竹の木戸

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大庭真蔵(おおばしんぞう)という会社員は東京郊外に住んで京橋区辺の事務所に通って居たが、電車の停留所まで半里(はんみち)以上もあるのを、毎朝欠かさずテクテク歩いて運動には恰度(ちょうど)可(い)いと言って居た。温厚(おとな)しい性質から会社でも受が可(よ)かった。
家族は六十七八になる極く丈夫な老母、二十九になる細君、細君の妹のお清、七歳になる娘の礼ちゃん、之(こ)れに五六年前から居るお徳という女中、以上五人に主人の真蔵を加えて都合六人であった。
細君は病身であるから余り家事に関係しない。台所元の事は重(おも)にお清とお徳が行って居て、それを小まめな老母が手伝って居たのである。別(わ)けても女中のお徳は年こそ未だ二十三であるが私はお宅(うち)に一生奉公をしますという意気込で権力が仲々強い、老母すら時々此女中の言うことを聞かなければならぬ事もあった。我儘過るとお清から苦情の出る場合もあったが、何しろお徳はお家大事と一生懸命なのだから結局(つまり)はお徳の勝利(かち)に帰するのであった。
生垣(いけがき)一つ隔てて物置同様の小屋があった。それに植木屋夫婦が暮して居る。亭主が二十七八で、女房はお徳と同年輩位、そして此隣交際(となりづきあい)の女性(にょしょう)二人は互いに負けず劣らず饒舌(しゃべ)り合って居た。
初め植木屋夫婦が引越して来た時、井戸がないので何卒(どう)か水を汲まして呉れと大庭家に依頼(たの)みに来た。大庭の家では其は道理(もっとも)なことだと承諾(ゆる)してやった。それから彼是(かれこれ)二月ばかり経つと、今度は生垣を三尺ばかり開放(あけ)さして呉れろ、そうすれば一々御門へ迂廻(まわ)らんでも済むからと頼みに来た。これには大庭家でも大分苦情があった、殊にお徳は盗棒(どろぼう)の入口を造(こしら)えるようなものだと主張した。が、しかし主人真蔵の平常(かねて)の優しい心から遂に之を許すことになった。其方(そっち)で木戸を丈夫に造り、開閉を厳重にするという条件であったが、植木屋其処らの藪(やぶ)から青竹を切って来て、これに杉の葉など交ぜ加えて無細工(ぶざいく)の木戸を造(つ)くって了った。出来上ったのを見てお徳は、
「これが木戸だろうか、掛金(かけがね)は何処に在るの。こんな木戸なんか有るも無いも同じことだ」と大声で言った。植木屋の女房のお源は、これを聞きつけ
「それで沢山だ、どうせ私共の力で大工さんの作るような立派な木戸が出来るものか」
と井戸辺(いどばた)で釜の底を洗いながら言った。
「それじゃア大工さんを頼めば可い」とお徳はお源の言葉が癪(しゃく)に触り、植木屋の貧乏なことを知りながら言った。
「頼まれる位なら頼むサ」とお源は軽く言った。
「頼むと来るよ」とお徳は猶(も)一つ皮肉を言った。
お源は負けぬ気性だから、これにはむっとしたが、大庭家に於けるお徳の勢力を知って居るから、逆(さか)らっては損と虫を圧(おさ)えて
「まアそれで勘弁してお呉れよ、出入りするものは重(おも)に私ばかりだから私さえ開閉(あけたて)に気を附けりゃア大丈夫だよ。どうせ本式の盗賊(どろぼう)なら垣根だって御門だって越すから木戸なんか何にもなりゃア仕ないからね」と半分折れて出たので、お徳は
「そう言えばそうさ。だからお前さんさえ開閉(あけたて)を厳重に仕てお呉れなら先(ま)ア安心だが、お前さんも知ってるだろう此里(ここ)はコソコソ泥棒や屑屋の悪い奴が彷徨(うろうろ)するから油断も間際(すき)もなりゃ仕ない。そら近頃出来たパン屋の隣りに河井様(さん)て軍人さんがあるだろう。彼家(あそこ)じゃア二三日前に買立の銅(あか)の大きな金盥(かなだらい)をちょろりと盗(や)られたそうだからねえ」
「まア如何(どう)して」とお源は水を汲む手を一寸(ちょっ)と休めて振り向いた。
「井戸端に出て居たのを、女中が屋後(うち)に干物に往たぼっちりの間に盗られたのだとサ。矢張木戸が少しばかし開いて居たのだとサ」
「まア、真実(ほんと)に油断がならないね。大丈夫私は気を附けるが、お徳さんも取られそうなものは少時(ちょっと)でも戸外(そと)に放棄(うっちゃっ)て置かんようになさいよ」
「私はまア其様(そんな)ことは仕ない積りだが、それでも、ツイ忘れることが有るからね、お前さんも屑屋なんかに気を附けてお呉れよ。木戸から入るにゃ是非お前さんの宅(とこ)の前を通るのだからね」
