科学に関する連載-オルバニーのダッドリー天文台

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科学に関する連載

オルバニーのダッドリー天文台

ニューヨーク州の政治的中心地であるオルバニーの天文台について、ジュネーブ図書館の優れたコレクションに報告されている、最も興味深い事実を読者に紹介することは有益であろうと考える。フランスでは科学施設を作るのに、政府からのあらゆるものを待たなければならないのに対し、大西洋の反対側では、知性と好意を持った人間が、同胞の市民に自分自身を提示するだけで、その訴えに直ちに応えてくれる大規模かつ多数の寄付が得られるのである。1851年、オルバニーの科学者たちが天文台を作ろうと考え、一軒一軒を訪ねて、みんなに科学への寄付をお願いした。ウィドー・ダドリー夫人は、最初に12,000ドルを寄付し、その後次々と105,000ドルを天文台の財源にした。この夫人の寄付は、合計で48万フランにのぼった。だから、新天文台に彼女の名が冠されているのは当然である。ダドリー夫人のほかにも、オルバニーの著名な市民であるトーマス・オルコット氏、デビット氏、プレンティス・ラズボーン氏が多額の寄付をした。他の寄付者の中には、短期間にニューヨークやその他の米国地域からそれぞれ1000ドルを送ってきた人が10人以上おり、500ドルや100ドルの寄付金も各地からかなりの数集まってきている。これはすべて、静かに......しかも大臣の請願なしに行われたのである!

1854年、数人の市民の寛大な心によって、新しい天文台のための建物は、アルバニー市の北西部、ハドソン川の平均水位から50メートルほど高い場所に、誇らしげにそびえ立った。1856年、天文台は有効口径13英インチ、焦点距離15フィートの大型赤道儀を備え、時計仕掛けの追尾装置と6つのマイクロメトリック接眼レンズを備え、倍率は100から1,000倍まで変化した。また、焦点距離10フィート、口径8インチの望遠鏡に取り付けられた見事な子午環もあり、トランシットのための素晴らしい装置である。やがてこの施設には、ボストンのアルヴァン・クラークが製作した赤道儀式用の望遠鏡を備えた彗星計、ミッチェル教授が発明した新しいクロノグラフ、同じ科学者による偏光計、ハフによる新しい自動記録気圧計、スウェーデン人E・G・ショイツによる計算機などが揃った。この機械は5,000ドル以上の費用がかかり、最初の4桁の差のために作られ、小惑星のエフェメリドの計算に大いに活用された。

アルバニー天文台は、G.W.ハフ氏の聡明な指導の下、機能し進歩し続けている。ハフ氏は、天文学と気象学にすでに重要なサービスを提供しており、今後もそうであろう。しかし、私たちはここで、そこで行われた仕事について語りたいのではない。私たちの目的は、何よりも、科学の仕事の基礎となる民間主導の素晴らしい例を強調することである。ダッドリー未亡人のような人物はアメリカではよく見かけるが、フランスにおいては残念ながら非常に稀である。

ガストン・ティサンディエ

脚注[編集]

この著作物は、1899年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)80年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。

 

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