コンテンツにスキップ

続古事談/第六

 
オープンアクセス NDLJP:158
 
続古事談 第六
 
 
漢朝
 
唐朝に斉威王といふ帝おはしけり。其の時淳于髠といふ賢人あり。王を諫むる詞に曰く、古君好馬王亦好之、古君好色王亦好之、古君好味王亦好之、古君好賢王不之といひければ、威王の云く、古の君の好みもてなし給ひし程の賢人なければこそ、好まねと宣ひければ、髠難じて曰く、馬を好み給ふも、昔の駿逸には及ばず。たゞ随分に当世の逸物を選ばる。色を好み味を好む亦斯くの如し。いかなれば賢人に至りて、昔の跡を願ひ、世の事におきては、当時の宜しきを用ひ給ふぞといひければ、威王口を閉ぢて、述ぶる事なかりけり。

唐の玄宗皇帝は、近世の明王なり。其しるしには、ある臣下の、皇帝はなどいたく痩せ給ひたるぞと申しければ、答へて仰せられけり。姚崇・宋環が位にありしより此方、余りに諫められて、片時も心の延びたる事のなければ、痩せたるなりと宣ひければ、其の臣又申して云く、あぢきなき事にこそ侍るなれ。何事も御身の為なり。などか痩せ給ふ迄は、諫め奉ると申しければ、世だにも肥えなばと宣ひける。誠にやんごとなき事なり。斯くの如く賢王にておはしけるが、楊貴妃といふ者出でて後、朝まつりごともせず、天下の事を捨て給ひにけるなり。姚崇・宋環とは二人なり、異なる賢人なり。

されば大国の習は、如何なる君にもあれ、臣の諫を聞入れて、用ふる心あるを、国王の器量とはするなり。世の始りの三皇無為の化、次の五帝は以徳収、其五帝のさしつぎにて、漢高祖といふ帝の世を取り給ふ事は、悉く不実不思議の人にておはしけれど、人の申す事を聞入れて、我御心を先とし給はざりけるなり。世の末の王の有様を、あらはしけるなり。楚の項羽は、武威も、思ふ謀も、高祖には勝りたりけれども、其事一つは、又劣りてぞおはしける。

オープンアクセス NDLJP:159楊貴妃は、尸解仙といふ者にてありけるなり。仙女の化して、人となれりけるなり。尸解仙といふは、生ける程は、人にも変らずして、死後に屍を止めざるなり。或唐書の中に、貴妃を改葬したる事をいふに、肥膚已壊香嚢猶在といへり。此文に合へり。膚姿などはなくて、香嚢計りありけり。貴妃はもと親王の妻なり。夫を玄宗召したるなり。長恨歌伝に、寿邸に得たりとあるは、彼王の居所をいへるなり。安禄山は、又其外の密夫なり。禄山は、ゆゝしき玄宗の寵臣なり。

或人に問ひて云く、漢家に男色の事ありや。中にも国王の、此事を之給へる事や見えたる。其人答へて云く、故入道長方〔高イ〕卿示されしは、漢成帝といふ帝の御時、董賢といふ者、さやらむと見えたり。書に云く、与帝臥起しけりと。後には余りに寵して位を譲らむとするに及ぶと見えたり。

張喩といふ者ありけり。殊の外のすきもの、又好色にてありける。心に深く風月を弄びて、身常に名所に遊びけり。此人伝へて、貴妃の有様を聞きて、遥に愛念の心を起し、見ず知らぬ世の人を恋ひて、心を砕き身を苦しむ。離宮の深き跡に望みては、昔を思ひて涙を流し、馬嵬の堤の辺に行きては、古を悲しみて膓を断つ。斯くの如く思ひ悲しめども、同じ世にある人ならねば、いひ知らすべき方なし。徒に歎き徒に恋ひて、年月を過す程に、或時夢に、みづら結ひたる童子来りて云く、玉妃の召すなり、速に参るべしと。夢の中の心、悦をなす事限りなし。童子を先に立てて、やう行く程に、程なく玉妃の宮殿に渡りぬ。玉の簾を入りて、錦の帳に望みぬ。玉妃は床の上にあり、張喩は下に居たり。年来の志を述べて、其詞尽くる事なし。玉妃懇に憐れみ語らふ事、人間の女の如し。睦び近付きて後、其思愈深し。玉妃の手を執りて、床の上に登らむとするに、身重くて、容易く上る事を得ず。妃の云く、汝は人間の身なり。穢はしく卑しくして、我床に上り難し。張喩懇に近付かん事を望む。其時玉妃人を呼びて、得もいはぬ香湯を儲けて、其身を洗浴せしめて後、手を取りて、床の上に登るに、身軽くして、思の如くに上りぬ。交り臥す事世の常の如し。懐しく睦しき事、凡て詞も及ばず。別れの思、未だ述べつくさゞるに、暁の風漸くに驚かす。人間に返らずして、玆に止まらむ事を望めども、王妃更に許オープンアクセス NDLJP:160す事なし。許さずといへども、其思浅からざる気色なり。後会を契りて云く、今十五日ありて、其所に行きて、再び相見る事を得んと。此契を聞きて後、夢早く覚めぬ。別れの涙、枕の上に乾くことなし。空しき床に起き居て、泣き悲しめども甲斐なし。其後十五日を過ぎて、契りし所へ行きぬ。彼所は広き野なりけり。野烟眇茫として、行けども人なし。たま牧童の一人会へりけるに、試みに是を問ひければ、彼童の云く、今朝未だ暗きより此野にあり、朝霧の絶間に、えもいひ知らぬ天女一人見えて、我を呼びて云く、是に若し人を尋ぬる者あらば、必ず是を与へよとて、一通の書を残して、霧の内に消え、雲の中に入りぬ。彼人の示せる人かとて、其の書を与へたり。是を聞きて、一度は会はざる事を悲しみ、一度は書を残せる事を悦ぶ。心を静め眼を拭ひて、是を開き見るに、一紙詞少なくして、四韻の詩を書けり。その中の一句に云く、