「ええ気を附けるともね。盗られる日にゃ薪一本だって炭一片(きれ)だって馬鹿々々しいからね」
「そうだとも。炭一片とお言いだけれど、どうだろう此頃の炭の高価(たか)いことは。一俵八十五銭の佐倉が彼(あれ)だよ」とお徳は井戸から台所口へ続く軒下に並べてある炭俵の一(ひとつ)を指して、「幾干入ってるものかね。ほんとに一片何銭に当(つ)くだろう。まるでお銭(かね)を涼炉(しちりん)で燃して居るようなものサ。土竈(どがま)だって堅炭だって悉(みん)な去年の倍と言っても可い位だからね」とお徳は嘆息(ためいき)まじりに「真実(ほんと)にやりきれや仕ない」
「それに御宅は御人数が多いんだから入用(いる)ことも入用(いる)サね。私のとこなんかは二人限(ふたりきり)だから幾干も入用(いり)ゃア仕ない。それでも三銭五銭と計量炭(はかりずみ)を毎日のように買うんだからね、全くやりきれや仕ない」
「全く骨だね」とお徳は優しく言った。
以上炭の噂まで来ると二人は最初の木戸の事は最早(もう)口に出さないで何時しか元のお徳お源に立環りぺちゃくちゃと仲善く喋舌(しゃべ)り合って居たところで埒(らち)も無い。
十一月の末だから日は短い盛(さかり)で、主人真蔵が会社から帰ったのは最早(もう)暮れがかりであった。木戸が出来たと聞いて洋服のまま下駄を突掛け勝手元の庭へ廻り、暫時(しばらく)は木戸を見てただ微笑んで居たが、お徳が傍(そば)から、
「旦那様、大変な木戸で御座いましょう」と言ったので、
「これは植木屋さんが作(こしら)えたのか」
「そうで御座います」
「随分な木戸だが、併(しか)し植木屋さんにちゃア能(よ)く出来てる」と手を掛けて揺振(ゆすぶ)って見て
「案外丈夫そうだ。まアこれで可い、無いよりか増(まし)だろう。其内大工を頼んで本当に作らすことに仕よう」と言って、「竹で作(こしら)えても木戸は木戸だ、ハ、ハヽヽヽ」と笑いながら屋内(うち)へ入った。
お徳はこれを自分の宅(うち)で聞いて居て、くすくすと独(ひとり)で笑いながら、「真実(ほんと)に能く物の解る旦那だよ。第一彼様(あんな)心持の優しい人ったらめったに有りゃ仕ない。彼様(あそこ)じゃ奥様も好い方だし御隠居様も’小まめちょこまかなさるが人柄(ひと)は極く好い方だし、お清様は出戻りだけに何処か執拗(いねく)れてるが、然し気質(きだて)は優しい方だし」と思いつづけて来てハタとお徳の今日昼間の皮肉を回想(おもいだ)して、「水の世話にさえならなきゃ如彼(あんな)奴に口なんか言(き)かしゃ仕ないんだけど、房州の田舎者奴(め)が、可愛がって頂だきゃ可い気になりゃアがって如何だろう彼(あ)の図々(ずうずう)しい按梅(あんばい)は」とお徳の先刻(さっき)の言葉を思い出し、『大変な木戸でしょうだって、あれで難癖を附ける積りが生憎(あいにく)と旦那がお取上に相成らんから可い気味だ。愚態(ざま)ア見やがれ」と又つと気を替えて「だけど感心と言えば感心だよ。容色(きりょう)も悪くはなし年だって私と同じ位だいくらだって嫁にいかれるのに、彼様(ああ)様やって同じなら未だいくらだって嫁にいかれるのに、彼様(ああ)やって一生懸命に奉公しているんだからね。全く普通(なみ)の女(もの)にゃ真似が出来ないよ。それに恐しい正直者だから大庭様でも彼女(あれ)に任して置きゃ間違いはないサ……」
こんな事を思いながらお源は洋燈(ランプ)を点火(つけ)て、火鉢に炭を注(つ)ごうとして炭が一片もないのに気が着き、舌鼓(したうち)をして古ぼけた薬罐(やかん)に手を触ってみたが湯は冷めて居ないので安心して、「お湯の熱い中に早く帰って来れば可い。然し今日若(もし)か前借りして呉れないと今夜も明日も火なしだ。火ぐらい木葉(こっぱ)を拾って来ても間に合うが、明日食うお米が有りゃ仕ない」と今度は舌鼓の代(かわり)に力のない嘆息を洩した。頭髪(かみ)を乱して、血の色(け)のない顔をして、薄暗い洋燈(ランプ)の陰にしょんぼり坐って居る此時のお源の姿は随分憐(あわれ)な様(さま)であった。
其所(そこ)へのっそり帰って来たのが亭主の磯吉である。お源は単直(いきなり)前借の金のことを訊(き)いた。磯は黙って腹掛から財布を出してお源に渡した。お源は中を査(あらた)めて
「たった二円」
「ああ」
「二円ばかし仕方が無いじゃアないか。どうせ前借するんだもの五円も借りて来れば可いのに」
