肱の侮辱
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[編集]- 東京市より汽車で何哩(まいる)ほど往くと、某(なに)中学校がある。このちゅうがっこうの通学生は殆ど無賃同様の大割引の賃銭で汽車を利用し近在近郷から集り来る。英語教師の米国(アメリカ)人など常に東京から通つて居た。又た教員の中には東京に家を持て居て、一週二度位、家に帰る者もある。木谷といふ洋画の先生も其一人であつた。或年の十月頃。日曜日の午後講演会があつて講演者は三人、其一人の矢島といふ文学者は木谷先生の尽力で来て呉れたのである。――と誰しも思つて居たが、其実講演会があると聞て、矢島自身が木谷に口をきかして、講演者の一人に加はつたのである。最後に矢島が起(たつ)て壇に上つた。
- 諸君(みなさん)!私は口無調法(ぶてうはう)で、おまけに無学で、更におまけに文盲で、とても只今まで御講演になつたやうな理化学的有益な「受売(うけうり)」は出来ません《前の二人の講演者ぢろりと矢島の顔を睨(にら)む、矢嶋〔ママ〕は平気》。其処で私は只だ私自身が此眼で見て、此心で感じた事の一をお話いたさうと思ひます。
- ツマラないと思はれる方々は御退場を願ひます、と申す処ですが、そうでない。若し、私の談話中、席を起(たつ)た方があつたならば、其方(そのかた)は私を侮辱したものと致します《静にコツプに水を注(つ)いで一口飲む》
- さて、お話はこれからですが、少々困(こまつ)た事が出来ました《と言ひつつ、洋服のポケツトの所々を探す》、お話の草稿が失(なく)なりました《生徒はクス〳〵笑ふ、前の二人の講演者はザマを見ろといふ顔つき、木谷先生は心配の余(あまり)、半分椅子から起上つて居る。》これは失礼、私は草稿を持て来なかつたのでした。《生徒は益々笑ふ》私の草稿は腹の中に蔵(しまつ)て在(あつ)たのでした。紙へ書いて其一字が見えないと最早(もう)行きづまるやうな草稿では無(なか)つたのでした。
- 諸君(みなさん)、これから此腹の中の草稿を少しづゝ繰出します。
- 私は小供(こども)の時から釣が好で、河や沼に出かけた者ですが、今でも此道楽は止みません。其処で此年の六月の初(はじめ)でした、此学校の近所に在る川のやうな川に釣に参りました。此川は初ての事ゆゑ様子が解らず、たゞぼんやりして川岸の礫(こいし)の上に腰を下し四方(よも)の景色を眺て居ますと、上流の方から岸をたどつて此方(こちら)へ来る者がある。近(ちかづ)いたので見ますと、兼て私の知人である洋画家でした。余り立派でない和服を着て顔は例の如く髯(ひげ)ぼう〳〵として居ました。
- 「写生にでも出掛けて来たのですか」と聞くと
- 「否(いゝえ)ソーでありません。」と言つて口をもご〳〵さして眼をパチクリパチクリさして、次の言葉を出そうとして居ますが直ぐは出て来ないのです。これが此の人の癖の人一(ひとつ)であります。
- 「私は其処に在る中学校に出て居ます。」と聞いて私は初めて此仁(ひと)が此地方の中学校に洋画の教師をして居ることを知りました。
- 「東京から通ふのですか。」
- 「三日目に一度東京の家にかへります。」
- 夫(それ)から四方山(よもやま)の話を一時間もして、洋画家は去りました。兎も角、今日は東京に帰る日であるから午後四時の汽車で同道致そうといふ約束をきめました。
- 此日の私の釣は大失敗でした。
- 午後四時の記者に間に合ふべく、停車場へ急ぎました。