   天上歓栄雖楽  人間聚散忽堪

となむありける。人の思の空しからざる事、古今も隔つる事なく、天上人間も、自ら通ふ。誠に哀れなる事なり。

玄宗の御子粛宗は、自ら威を施して、禄山を平らげて、其後霊武郡に至りて、位に即き給へるなり。凡そ漢家の習は、敵となりて位を奪ふといへども、必ず其譲を得て、位に即く事なり。状には、必尭の舜に譲りしが如しと書くことなり。粛宗皇帝は、世の乱を直して、玄宗を都へ迎へ返し奉り給ひける迄は、いみじかりけれども、其後は少し不孝にぞおはしけるとぞ。

尭は、舜の器量を試みむが為めに、娥皇・女英といふ二人の女をもて、妻とせしむ。二人共に、相嫉む事なくして、語らひてありけるに、舜の心の巧なる事を知りて、位を譲りてけり。二人の妻を列べて、而も其心を宥むる、極めて難き事なるべし。此二人、舜に後れて歎きける涙染みたる竹なり。是にも伝はりて、変軸の束の筆をば入れずとなむいひ習はせる此故なり。竹斑湘浦と書けるは、此事なり。

白楽天の遺文の文集にいらざるあり。其の中に、任子行といふものあり。彼の文には、狐の女人となりて、男に会ひたりけるを、彼の男深く愛念して、暫くも離れじオープンアクセス NDLJP:161としける程に、かりばへ出づるとて、馬の前に乗せてけり。能き犬を具したりけるが、此女の狐なる事を知りて、飛上りて喰落してけり。其事を作りたる文なり。行といふは、謡歌などていのものなり。文筆の一つの姿なり。

 宜秋門院の御名(〈任子〉)事有定、王道の帖に有之、

唐国の習は、女には十六にて、必ず嫁娶の儀あり。国王親王などにも合はするなり。或国王の女、父の王に申されけり。若し夫をまうくべくば、宋弘といふ者を合はせ給へと。王此の事を聞きて、彼の人を召して、其由仰せられければ、叶ふまじき由を申しけり。王驚きて、其故を問ひ給ふに、宋弘申して云く、貧賤之知音不忘、糟糠之妻不堂といふ本文の侍るに、我昔貧しかりし時より、相具したる妻あり。彼を去りて、王女を相具し奉る事、えなむあるまじきと申しける。いと有難き事なり。此国には、惟成弁貧しかりける世に、恩深かりける妻を去りて、花山院の御時、世にあふ折、満仲といふ武者が壻になりたりける、宋弘には劣りたる心なりかし。宋弘はゆゝしきみめよしなり。さて王女も、思を懸け給ひけるにや。

漢文帝と申しける君は、あまり国を安くし、民を憐みて、倹約を好み給ふとて、上書の袋を縫ひ集めて、帳に垂れてぞおはしましける。上書の袋といふは、賢臣の君を諫め奉る文をば、うるはしく白き絹に縫ひくゝみて、縫目に封を書きて奉る事なり。文一つ縫ひくゝみたる袋なれば、いかに広しといふとも、一一三寸には過ぎず。夫を縫ひつゞけて、帳に垂れ給ひけん、いとやむごとなき事なり。されば保胤は、漢文帝を異代の聖主とす。倹約を好みて、人民を安くするが故にと書きたるなり。凡そ漢家の習は、臣の諫め事を聞くなり。賢愚をいはず、位に即きぬる始めには、能直言極諫の士を奉れといふ、遍き宣旨を下すなり。此の宣旨によりて、官職を負ひたるもの、さもある人に限らず、山の奥谷のはざまに身を隠し、跡を絶ちたる者共まで、劣らじ負けじと、世の悪く政の悪き事を書記して、憚なく君に奉るなり。いかなる暗主といふとと、一返り之を見ぬことはなきなり。賢王は之を用ふ。さらぬは、見る甲斐はなけれども、凡て見ぬ事はなき習なり。賢臣の君を諫めたる物語は、余りに多かれば、記し尽すべからず。