「だって貸さなきゃ仕方がない」
「そりゃ左様(そう)だけど能く頼めば親方だって五円位貸して呉れそうなものだ。これを御覧」とお源は空虚(からっぽ)の炭籠(すみとり)を見せて
「炭だってこれだろう。今夜お米を買ったら幾干(いくら)も残りゃ仕ない。……」
磯は黙って煙草をふかして居たが、煙管(きせる)をポンと強く打(はた)いて、膳を引寄せ手盛(てもり)で飯を食い初めた。ただ白湯(さゆ)を打(ぶっ)かけてザクザク流し込むのだが、それが如何にも美味(うま)そうであった。
お源は亭主の此所為(しょさ)に気を呑まれて黙って見て居たが山盛五六杯食って、未だ止めそうもないので呆れもし、可笑(おかし)くもなり、
「お前さん其様(そんな)にお腹(なか)が空いたの」
磯は更に一椀(いっぱい)盛(つ)けながら「俺は今日半食(おやつ)を食わないのだ」
「如何して」
「今日彼時(あれ)から往ったら親方が厭(いや)な顔をして此多忙(いそが)しい中を何で遅く来ると小言を言ったから、実はこれこれだって木戸の一件を話すと、そんな事は手前(てめえ)の勝手だって言やアがる。糞忌々敷(くそいまいまし)いから其からグングン仕事に掛って二時過ぎになるとお茶飯(やつ)が出たが、俺は見向も仕ないんだ。お女中が来て今日はお美味(いし)い海苔巻だから早やく食べろと言ったが到当俺は往かないで仕事を仕続けてやったのだ。そんなこんなで前借のこと親方に言い出すのは全く厭だったけど、言わないじゃ居られんから帰りがけに五円貸して呉れろと言うと、へん仕事は怠けて前借か、俺も手前(てめえ)の図々しいのには敵(かな)わんよ。そら是で可(よ)かろうって二円出して与(よ)こしたのだ。仕方が無いじゃアないか」と磯は腹の空いた訳と二円外(ほか)前借が出来なかった理由(わけ)を一遍に話して了った。そして話し了(おわ)ったところ漸(やっ)と箸を置いた。
全体磯吉は無口の男で又た口の利(き)きようも下手だが如何かすると啖火(たんか)交りで今のように威勢の可(い)い物の言い振をすることもある、お源にはこれが頗(すこぶ)る嬉しかったのである。然しお源には連添(つれそっ)てから足掛三年にもあるが未だ磯吉は怠惰者(なまけもの)だか働人(はたらきにん)だが判断が着かんのである。東京女の気まぐれ者には其(それ)で済(す)んでゆくので、三日も四日も仕事を休む、どうかすると十日も安む、けれどサアとなれば人三倍も働くのが宅(うち)の磯様(さん)だと心得て居る。然し何処まで行ったら其(その)「サア」だか其様(そんな)ことはお源も考えたことはない。又たお源は磯さんはイザとなれば随分人の出来ない思切(おもいき)った大胆なことをする男だと頼母(たのもし)がって居る。けれど左様(そう)ばかし思えんこともある。其実案外意気地のない男かしらと思う場合もあるが、それは一文なしになって困り抜(ぬ)いた時などで、そう思うと情なくなるから成るべく其は自分で打消して居たのである。
実際磯吉は所謂(いわゆ)る「解らん男」で、大庭の女達は何となく薄気味悪く思って居た。だからお徳までが磯に憚(はばか)る風がある。これがお源には言うに言われない得意なので、お徳が此風(このふう)を見せた時、お清が磯に丁寧な言葉を使った時など嬉(うれし)さが込上げて来るのであった。
それで結局のべつ貧乏の仕飽(しあき)をして、働き盛りでありながら世帯らしい世帯も持たず、何時も物置か古倉の隅(すみこ)のような所ばかりに住んで居る、従ってお源も何時しか植木屋の女房連(かかあれん)から解らん女だ、つまり馬鹿だとせられて居たのだ。
磯吉の食事(めし)が済むとお源は笊(ざる)を持って駈出して出たが、やがて量炭(はかりずみ)を買って来て、火を起しながら今日お徳と木戸のことで言いあったこと、旦那が木戸を見て言った言葉などべらべら喋舌(しゃべっ)て聞かしたが、磯は「そうか」とも言わなかった。
其うち磯が眠そうに大欠伸(おおあくび)をしたので、お源は垢染(あかじみ)た煎餅布団(せんべいぶとん)を一枚敷いて一枚被(か)けて二人一緒に一個の身体のようになって首を縮めて寝て了った。壁の隙間や床下から寒い夜風が吹きこむので二人は手足を縮められるだけ縮めて居るがそれでも磯の背部(せなか)は半分外に露出(はみだ)して居た。


