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  • 騎、八幡・山崎・真木・葛葉・鹿島・神崎・桜井・水無瀬に充満せり。京勢如雲霞淀・八幡に著ぬと聞へしかば、楠帯刀正行・舎弟正時一族打連て、十二月二十七日芳野の皇居に参じ、四条中納言隆資を以て申けるは、「父正成■弱の身を以て大敵の威を砕き、先朝の宸襟を休め進せ候し後、天下無程乱て、逆臣西国より責上り候間、…
    65キロバイト (15,999 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
  • 天智の御子太政大臣(だいじやうだいじん)大友(おほとも)の皇子にゆづりて、芳野(よしのの)宮に入(いり)給。天智かくれ給て後、大友の皇子猶あやぶまれけるにや、軍(いくさ)をめして芳野をゝそはんとぞはかり給ける。天皇ひそかに芳野をいで、伊勢にこえ、飯高(いひたか)の郡(こほり)にいたりて太神宮を遙拝(…
    373キロバイト (76,412 語) - 2023年8月17日 (木) 14:28
  •  万葉集に見える「吉野宮に幸せる時、柿本朝臣人麿の作れる歌」に、   やすみしし 吾が大王 神ながら 神さびせすと 芳野川   たぎつ河内に 高殿を 高しりまして 登り立ち 国見をす   れば 畳はる 青垣山 山祇の 奉る御調と 春べは 花か   ざしもち 秋立てば 黄葉かざせり ゆきそふ 川の神も…
    172キロバイト (36,495 語) - 2022年3月4日 (金) 04:08
  •  常庵は儇巧(けんかう)なる青年であつた。或時塾を出でて還らざること数日であつた。そして其衣箱(いさう)を披(ひら)けば、(てん)し尽して復一物を留めず、伊沢氏の借す所の衾褥も亦無かつた。  榛軒は人を派して捜索し、遂に常庵の蕨駅の娼家にあるを知つて率(ゐ)て帰つた。そ…
    1.54メガバイト (342,889 語) - 2024年3月25日 (月) 01:52
  • にほんぎ)』に、あるいは頼(らい)氏の『日本外史』に、大義名分を正そうとした人たちのまいた種が深くもこの国の人々の心にきざして来たのだ。南朝の回想、芳野(よしの)の懐古、楠(くすのき)氏の崇拝――いずれも人の心の向かうところを語っていないものはなかった。そういう中にあって、本居宣長のような先覚者をは…
    704キロバイト (133,425 語) - 2019年9月29日 (日) 05:04