第三次桂内閣に対する内閣不信任上奏決議案提出及び趣旨説明

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第三次桂内閣に対する内閣不信任上奏決議案提出及び趣旨説明(だいさんじかつらないかくにたいするないかくふしんにんじょうそうけつぎあんていしゅつおよびしゅしせつめい)。

1913年(大正2年)2月5日に開催された帝国議会衆議院本会議へ緊急動議として提出された第三次桂内閣に対する内閣不信任上奏決議案及び提出に伴って行われた趣旨説明。提出、趣旨説明は共に尾崎行雄衆議院議員。


(帝國議会議事録より。加藤高明外務大臣による答弁の後、尾崎行雄が発言。以下、原文における一部の旧字体は表示不能のため代替文字を使用)

尾崎行雄君 議長ノ御手許ニ差シ出シテアリマス、決議案ニ付キマシテ、一應此際日程ヲ変更ノ上、議ニ付セラレンコトヲ望ミマス(拍手起ル)

○議長〔大岡育造君〕 唯今、尾崎君ノ日程變更の議ヲ御諮リ申シマス前ニ、更ニ御尋ヲシテ置キマス、質問ハ大分御連名ガアリマスケレドモ、今キタモノト見テ宜シウゴザイマスカ

   (「宜シイ」「異議ナシ」ト呼フ者アリ)

○議長〔大岡育造君〕 御異議ナイト認メマス、尾崎君ヨリ日程ヲ變更シテ決議案ヲ説明スルト云フ、緊急動議ガ出マシタ、御異議ハアリマセンカ

   (「異議ナシ異議ナシ」ト呼フ者アリ)

○議長〔大岡育造君〕 御異議ガナケレバ日程ハ直ニ変更セラレテ決議案ノ討議ニ移リマス、尚一應朗読サセマス

   ―――――――――――――

決議案

  〔書記朗讀〕

   決議案
内閣總理大臣公爵桂太郎ハ大命ヲ拝スルニ當リ屢ゝ聖勅ヲ煩シ宮中府中ノ別ヲ紊リ官權ヲ私シテ黨興を募リ又帝國議會ノ開會ニ際シ濫ニ停会ヲ行ヒ又大正二年一月二十一日本院ニ提出シタル質問ニ對シ至誠其責ヲ重スルノ意ヲ昭ニセス是レ皆立憲ノ本義ニ背キ累ヲ大政ノ進路ニ及ホスモノニシテ上皇室ノ尊厳ヲ保チ下国民ノ福祉ヲ進ムル所以ニ非ス本院ハ此如キ内閣ヲ信認スルヲ得ス仍テ慈ニ之ヲ決議ス

  (拍手起ル)

○議長〔大岡育造君〕 尾崎行雄君

  〔尾崎行雄君登壇〕


○尾崎行雄君 本員等ノ提出致シマシタル決議案ハ、唯今桂總理大臣ノ答辯ニ照シ、尚其前後ノ舉動ニ鑑ミテ、此決議案ヲ出スルノ已ムベカラザルコトヲ認メテ提出シマシタ繹デアリマス、其論点タルヤ、第一ハ身内府ニ在リ、内大臣兼侍従長ノ職ヲ辱ウシテ居リナガラ總理大臣トナルに當ッテモ、優詔ヲ拝シ、又其後モ海軍大臣ノ留任等ニ付テモ、頻ニ優詔ヲ煩シ奉リタルト云フコトハ宮中府中ノ區別ヲ紊ルト云フノガ、非難の第一点デアリマスル、唯今枝公爵ノ答辯ニ依リマスレバ、自分ノ拝シ奉ッタノハ勅語ニシテ、詔勅デハナイガ如キ意味ヲ述ベラレマシタガ、勅語モ亦詔勅ノ一デアル(「ヒヤゝ」)、而シテ我帝國憲法ハ總テノ詔勅 ― 國務ニ関スルトコロノ 詔勅ハ必ズヤ國務大臣ノ副署ヲ要セザルベカラザルコトヲ特筆大書シテアッテ、勅語ト云ハウトモ、勅諭ト云ハウトモ、何ト云ハウトモ、其間ニ於テ區別ハナイノデアリマス、(「ノウゝ」「誤解々々」ト呼フ者アリ)若シ然ラズト云フナラバ、国務ニ関スルトコロノ勅語ニ若シ過チアッタナラバ、其責任ハ何人が之ヲ負ウノデアルカ(「ヒヤゝ」拍手起ル)、畏多クモ天皇陛下直接ノ御責任ニ当タラセラレナケレバナラヌコトニナルデハナイカ、故ニ之ヲ立憲ノ大義ニ照シ(「勅語ニ過チガアルトハ何ダ」ト呼フ者アリ)、立憲ノ大義ヲ辨ヘザル者ハ黙シテ居ルベシ、勅語デアラウトモ、何デアラウトモ、凡ソ人間ノ為ストコロノモノニ過チノナイト云フコトハ言ヘナイノデアル(拍手起ル)、是ニ於テ憲法ハ託送チノナキコトヲ保証スルガタメニ(「勅語ニ過チトハ何ノコトダ、取消セゝ」ト呼フ者アリ、議場騒然)憲法ヲ調ベテ見ヨ(「不敬ダゝ」ト呼フ者アリ)