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十二月に入ると急に寒気が増して霜柱が立つ、氷が張る。東京の郊外は突然(だしぬけ)に冬の特色を発揮して、流行の郊外生活にかぶれて初めて郊外に住んだ連中を喫驚(びっくり)さした。然し大庭真蔵は鳴れたもので、長靴を穿(は)いて厚い外套を着て平気で通勤して居たが、最初の日曜日は空青々と晴れ、日が煌々(きらきら)っと輝いて、そよ吹く風もなく、小春日和(びより)が又立戻ったようなので、真蔵とお清は留守居番、老母と細君は礼ちゃんとお徳を連れて下町に買物に出掛けた。
郊外から下町へ出るのは東京へ行くと称して出慣れぬ女連は外出の支度に一騒(ひとさわぎ)するのである。それで老母を初め細君娘、お徳までの着変(きがえ)やら何かに一しきり騒しかったのが、出て去(い)った後は一時に森(しん)となって家内は人気が絶えたようになった。
真蔵は銘仙の褞袍(どてら)の上へ兵児帯(へこおび)を巻きつけたまま日射(ひあたり)の可い自分の書斎に寝転んで居たがお午前(ひるまえ)になると退屈になり、書斎を出て縁端をぶらぶら歩いて居ると「兄様(にいさん)」と障子越しにお清が声をかけた。
「何です」
「おホヽヽヽ『何です』だって。お午食(ひる)は何にもありませんよ」
「かしこ参りました」
「おホヽヽヽ『かしこ参りました』だって真実(ほんと)に何にもないんですよ」
其処で真蔵はお清の居る部屋の障子を開けると、内(なか)ではお清がせっせと針仕事をして居る。
「大変勉強だね」
「礼かんの被布(ひふ)ですよ、良い柄でしょう」
真蔵はそれには応えず、其処辺(そこら)を見廻して居たが、
「最少(もすこ)し日射(ひあたり)の好い部屋で縫(や)ったら可さそうなものだな。そして火鉢もないじゃないか」
「未だ手が凍結(かじけ)るほどでもありませんよ。それに此節は御倹約ということに決定(きめ)たのですから」
「何の御倹約だろう」
「炭です」
「炭は成程高価(たかく)なったに違いないが宅(うち)で急に其を節約するほどのことはなかろう」
真蔵は衣食台所元のことなど一切関係しないから何も知らないのである。
「如何して兄様、十一月でさえ一月の炭の代がお米の代よりか余程(よっぽど)上なんですもの。これから十二、一、二と先ず三月(みつき)が炭の要(い)る盛ですから倹約出来るだけ仕ないと大変ですよ。お徳が朝から晩まで炭が要る炭が高価(たか)いて泣言ばかり言うのも無理はありませんわ」
「だって炭を倹約して風邪でも引いちゃ何(なに)もなりゃ仕ない」
「まさか其様(そんな)ことは有りませんわ」
「しかし今日は好い按排(あんばい)に暖かいね。母上(おっかさん)でも今日は大丈夫だろう」と両手を伸ばして大欠伸をして、
「何時か知らん」
「最早(もう)直ぐ十二時でしょうよ。お午食にしましょうか」
「イヤ未だ腹が一向空かん。会社だと午風(ひる)の弁当が待遠いようだけどなア」と言いながら其処を出て勝手の座敷から女中部屋まで覘(のぞ)きこんだ。女中部屋など従来(これまで)入ったことも無かったのであるが、見ると高窓が二尺ばかり開け放しになってるので、何心なく其処から首をひょいと出すと、直ぐ眼下に隣のお源が居て、お源が我知らずと見上げた顔とぴたりと出会った。お源はサと顔を真赤にして狼狽(うろたえ)切った声を漸(や)っと出して
「お宅では斯(こう)いう上等の炭をお使いなさるんですもの、堪(たま)りませんわね」と佐倉(さくら)の切炭を手に持って居たが、それを手玉に取りだした。窓の下は炭俵が口を開けたまま並べてある場処で、お源が木戸から井戸辺(いどばた)へゆくには是非この傍(そば)を通るのである。
真蔵も一寸狼狽(まごつ)いて答に窮したが
「炭のことは私共には解らんで……」と莞爾(にっこり)微笑(わら)って其まま首を引込めて了った。
真蔵は直ぐ書斎に環って、お源の所為(しょさ)に就て考がえたが判断が容易に着かない。お源は炭を盗んで居る所であったとは先ず最初に来る判断だけれど、真蔵は其を其儘確信することが出来ないのである。実際ただ炭を見て居たのかも知れない。通りがかりだからツイ手に取って見て居る所を不意に他人(ひと)から瞰下(みおろ)されて理由(わけ)もなく顔を赤らめたのかも知れない。まして自分が見たのだから狼狽(うろた)てたのかも知れない。と考えれば考えられんこともないのである。真蔵は成るべく後の方に判断したいので、遂にそう心で決定(きめ)て兎も角何人(だれ)にも此事は言わんことにした。