- 途中(みち〳〵)諸君の様な方に幾人も出会ました。悉皆(みんな)、肩で風を切るやうな歩きつきを仕(し)て居ました。肩が歩いているやうでした。其時私は思ひました、肩が歩くやうであるのが別に衛生に害があるのでもない。国家の存亡に関する次第でもない。併し肩で風を切(きら)ないでも同じことだ。どちらでも可いなら彼(あ)の高慢ちきな、小にくらし、いけづう〳〵しい、生意気な、馬鹿のくせに利巧さうな顔をして見せる、臆病なくせに大胆な風をして見せる、所謂(いはゆ)る肩で風を切ること丈けは見合した方がよろしい、と思ひました。
- 停車場(ステーシヨン)の前で画家は私を待て居ました。そして洋服に着かへて居ましたが、それが又頗(すこぶ)る古物である上にカラーもカフスも垢染(あかじみ)て鼠色になつて居ます。殊に他人(ひと)の目につくのは、ボロ〳〵したネクタイが正面でヒン曲つて横でカラーから外(はづ)れて居る事です。此仁(ひと)の衣装(みなり)は此時ばかりでなく、何時見ても先づ斯(こん)な風を為(し)て居るのです。
- 間も無く汽車が着いて二人は乗りました。同じ車室8はこ)の中に語学の教師らしい西洋人が乗り込みまして、其と一所に生徒が七八人乗りました。覚束(おぼつか)ない英語で小生意気な様子で西洋人に話し掛けて居るのが第一私の癪(しやく)にさわりました。所が其の生徒達は始は洋画の先生が同じ車室(はこ)に乗つて居る事を知らなかつたやうでしたが、其中一人が後をふり向いて洋画先生を一目見るや肱(ひぢ)で隣の生徒をつゝきました。すると其の生徒が又後をふり向きました。そして小声で何か言ひながら更に隣の生徒へ肱の合図を致しますと、此度は他の三四人が一度に後を振り向て同時に皆が顔を見合せて一種異様な笑ひ方を致しました。語学の先生は気が付かないやうでしたが、私と話をして居た洋画先生はいくらか気が付いたと見えて、恥かしい様な悲(かなし)いやうな顔容(かほつき)――私は未(いま)だ曾(かつ)て此様(こんな)気の毒らしい情ない顔付を見た事が有りません。――を仕て居ました。
- 此有様を見た私は言ふに言はれぬ憤怒の情がこみ上(あげ)て来て、出来る事なら是れらの生徒を一人一人窓からつまみ出して遣りたい程に思ひました。
- 諸君(みなさん)!諸君は如何(どう)思ひます、成程洋画先生の風采は上りません、成程世辞も愛嬌もない男ですけれども、此人の心の全部が純白で透明で邪気の無い事を知りながら、是れに侮蔑(ぶべつ)を加へる事は善良なる学生の行為でしやうか。
- けれども私が今皆さんに申上たいと思ふのは、そう言ふ簡単な倫理問題では無いので有ります。倫理問題の根本問題です。洋画先生の如き人に侮辱を加へると言ふ事は善か悪かと言ふ事を問ふ前に我々は性格の美を認めると云ふ事を学ばねばなりません。性格に対する同情と言ふ事を知らなければなりません。もし其等の事に一切(いつさい)夢中で、只空(くう)に善とか悪とか言ふ如き倫理の講義を聞けばこそ、彼の洋画家を侮辱するやうな中学生が出来るのです。私から申しますと彼の洋画家の風采の上らない事や其の行為の何となく間抜けて居る事や、其顔付の爺々(ぢゝ)むさい事や、総てがむしろ長所であつても短所ではないと思ひます。彼(あ)のお粗末な外形は其の人の極めて単純な善良な心を示して居ると思ひます。
- それらの事に少しも心を用ゐず、用ゐる事を知らず、只外形(うはべ)を見て師を侮辱するが如きは何たる卑(いやし)い且(か)つ愚なる根性でしよう、諸君の中に一人でも此の如き少年の加つて居るなら実に皆さんの恥辱で有ります。
- 講演会が終つて矢島が停車場まで来ると洋画の先生木谷が送つて来た。汽車が出掛けると木谷は口をモグ〳〵さして何か言はうとしたが言ふ事が出来ない。見ると眼に涙を充満(いつぱい)ふくませて居た。