○議長〔大岡育造君〕 討論中デアリマス、御意見ガアレバ逐次登壇シテ御述ベナサイ、斯ル大切ナル問題ヲ議スルニ逸ラニ騒擾スルガ如キハ甚ダ取ラザルトコロデアリマス

   (「ヒヤゝ」「議長注意ヲ与ヘヨ、不敬デアル」ト云フ者アリ)

○尾崎行雄君 我憲法ノ精神ナルモノハ・・・

   (「議長注意シナサイ」ト呼フ者アリ)

○尾崎行雄君 我憲法ノ精神ハ 天皇ヲ神聖侵スベカラザルノ地位ニ置カンガタメニ總テノ詔勅ニ對シテハ、國務大臣ヲシテ其責任ヲ負ハセルノデアル、然ラズンバ・・・

   (「天皇ハ神聖ナリ」「退場ヲ命ズベシ」ト呼フ者アリ)

○議長〔大岡育造君〕 静ニナサイ

   (「取消ヲ命ゼヨ」「何ダ、不敬ナ言葉ヲ使ッテ」ト呼フ者アリ)

○議長〔大岡育造君〕 討論ガ憲法論デアル間ハ本院ニ於ケル討論ハ議員ノ自由デアリマス

○尾崎行雄君 御聴キナサイ、御聴キナサイ、總テ天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズト云フ大義ハ國務大臣ガ其責ニ任ズルカラ出デ来ルデアリス(拍手起ル)然ルニ桂侯爵ハ内府ニ入ルニ當ッテモ、聖意巳ムヲ得ヌト辯明スル、如何ニモ斯クノ如クナレバ桂總理大臣ハ責任ガ無キガ如ク思ヘルケレドモ、却テ天皇陛下ニ責任ノ帰スルヲ奈何セン(拍手起ル)凡ソ臣子ノ分トシテ己レノ責任ヲ免ガレンガタメニ、責ヲ外ニ帰スルト云フガ如キハ、本員等ハ断ジテ臣子ノ分ニアラズト信ズル(拍手起ル)(「西園寺侯爵ハドウダ」「間違ッテ居ル」ト呼フ者アリ)殊ニ唯今ノ辯明ニ依レバ勅語ハ總テ責任ナシト云フ、勅語ト詔勅トハ違フト云イフガ如キハ、彼等一輩ノ曲學阿世ノ徒ノ、憲法論ニ於テ、此ノ如キコトガアルカモ知レナイガ、天下通有ノ大義ニ於テ其ヤウナコトハ許サヌノデアル(拍手起ル)彼等ガ動モスレバ、引イテ以テ己ノ曲説ヲ辯護セントスルトコロノ独逸ノ実例ヲ見ヨ、独逸皇帝ガ屢ゝ四方ニ幸シテ演説ヲ遊バサレル、其中ニハ顱ル物議ヲ惹起スルトコロノモノガアル、天下騒然タルニ至ッテ總理大臣ノ主トシテ仰グトコロノ「ピユーロー」公爵ハ、總テノ陛下ノ演説ニ對シテ拙者其責ニ任ズルト云フコトヲ天下ニ公言シテ居ルデハナイカ、(拍手起ル)演説ニ對シテスラ總理大臣タルモノハ、總テ責任ヲ負フ、況ンヤ勅語ニ對シテ責任ヲ負ハヌト云フガ如キハ、立憲ノ大義ヲ辯識セザル甚シキモノ云ハナケレバナラヌ、(拍手起ル)殊ニ桂公爵ガ未ダ内閣ヲ組織セザル以前、身内府ニ入ッタトキニ、天下ノ物情如何ニアッタカト云フコトハ、公爵自ラ之ヲ知ラナケレバナラヌ、惟フニ、公爵ノ邸ニハ唯纔ニ其道ヲ踏マズシテ内府ニ入リ恰モ新帝ヲ擁シテ、天下ニ號令セントスルガ如キ位地ヲ取ッタガタメニ幾通ノ脅迫状、幾通ノ地ヲ以テ認メタルトコロノ書面ガ参ッタデアラウ、此一事ヲ以テ見テモ、天下ノ形勢何處ニアルカト云フコトハ略ゝ承知致サナクテハナラヌ、彼等ハ常ニ口ヲ開ケバ直ニ忠愛ヲ唱ヘ、恰モ忠君愛國ハ自分ノ一手専売ノ如ク唱ヘテアリマスルガ、其為ストコロヲ見レバ、常ニ玉座ノ陰ニ隠レテ、政敵ヲ狙撃スルガ如キ舉動ヲ執ッテ居ルノデアル、(拍手起ル)彼等ハ玉座ヲ以テ胸壁トナシ、詔勅ヲ以テ弾丸ニ代ヘテ政敵ヲ倒サントスルモノデハナイカ、此ノ如キコトヲスレバコソ、身既ニ内府ニ入ッテ、未ダ何ヲモ為サザルニ當リテ、既ニ天下ノ物情騒然トシテナカゝ静マラナイ、況ンヤ其人常侍輔弼ノ性格-其人ノ性格トシテ一黙ダモ、常侍輔弼ト云フ


出典[編集]