しかし万一(ひょっと)若し盗んで居たとすると放下(うっちゃ)って置いては後が悪かろうと思ったが、一度見られたら、とても悪事を続行(つづけ)ることは得為(えす)まいと考えたから尚お更ら此事を口外しない方が本当だと信じた。
どちらにしても、お徳が言った通り、彼処(あそこ)へ竹の木戸を植木屋に作らしたのは策の得たるものでなかったと思った。
午後三時過ぎて下町行の一行はぞろぞろ帰宅(かえ)て来た。一同が茶の間に集まってがやがやと今日の見聞を今一度繰返して話合うのであった。お清は勿論、真蔵も引出されて相槌を打って聞かなければならない。礼ちゃんが新橋の勧工場(かんこうば)で大きな人形を強請(ねだ)って困らしたの、電車の中は泥酔者(よっぱらい)が居て衆人(みんな)を苦しめたの、真蔵に向って細君が、所天(あなた)は寒がりだから大徳(だいとく)で上等飛切の舶来のシャツを買って来たの、下町へ出ると如何しても思ったより余計にお金を使うだの、それからそれと留度(とめど)がない。そして聞く者よりか喋舌(しゃべ)って居る連中の方が余程面白そうであった。
先ず此)この)がやがやが一頻(しきり)止むとお徳は急に何か思いだしたように起って勝手口を出たが暫時(しばらく)して帰って来て、妙に真面目な顔をして眼を円くして、
「まア驚いた!」と低い声で言って、人々(みんな)の顔をきょろきょろ見廻わした。人々も何事が起ったかとお徳の顔を見る。
「まア驚いた!」と今一度言って、「お清様は今日は屋外(そと))の炭をお出しになりゃ仕ませんね?」
「否(いえ)、私は炭籠(すみとり)の炭ほか使わないよ」
「そうら解った、私は去日(このあいだ)から如何(どう)も炭の無くなりかたが変だ、如何(いくら)炭屋が巧計(ずる)をして底ばかし厚くするからって斯うも急に無くなる筈がないと思って居たので御座いますよ。それで私は想当(おもいあた)ってる事があるから昨日お源さんの留守に障子の破目(やぶれめ)から内(なか)をちょいと覗いて見たので御座いますよ。そうすると如何でしょう」と、一段声を低めて「彼(あ)の破火鉢(やぶれひばち)から佐倉が二片(ふたつ)ちゃんと埋(いか)って灰を被(か)けて有るじゃア御座いませんか。それを見て私は最早(もう)必定(きっと)そうだと決定(きめ)て御隠居様に先ずも申し上げて見ようかと思いましたが、一つ係蹄(わな)をかけて此方で験(た)めした上と考がえましたから今日行(や)って試(み)たので御座いますよ」とお徳はにやりと笑った。
「どんな係蹄をかけたの?」とお清は心配そうに訊いた。
「今日出る前に上に並んだ炭に一々符合(しるし)を附けて置いたので御座います。それが如何でしょう、今見ると符号を附けた桜が四個そっくり無くなって居るので御座います。そして土竈(どがま)は大きなのを二個上に出して符号を附けて置いたら其も無いのです」
「まア如何したと云うのだろう」とお清は呆れて了った。老母と細君は顔見合して黙って居る。真蔵は偖(さて)は愈々と思ったが今日見た事を打明けるだけは矢張見合わした。つまり真蔵には左様(そう)までするには忍びなかったのである。
「で御座いますから炭泥棒は何人(だれ)だか最早解ってます。如何致しましょう」とお徳は人々が此大事件を喫驚(びっくり)して、轟々と論評を初めて呉れるだろうと予期していたのが、お清が声を出して呉れた外、旦那を初め後の人は黙って居るので少し張合が抜けた調子で斯う問うた。暫時(しばら)く誰も黙っていたが、
「如何するッて、如何するの?」とお清が問い返した、お徳は少々焦躁(じれっ)たくなり、
「炭をですよ。炭を彼(あ)のままにして置けばこれから幾干(いくら)でも取られます」
「台所の縁の下は如何だ」と真蔵は打擲(うっちゃ)って置いてもお源は今後容易に盗み得ぬことを知って居るけれど、其理由を打明けまいと決定(きめ)てるから、仕様(しよう)事(こと)なしに斯う言った。
「充満(いっぱい)で御座います」とお徳は一言で拒絶した。
「そうか」と真蔵は黙って了(しま)う。
「それじゃ斯うしたら如何だろう。お徳の部屋の戸棚の下を明けて当分兎も角彼処(あそこ)へ炭を入れることにしたら。そしてお徳の所有品(もの)は中の部屋の戸棚を整理(かたづ)けて入れたら」と細君は一案を出した。
「それじゃア左様(そう)致しましょう」とお徳は直ぐ賛成した。
「お徳には少し気の毒だけど」と細君は附加(つけた)した。