オープンアクセス NDLJP:162漢朝の習、其司に随つて、其事を行ひて、互に猥がはしき事なし。丙吉といふ丞相ありけり。道を行くに、人を殺したる者、刀を抜きて走り合へり。少しも之を見入れず驚かず、多くの供人あれども、捕へ搦めよといふ事なし。其従へる者も、怪しと思ひて過ぎにけり。次に牛の一頭喘ぎて立てりけるを見て、甚だ怪しみ騒ぎて、其主を尋ねて、其故を問ひけること、事も愚ならず。人其故を問ひければ、丙吉云く、公に仕うまつる習、我が道ならぬ事を知るは非礼なり。先に殺害の者過ぐといへども、武官世にあれば、我れ是を知るべからず。今一牛の喘ぐに合へり。寒天に牛の喘ぐ、是れ陰陽の違へるなり。大臣の位に居るものは、最も陰陽を修むべき器なる故なりといひけり。

周勃といふ者あり、国王是を召して、一年中の米穀の用途を数へよと宣ひければ、え数へずして、其汗ころもを通りにけり。次に陳平といふ者を召して、又同様に問はれければ、少しも騒がずして、是は我が知るべき事にあらず。治粟内史といふ司あり、此事を知るべき者なりといひければ、即ち彼れを召して問はるゝに、明かに数を申してけり。此の二人が事を、宰相入道震撼振表に書きて云く、

 応対易忤汗通周勃之背、陰陽難理牛喘丙吉之前

漢土の隠者は、皆悉く一旦は君の召に従ひて、出で仕うまつるなり。巣父・許由なども、皆出でて又返り隠れたる者なり。まめやかに世を遁れんの心深き者は、召出でて使はるれども興もなく、物の要にも叶はねば、君の御心行きて、返しも使はじ。暫しありて引入るを、又も召さぬなり。少し世にある心ある者は、やがて仕うまつりつきて、官職をも帯するなり。浅く思ふには、何しに一旦も出づるやらむと覚ゆれども、よく思へば、いはれたる事なり。出でずば須く死ぬべきにあるなり。伯夷叔斉が首陽の蕨を食はずして、死にたるが如し。

南史隠逸伝といふ文を見しかば、隠者は賢なり、朝にあるものは愚なりといふことをいひて、又之を問ふに、何かは必ずさるべき。世にあるが賢く、隠れたるが愚なる事もありなむといへるを、又文これを答ふるに、世にあらむよりは、身安かるべき道を知らざる所が、一もいかにも隠者には劣りたるとぞいへる、まことにさる事オープンアクセス NDLJP:163なり。

徐孝克といひける者、文学を極めて、才学広かりけり。飢渇の世に会ひて、母を養ふに力なし。最愛の妻の容よきをぞ持ちたりける。其時猛将なりける者の、勢力いかめしかりける、此妻を懸想しければ、快く譲り与へて、彼が憐れみを蒙りて、うゑの世に、母を養ふこと懇なり。妻にも離れにければ、出家して仏道を勤むる程に、又内典を極めてけり。其後猛将事に会ひて亡び失せぬ。元の妻、道に遇ひて、懇に語らひて、昔の如く相具せんといひけり。既に仏弟子として、威儀を正しくすといへども、暫く物もいはで打案じて、猶此女や去り難かりけん、忽に僧形を改め、還俗してけり。おほやけ是を用ひ給ひて、とかくする程に、家貧しかりければ、出仕の力を給ひて、召使ひければ、容は俗に返り乍ら、心は未だ道を忘れず、君の恵あれども、人に与へて身に用ひず、怪しき姿にて、君の門に出入しければ、王よく恵みて、此外に賜物を増しけるにぞ、少し宜しくて見え奉りける。出家の時の学問も、人に勝れたりければ、内典の方にも召仕はれて、俗形乍ら、僧の座に交りて、講経論議しけるに、有智の禅侶にも稍勝りてぞありける。君の御前にて高座に上りて、仁王般若経など講じけり。抑返り住まむが為めに、還俗する程に覚えけん妻室を、我が母養はんが為に人に与へけん、孝養の心、類なき者なり。又還俗の咎を許して、内外の才智を用ひ給ひけむ、君の御心もいとやんごとなし。凡そ漢土には、在俗の法門をさとる僧に交はりて、論説する事常の事なり。日域には、聖徳太子、其類におはします。

陸法化といひける者は、たけきけだ物ありける山に向ひて、三帰戒を授けたりければ、其山の猛獣、永く人を害せずなりにけり。是も在俗の法の験ある類なり。又土の中より、亀多く出でたりければ、此亀は過去の七仏の時より、爰に在りとなんいひける。古き人の、さまの物語を、自ら廃忘に備へんが為めに、書き集めて侍りし。忘れて年を経て、箱の底に朽ち残れり。いほりを払ふ塵の中より求め出でて、暮し兼ねたる雨の中に之を記す。水茎の古き跡を改めて、やまと葦原の言草に書き流す。是れ猶要なき仕業なり。早く煙となすべし。建保十とせの卯月のしものオープンアクセス NDLJP:164三日これを記す。

 
続古事談第六大尾
 
 

この著作物は、1925年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。