コンテンツにスキップ

琉米修好条約

提供:Wikisource

一 此後合衆國人民到琉球須要以禮厚待和睦相交其國人要求買物雖官雖民亦能以所有之物而賣之官員無得設例阻禁百姓凡一支一收須要兩邊公平相換

一 合衆國船或到琉球各港内須要供給其薪水而亦公通價銭支之至若該船欲買什物則宣于那覇而買

一 合衆國船倘或被風颶漂壤船於琉球或琉球之屬州倶要地方官遣人救命救貨至岸保護相安俟該國船到以人貨附還之而雖人之費用機何亦向該國船取還於琉球

一 合衆國人民上岸倶要任從其遊行各處母得遣差追隨之窺探之但或闖入人家或妨婦女或强買物件又別有不法之事則宣地方官拿縛該人不可打之然後往報船主自能執責

一 於泊村以一地爲亜國之墳所倘或埋葬則宣保護毋毀壊其墳

一 要琉球國政府養善知水路者以爲引水之用使其探望海外倘有外國船將入那覇港須以好小舟出於沙灘之外迎引其船入港使知安穩之處而泊船該船主應以洋銀五圓而謝引水之人倘或出港亦要引出沙灘外亦謝洋銀五圓

一 此後有船到琉球港須要地方官供給薪水薪毎一千斛價銭三千六百文水毎一千斛工價六百文凡以中大之琵琶桶六箇即載水千斛

合衆國全權欽差大臣兼水師提督彼理以洋書漢書立字

琉球國中山府 總理大臣 尚宏勳 應遵執據
布政大夫 馬良才

紀元千八百五十四年七月十一日

咸豐四年六月十七日在那覇公館立

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。