「否(いいえ)、私は中の部屋のお戸棚へ衣類(きもの)を入れさして頂ければ尚お結構で御座います」
「それじゃ先(ま)あ左様(そう)決定(き)めるとして、全体物置を作れというのに真蔵がぐずぐずして居るから斯ういうことになるのです。物置さえあれば何のこともないのに」と老母が漸(やっ)と口を利(き)いたと思ったら物置の愚痴。真蔵は頭を掻いて笑った。
「否、斯ういうことになったのも、竹の木戸のお蔭で御座いますよ。ですから私は彼処(あそこ)を開けさすのは泥棒の入口を作(こしら)えるようなものだと申したので御座います。今となりゃ泥棒が泥棒の出入口を作(こしら)えたようなものだ」と、お徳が思わず地声の高い調子で言ったので、老母は急に
「静に

静に、そんな大きな声をして聴(きか)れたら如何します。私も彼処(あそこ)を開けさすのは厭じゃッたが開けて了った今急に如何もなら。今急に彼処を塞げば角が立って面白くない。植木屋さんも何時まで彼様(あんな)物置小屋見たような所に居られんで移転(ひっこす)なり如何なりするだろう。そしたら彼所(あそこ)を塞ぐことにして今は唯だ何にも言わんで知らん顔を仕てる、お徳も決してお源さんに炭の話など仕ちゃなりませんぞ。現に盗んだ所を見たのではなし又高が少しばかしの炭を盗られたからって其を荒立てて彼人者(あんなもの)たちに怨恨(うらま)れたら猶お損になりますぞ。真実(ほんと)に」と老母は老母だけの心配を諄々(じゅんじゅん)と説いた。

「真実に左様よ。お徳は如何かすると譏謔(あてこすり)を言い兼ないが、お源さんに其様(そんな)ことでもすると大変よ。反対(あべこべ)に物言(ものいい)を附けられて如何(どん)な目に遇うかも知れんよ、私は彼(あ)の亭主の磯が気味が悪くって成らんのよ。変妙来(へんみょうらい)な男ねえ。彼様奴(あんなやつ)に限って向う不見(みず)に人に喰ってかかるよ」とお清も老母と同じ心配。老母も磯吉のことは口には出さなかったが心には無論それが有ったのである。
「何に彼男(あのおとこ)だって唯の男サ」と真蔵は立上がりながら、「然(けれ)ども先(ま)ア関係(かかりあ)わんが可い」
真蔵は自分の書斎に引込み、炭問題も一段落着いたので、お徳とお清は大急ぎで夕御飯の支度に取掛った。
お徳はお源が何(ど)んな顔をして現われるかと内々待って居たが、平常(いつ)も夕方には必然(きっと)水を汲みに来るのが姿も見せないので不思議に思って居た。
日が暮れて一時間も経ってから磯吉が水を汲みに来た。


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お源は真蔵に見られても巧く誤魔化し得たと思った。恰度(ちょうど)真蔵が窓から見下した時は土竈炭(どがま)を袂に入れ佐倉炭(さくら)を前掛に包んで左の手で圧(おさ)え、更に一個取ろうとする処であったが、元来性質(ひと)の良い邪推などの無い旦那だから多分気が附かなかっただろうと信じた。けれど、夕方になって如何しても水を汲みにゆく気になれない。
そこで、磯吉が仕事から帰る前に布団を被って寝て了った。寝たって眠(ねむ)られは仕ない。垢染(あかじみ)た煎餅布団でも夜は磯吉と二人で寝るから互の体温で寒気(かんき)も凌(しの)げるが一人では板のようにしゃちこ張って身に着かないで起きて居るよりも一倍寒く感ずる。ぶるぶる慄えそうになるので手足を縮めれるだけ縮めて丸くなった処を見ると人が寝てるとは受知(うけとれ)ん位だ。
色々考えると厭悪(いや)な心地(ここち)がして来た。貧乏には慣れているがお源も未だ泥棒には慣れない。先日からちょくちょく盗んだ炭の高こそ多くないが確的(あきらか)に人目を忍んで他(ひど)の物を取ったのは今度が最初(はじめて)であるから一念其処へゆくと今までにない不安を覚えて来る。此不安の内(なか)には恐怖(おそれ)も羞恥も籠って居た。
眼の前にまざまざと今日の事が浮んで来る、見下した旦那の顔が判然(はっきり)出て来る、そしてテレ隠しに炭を手玉に取った時のことを思うと顔から火が出るように感じた。
「真実(ほんと)に如何したんだろう」とお源は思わず叫んだ。そして徐々(そろそろ)逆上気味になって来た。「若しか知れたら如何する」「知れるものか彼(あの)旦那は性質(ひと)が宜いもの」「性質の宜いは当にならない」「性質(ひとの善良(よい)のは魯鈍(のろま)だ」と促気(せき)込んで独問答(ひとりもんどう)をして居たが
