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經濟協力ニ關スル日本國「イタリア」國間協定

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朕樞密顧問ノ諮詢ヲ經テ裁可シ昭和十八年一月二十日「ローマ」ニ於テ帝國特命全權大使ガ「イタリア」國全權委員ト共ニ署名調印シタル經濟協力ニ關スル日本國「イタリア」國間協定ヲ茲ニ公布セシム

御名御璽
昭和十八年一月二十一日
内閣總理大臣 東條 英機
大蔵大臣 賀屋 興宣
外務大臣 谷  正之
大東亞大臣 青木 一男


條約第四號

經濟協力ニ關スル日本國「イタリア」國間協定

大日本帝國政府及

「イタリア」王國政府ハ

大東亞及歐洲ニ於ケル新秩序建設ノ爲ノ今次戰争ニ於テ其ノ經濟總力ヲ擧ケテ相互ニ援助スルト共ニ戰争ヲ勝利ヲ以テ終結シタル後ニ於テハ夫々兩國ノ經濟圏内ニ於テ広汎ナル建設計畫ニ依リ有ラユル當該民族ノ共存共栄ヲ確保スヘキ新秩序ヲ實現センカ爲兩國政府間ノ經濟協力ヲ一層緊密ナラシメンコトヲ決意セリ

依テ兩國政府ハ左ノ通協定セリ

第一條

日本國及「イタリア」國ハ其ノ經濟圏間ノ經濟給付ノ交換ヲ有ラユル部門ニ亘リ全力ヲ擧ケテ促進シ且遂行スヘシ

兩國ハ物資ノ調達及装置ノ施設ニ際シ相互ニ援助シ且緊密ナル技術協力ヲ爲スヘシ

第二條

日本國及「イタリア」國ハ前條ノ規定ノ實施ヨリ生スル支拂ヲ容易ナラシムル爲緊密ナル金融協力ヲ爲スヘシ

第三條

日本國及「イタリア」國ハ其ノ經濟政策ノ遂行ニ付テノ協力ヲ一層有効ナラシムル爲緊密ナル連絡ヲ保ツヘシ

兩國政府ハ之カ爲其ノ特ニ任命シタル委員ヲシテ兩國間ノ經濟関係ノ發展ニ對シ常ニ注意ヲ拂ハシムヘシ

第四條

兩國政府ノ當該官憲ハ本協定ノ實施ニ必要ナル細目ヲ協定スヘシ

第五條

本協定ハ署名ノ日ヨリ實施セラレ且昭和十五年九月二十七日即チ千九百四十年、即チ「ファシスト」暦十八年九月二十七日ノ日本國、獨逸國及伊太利國間三國條約ト同一期間有効タルヘシ

右證據トシテ各本國政府ヨリ正當ノ委任ヲ受ケタル下名ハ本協定ニ署名調印セリ

昭和十八年一月二十日即チ千九百四十三年、即チ「ファシスト」暦二十一年一月二十日「ローマ」ニ於テ日本文及「イタリア」文ヲ以テ本書二通ヲ作成ス

加藤 俊一(印)

チアーノ(印)

この著作物は、日本国の旧著作権法第11条により著作権の目的とならないため、パブリックドメインの状態にあります。同条は、次のいずれかに該当する著作物は著作権の目的とならない旨定めています。

  1. 法律命令及官公󠄁文󠄁書
  2. 新聞紙及定期刊行物ニ記載シタル雜報及政事上ノ論說若ハ時事ノ記事
  3. 公󠄁開セル裁判󠄁所󠄁、議會竝政談集會ニ於󠄁テ爲シタル演述󠄁

この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。