレント會議の時、アポクリフア(但し、エズラ第一書、第二書、及びマナセの祈禱を除く)を、舊約正經の一部分として公認した。英國聖公會に於ては、アポクリフアを舊約正經には屬しないが、『生活の模範、及び行爲についての教訓』のために、教會にて讀まるべき聖書として公に承け入れた。
『アポクリフア』は我々に、心靈的で且つ實際的な教訓を與へる信仰生活の指導書であるばかりでなく、新約時代直前より新約時代へかけての、ユダヤ人の宗教的發達を示す大切な文献である。
本書には、アポクリフアの諸書を英語聖書の順序に從つて配列したが、年代的に見れば、大體に於て次の如く三つの時期に當てはめることが出來よう。
一 紀元前二〇〇‐一〇〇年 ベン・シラの智慧、トビト書、ユデト書、ダニエル書への追加(即ち三童兒の歌、スザンナ物語、ベルと龍)
二 紀元前一〇〇‐一年 マカビー第一書、マカビー第二書、ソロモンの智慧、エズラ第一書、エステル書殘篇、エレミヤの書翰、マナセの祈禱
三 紀元後一‐一〇〇年 バルク書、エズラ第二書
便宜のため、本書に配列した順序に從ひ、これらの諸書に簡單な解説を加へよう。
エズラ第一書 普通『エスドラス書』(Esdras)と讀まれて居るが、ギリシヤ語で「s」と「d」が重り合へば「z」と殆ど同音となり、且舊約正經にては、『エズラ』なれば、本書にても、これを『エズラ』と讀ましむることにした。これは歷代志略下、エズラ書、及びネヘミヤ記に由る資料を比較的自由に編纂した、ヨシア王の時代よりエズラ、ネヘミヤの時代に至るまでのイスラエル人の歷史である。三章より五章に至る三人の衞士のうるはしい物語は本書特有のものである。
エズラ第二書 アポクリフアの原本はすべてギリシヤ語であるが、この書だけはそのギリシヤ語原本が失はれ、ラテン語譯本が使用されて居る。此は多分紀元七〇年のエルサレム沒落後、一人のユダヤ人に由つて記されたのが、その後キリスト教の一記者に由つて改訂され、その主要部分が紀元一二〇年頃世に出たものであらう。これは歷史ではなく默示文學に屬すべきものである。
トビト書 『トビア書』ともいはる。これは俘囚時代を背景とした、田園詩的な、美はしい物語であつて、その中に少なからざる教訓が含まつて居る。幾つかの昔話を資料として編纂したものであらふ。
ユデト書 歷史小説ともいふべき本書は、俘囚直後の時代を背景として、ユダヤの年若き一人の寡婦がその美貌を利用して、敵軍の大將を殺した愛國的物語である。
エステル書殘篇 これは舊約正經のエステル書に、もつとはつきりした宗教的色彩を與へるために、書き加へられたもののやうにおもはれる。
ソロモンの智慧 本書はアポクリフア中で最も美はしい書物の一つである。『ソロモン』の名を冠したのは、舊約正經の『傳道書』と同じく、文學的のあやに過ぎない。所謂智慧文學に屬するものであつて、ユダヤ人を異教生活の誘惑とギリシヤ哲學の牽引力から救はんがために記されたものである。これはヘブル文學中で最もギリシヤ的な書物であるが、その『智慧の讃美』は、いかなるギリシヤ文學にも劣らない立派なものである。
ベン・シラの智慧 『ソロモンの智慧』と共に、アポクリフア中で、最も大切な書物の一つである。ギリシヤ語原本の名稱は『シラクの子イエススの智慧』であるが、普通これを略して『シラクの智慧』と呼んで居る。本書にはヘブル名稱をとつて『ベン・シラの智慧』とした。『教會書』といふ名稱も用ひられて居るが、これは、キリスト教會に於て、永い間、信徒、及び求道者教養のために用ひられたからであらう。これも智慧文學に屬するものであつて、多くの實際問題を取り扱つて居るが、その主眼とする所は智慧の高調にある。ヘブル語で書かれたのを、ベン・シラの孫がエジプトでギリシヤ語に翻譯したといはれて居る。
バルク書 あまり連絡のはつきりしない様々な資料を一つに纏め、これをエレミヤの弟子バルクの作としたもので、舊約の預言を模した書物である。
エレミヤの書翰 普通バルク書の第六章として取扱はれて居るが、本書ではこれを區別した。エレミヤの名を借りて、偶像禮拝を責めた書である。
三童兒の歌 次の『スザンナ物語』及び『ベルと龍』と共に、ダニエル書への追加である。終りの讃歌は『萬物の頌』として、日本聖公會祈禱書の早禱の中に、『讃美の頌』の代用頌として挿入されて居る。
スザンナ物語 ダニエルが、善良なる美しい婦人スザンナに對する二人の長老たちの惡しき計畫を發見せし物語。
ベルと龍 ダニエル書十二章に續く。偶像にささげたるものを私かに食ふ祭司が、ダニエルのために見破られる。又ダニエルは龍の像を破壊する。これは偶像禮拝の不合理なることを示さんがために記された書である。
マナセの祈禱 ユダの王マナセの懺悔の祈禱(歷代史略三三ノ一八參照)。
マカビー第一書 此の書は稀に見る、信據すべき歷史的文献である。記者は正統派ユダヤ教の歸依者なる熱心なる愛國者で、ヘブル語で記したものを、後にギリシヤ語に翻譯したものであらう。これはアンテオコス・エピパネスの即位した時(紀元前一七五年)よりシモン・マカビオの死(紀元前一三五年)に至るまでの歷史であつて、いかにユダヤ人等がマカビー家の指導の下に、宗教的自由並びに政治的獨立のために戰つたかを記す。
マカビー第二書 クレネのヤソン(二ノ二三)なる者に由つて記された五卷の大册物の要略であるとされて居るが、大體第一書と同じ時代を背景とし、空想的な物語を織り込んだ文學的な歷史物語である。第一書の歷史の續篇ではない。