「魯鈍(のろま)だ、魯鈍だ、大魯鈍だ」と思わず又叫んで「フン何が知れるものか」と添足(つけた)した。そして布団から首を出して見ると日が暮れて入口の障子戸に月が射して居る。けれども起きて洋燈(ランプ)を点(つ)けようとも仕ないで、直ぐ首を引込めて又た丸くなって了った。そこへ磯吉が帰って来た。
頭が割れるように痛むので寝たのだと聞いて磯は怒りもせずに自分で燈(あかり)を点(つ)け、薬罐が微温湯(ぬるまゆ)だから火鉢に炭を足し、水も汲みに行った。湯の沸騰(たぎ)るを待つ間は煙草をパクパク吹(ふか)していたが
「如何(どう)痛むんだ」
返事がないので、磯は丸く凸起(もりあが)った布団を少時(しばら)く熟(じっ)と視て居たが、
「オイ如何痛むんだイ」
相変らず返事がないので磯は黙って了った。其中(そのうち)湯が沸騰(わい)て来たのから例の通り水のように冷(ひえ)た飯へ白湯(さゆ)を注(か)けて沢庵をバリバリ、待ち兼ねた風に食い初めた。
布団の中でお源が啜泣(すすりなき)する声が聞えたが磯には香物(こうのもの)を嚙む音と飯を流し込む音と、美味(うま)いので夢中になって居るのとで聞えなかった。そして飯を食い終ったことには啜泣の声も止んだのである。
磯が火鉢の縁を忽々(こつこつ)叩き初めるや布団がむくむく動いて居たが、やがてお源が半分布団に巻纏(くるま)って其処へ坐った。前が開いて膝頭が少し出て居ても合そうとも仕ない、見ると逆上(のぼ)せて顔を赤くして眼は涙に潤(うる)み頻(し)きりに啜泣きを為(し)て居る。
「如何したと云うのだ、え?」と磯は問うたが、此男の持前として驚いて狼狽(うろた)えた様子は少しも見えない。
「磯さん私は最早(もう)つくづく厭になった」と言い出してお源は涙声になり
「お前さんと同棲(いっしょ)になってから三年になるが、其間真実(ほんと)に食うや食わずで今日はと思った日は一日だって有りゃしないよ。私だって何も楽を仕様(しよう)とは思わんけれど、これじゃ余りだと思うわ。お前さんこれじゃ乞食(こじき)も同然じゃ無いか。お前さんは左様(そう)は思わないの?」
磯は黙って居る。
「これじゃ唯だ食って生きてるだけじゃないか。餓死(うえじに)する者は世間に滅多にありゃ仕ないから、食って生きてるだけなら誰だってするよ。それじゃ余り情ないと私は思うわ」涙を袖(そで)で拭いて「お前さんだって立派な職人じゃないか、それに唯(たっ)た二人限(きり)の生活だよ。それが如何だろう、のべつ貧乏の仕通しで其貧乏唯の貧乏じゃ無いよ。満足な家には一度だって住まないで何時でも斯様(こんな)物置か――」
「何を何時までべらべら喋舌(しゃべっ)てるんだい」と磯は矢張お源の方は向かないで、手荒く煙管(きせる)を撃(はた)いて言った。
「お前さん怒るなら何程(いくら)でもお怒り。今夜という今夜は私は如何あっても言うだけ言うよ」とお源は急促込(せきこ)んで言った。
「貧乏が好きな者はないよ」
「そんなら何故お前さん月の中(うち)十日は必然(きっと)休むの?お前さんはお酒は呑(のめ)ないし外に道楽はなし満足に仕事に出てさえお呉(くれ)なら如斯(こんな)貧乏は仕ないんだよ。――」
磯は火鉢の灰を見つめて黙って居る。
「だからお前さんが最少(もすこ)し精出してお呉れなら此節のように計量炭(はかりずみ)もろくに買えないような情ない……」
お源は布団へ打伏して泣き出した。磯吉はふいと起(た)って土間に下りて麻裏(あさうら)を突掛けるや戸外(そと)へ飛び出した。戸外は月冴えて風はないが、骨身に徹(こた)える寒さに磯は大急ぎで新開の通へ出て、七八町もゆくと金次という仲間が居る、其家へ訪ねて、十時過まで金次と将棋(しょうぎ)を指して遊んだが帰掛(かえりがけ)に一寸(ちょっと)一円貸せと頼んだ。明日なら出来るが今夜は一文もないと謝絶(ことわ)られた。
帰路(かえりみち)に炭屋がある。此店は酒も薪も量炭(はかりずみ)も売り、大庭も此店から炭薪を取り、お源も此店へ炭を買いに来るのである。新開地は店を早く終(しま)うので此店も最早(もう)閉って居た。磯は少時(しばら)く此店の前を迂路(うろ)迂路して居たが急に店の軒下に積んである炭俵の一個をひょいと肩に乗せて直ぐ横の田甫道(たんぼみち)へ外(そ)れて了った。
大急ぎで帰宅(かえ)って土間にどしりと俵を下した音に、泣き寝入に寝入って居たお源は眼を覚(さま)したが声を出さなかった。そして今のは何の響とも気に留めなかった。磯も其儘お源の後から布団に潜(もぐ)り込んだ。
翌朝になってお源は炭俵に気が着き、喫驚(びっくり)して、
「磯さん此は如何したの、此炭俵は?」
「買って来たのサ」と磯は蒲団を被ってるまま答えた。朝飯(めし)が出来るまでは磯は床を出ないのである。
「何店(どこ)で買ったの?」
「何処だって可いじゃないか」
「聞いたって可いじゃないか」

:「初公の近所の店だよ」 :「まア如何して其様(そんな)遠くで買ったの。……オヤお前さん今日お米を買うお銭(かね)を費って了やアしまいね」

磯は起上って「お前がやれ量炭(はかりずみ)を買えんだのッて八かましく言うから昨夜(ゆうべ)金公の家へ往って借りようとして無(ない)ッてやがる。其れから直ぐ初公の家(とこ)へ往ったのだ。炭を買うから少(すこし)許(ばかり)貸せといったら、一表位なら俺家(おれんとこ)の酒屋で取って往けと大(おおき)なことを言うから直ぐ其家で初公の名前で持って来たのだ。それだけあれば四五日は保(あ)るだろう」
「まア左様(そう)」と言ってお源はよろこんだ。直ぐ口を明けて見たかったけれど、先(ま)ア後の事と、せっせと朝飯の支度をしながら「え、四五日どころか自宅(うち)なら十日もあるよ」
昨夜磯吉が飛出した後でお源は色々に思い難(なや)んだ末が、亭主に精出せと勧める以上、自分も気を腐らして寝て居ちゃ何もならない、又たお隣へも顔を出さんと却(かえ)って疑われると斯う考えたのである。
其処で平常(いつも)の通り弁当を持たせて磯吉を出してやり、自分も飯を食べて一通り片附いたところでバケツを持って木戸を開けた。
お清とお徳が外に出て居た。お清はお源を見て
「お源さん大変顔色が悪いね、如何か仕たの」
「昨日から少し風邪を引いたもんですから……」
「用心なさいよ、それは不可(いけ)ない」
お徳は「お早う」と口早に挨拶した限(き)り何も言わない、そしてお源が炭俵の並べてないのに気が着き顔色を変えて眼をぎょろぎょろさして居るのを見て、にやり笑った。お源は又た早くも之を看取(みてと)りお徳の顔を睨(にら)みつけた。お徳は斯う睨みつけられたとなると最早(もう)喧嘩だ、何か甚(ひど)い皮肉を言いたいがお清が傍(そば)に居るので辛抱して居ると十八九になる増屋(ますや)の御用聞が木戸の方から入って来た。増屋(ますや)とは昨日磯吉が炭を盗んだ店である。
「皆さまお早う御座います」と挨拶するや、昨日まで戸外(そと)に並べてあった炭俵が一個(ひとつ)も見えないので
「おや炭は何処(どっか)へ片附けたのですか」
お徳は待ってたという調子で
「あア悉皆(みんな)内へ入れちゃったよ。外へ置くと如何(どう)も物騒だからね。今の高価(たか)い炭を一片でも盗られちゃ馬鹿々々しいやね」とお源を見る。お清はお徳を睨む、お源は水を汲んで二歩三歩歩るき出したところであった。
「全く物騒ですよ、私の店(ところ)では昨夜到当(とうとう)一俵盗すまれました」
「如何して」とお清が問うた。

:「戸外(そと)に積んだまま、平時(いつも)放下(うっちゃ)って置くからです」

「何炭(なに)を盗られたの」とお徳は執着(しゅうね)くお源を見ながら聞いた。
「上等の佐倉炭(さくら)です」
お源は此等の問答を聞きながら、歯を食いしばって、踉蹌(よろめ)いて木戸の外に出た。
土間に入るやバケツを投(ほう)るゆに置いて大急ぎで炭俵の口を開けて見た。
「まア佐倉炭(さくら)だよ!」と思わず叫んだ。


* * *


お徳は老母からも細君からも、みっしり叱られた。お清は日の暮になってもお源の姿が見えないので心配して御機嫌取りと風邪見舞とを兼ねてお源を訪ねた。内が余り寂然(ひっそり)して居るので「お源さん、お源さん」と呼んで見た。返事がないので可恐々々(こわごわ)ながら障子戸を開けるとお源は炭だ河原を脚継(あしつぎ)にしたらしく土間の真中の梁へ細帯をかけて死んで居た。
二日経(た)って竹の木戸が破壊(こわ)された。そして生垣(いけがき)が以前の様に復帰(かえ)った。
それから二月経過(たつ)と磯吉はお源と同年輩(おなじとしごろ)の女を女房に持って、渋谷村に住んで居たが、矢張豚小屋同然の住宅(すまい)であった。

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。